表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/11

光は届かない

とうとう家賃が払えない。高校時代の悪友曰く、2ヶ月なら無視できるとの事で安心だ。

母から、父が入院したと連絡が入る。実家へ戻る気は無いが、電話するも繋がらない。

一人で家にいるのに胸がざわざわする。ここが安心できる場所じゃなくなれば、もう終わる。




苦楽の中学生活も終えて、ボクは県外の私立高校へ通う事になった。

その高校を選んだ理由は、本気で勉強せずとも入れそうだった事、なるべく知り合いがいない所、そこそこの知名度があるという将来を見据えていない選択だった。


僕の高校生活は辛い事ばかりだった。

入学後にすぐ交流会という事で、福島に一泊二日の旅行があったのだが、まずバスに乗る事が苦痛で、更に食事は常に大部屋だった。

この一泊二日の間、僕はほぼ何も食べずに過ごした。空腹で気が狂いそうになった。

皆が寝静まった後、こっそりと浴室に隠れてお菓子を少し齧った。


症状がひどくなっていたボクは、怖い教師や体育の授業が不安で、胃の中が空っぽでも常に気分が悪かった。

朝から何も食べていなくても、トイレで嗚咽を繰り返してから授業の出るようになっていた。

幸い、昼は自由だったので、ボクは昼休みになると人のいない所へ行き一人静かに過ごした。

周りの友人にはなぜ食べないのかと言われる事が多かったが、その場しのぎで適当に流していた。

そんな生活を続ける内に、腹は鳴るが食べずとも体は健康のままでいられるようになっていった。

周りからは「少し変な奴」という印象のボクだったが、幸いにも両親が顔だけはまともに産んでくれたため、先輩にデートに誘われたり、同級生と付き合ったりする事は出来た。

不思議な事に、女性と二人でいる間はボクは多少まともな人間になる事が出来た。

乗り物は苦手だったので常に現地集合現地解散だったが、少しなら食事も取れたし、キスもエッチも普通に出来た。

友達は出来たり、自分から離れてしまったりを繰り返し、親友と呼べるまでは行かずとも、良い距離感を保ってくれる人たちに囲まれた。


母は毎朝朝食を用意してくれて、それを食べないと心配をかけてしまうのではと思い、食べた後にこっそりと戻してから学校へ向かった。

胃をからっぽにして電車に乗り、授業の前に空っぽの胃から絞るように胃液を吐き出し過ごす生活

が続いた。


ボクの高校では一年毎にクラス替えがある。

1学年400人以上のマンモス校だったため、同じクラスになれる人はせいぜい4、5人程度のハズだった。

しかし、ボクはこの三年間で、誰一人とも同じクラスになる事は出来ず、毎年ゼロからのスタートだった。


高校生活で唯一楽しかった時期は、二年時だ。

男女ともクラス全体で仲が良く、ボクは相変わらず食事は取らず、授業の前にはトイレに篭っていたけれど、

授業中はノートに本気の迷路を書いたり教科書に落書きしたりとふざけ倒して、昼休みには野球をしたり、放課後は男女交えてトランプや恋バナに勤しんだ。

この時、初めてカラオケにも行った。歌が苦手でずっと距離を置いていたのだが、それすらも許せる間柄だったからだと思う。

それ以来カラオケにハマり、学校をサボっては12時から20時までフリータイム500円のカラオケで

ずっと過ごした。明らかに制服なのに、タバコを吸ったり受付を通さず部屋に人を連れ込んでも何も言われなかったため、溜まり場となっていった。

一度、朝出席を取った後に学校を抜け出しカラオケへ向かうと、あまりにもサボるのが早すぎてカラオケがまだ空いていなかったのも良い思い出だ。

たまに帰るのが面倒になると、友人の家に泊めてもらう事もあった。

その時は決まって友人が冷凍のポテトをあげてくれた。

ケチャップとマヨネーズ両方をかける食べ方を教わり、それ以来ポテトの食べ方はケチャップ&マヨネーズだ。

朝はなぜか早く目が覚めて、日も上らぬ内にガラガラの電車で友人と学校へ向かった。

最寄駅から学校までの片道3kmの田舎道を、眠い眠い言いながらタバコを吸って歩いていた。


ここでボクは、ある程度以上の信頼関係が築ければ、一緒に食事も取れるし、乗り物にも乗れる事を発見した。

それから、この友人と帰宅する時は食事が取れると分かり、放課後にコンビニでチキンを買って駅のホームで地べたに座り食べたりした。



高校二年生では、特に思い出深い出来事が2つある。

1つは文化祭。ボクのクラスではお化け屋敷を作る事にした。

白シャツが六千円するなんて知らず、赤いペンキで盛大に落書きしたり、近所のスーパーからダンボールを大量にもらって本格的なお化け屋敷を作った。

内装が出来上がると、練習という事でクラスメートが電気を消した。

窓も塞いでいたため、突然真っ暗になった教室。ボクはクラスの美女と一緒に作業していて、美女は暗闇が苦手だったようでボクにしがみついてきた。

あの胸の感触をボクはまだ覚えている。

また、内装を考えた人物が入り口でしゃがむ構造にしたため、パンツが見放題であった。

結果、お化け屋敷は大盛況となり、打ち上げは相当に盛り上がったに違いない。

ボクは知らない。なぜなら、片思いしていた女の子が文化祭で別の男と歩いている姿を目撃したため自暴自棄になり、クラスの美女と僕は二人で過ごしたからだ。


もう一つに、ビッグイベントの修学旅行がある。

このクラスでボクは楽しい思い出を作りたいと思い、ついに精神科へ行く事を決意した。

この頃になると、ネットも普及し、ウツや精神病もニュースに取り上げられる事が多かったため、「パニック障害」という病気についても多少の知識があった。

勇気を出して母に「パニック障害かもしれない」と伝えると、母はまだなんの事かよくわかっていなかったが、一緒に病院へ行ってくれる事になった。

調べてみると、精神科よりも心療内科の方が安心して自分の症状について相談出来そうだったので、学校終わりに地元の心療内科に母と二人で向かった。

優しそうな年配の女医さんに血液検査や1つ1つの症状を細かに相談していく。

結果はすぐに出た。「うつ病」「広場恐怖症」「対人恐怖症」と言ったパニック症だった。

まさかうつ病にまでなっているとは思っていなかったので少し驚きはしたが、子供の頃からの謎の病気の正体がハッキリとした病名で診断された事が何よりも大きな一歩だと感じた。

これからの治療方針、薬の使い方、副作用についての説明を母と受けた。

ちらと見えた母の顔が少し険しく、ボクの胸はチクリと痛んだ。

それからボクの闘病が始まった。

薬の副作用で体調に変化が及ぶことはなかったが、ボクの目はどんどん光を失い、

暗く汚れていった。「目が死んでる」とよく言われるようになり、

担任教師に「変な薬とかやってないよな?」と本気で疑われたりした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ