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短編集

携帯童話

作者: 瀬川雅峰

会話中心で、シナリオのように進む5分間の恋愛話。

すべての素敵な女性たちへ感謝をこめて

「いらっしゃいませ」

「彼女来てますか?」

「いつもの席に」

「よかった」


 薄暗い照明に照らされた店内は、ほんのりとセピアがかっている。透明感のあるカウンターに並んだスツール。

 一番奥に、彼女はいた。


「待った?」

「すっごく」

「ごめん」

 眉は傾いているけど、その下の瞳は怒っていない。大丈夫だ。


「また携帯切ってたでしょ?」

「あ…ごめん。忘れてた」

 右の胸ポケットから携帯を取り出し、電源を入れなおす。普段使う習慣がないから、一度電源を切ると「入れなおす」という行為に思い至れない。こうして毎度毎度僕は彼女に指摘され、毎度毎度電源を入れなおすのだ。

 それでも、だいぶ自然になった、と思う。



「もう、結構ですから」

――何度、そう言われたかわからない。しかし、僕には忘れるだけの度胸がなかった。

 白く塗られたドアを開けると、カーテンごしに赤い光が差し込んでいた。乾いた空気と、定期的な音だけの世界。

 部屋の白。ベッドの白。

 僕はそこへ足をすすめる。いつもここに来ると心の中も真っ白になる。自分の足では、自分の身体ではないような感覚で、たった3メートルほどの距離を進み、僕は椅子に腰かけた。



「どうして、いつも電源切ってるの?」

「仕事の邪魔になるからだよ。君だって勤務時間中は切ってるだろ?」

「マナーにはしてるけど……仕事の連絡が入ることもあるし。それとも、よほど鳴らされたくない相手がいるとか?」

 一応笑顔だ。しかし、目は笑っていない。

 こういうときの彼女には、注意がいる。

「そんなわけないって。ちょっとさ、携帯があんまり好きじゃないんだよ。別に誰からかかってくるのがイヤとかじゃなくて」

「ふーん」

 嘘じゃなかった。本当に携帯が嫌いだった。とても。



 病室の中はそれなりにあたたかかった。

 椅子に座ったまま、僕は彼女の顔を見つめる。眠り姫は、王子様のキスで目覚めた。彼女はそれでは目覚めないことを、僕は知っている。

 初めてこうして訪れたとき、僕は謝ってばかりだった。彼女のご両親は僕の来訪を頑として拒んだから、事情を承知の上でのことだと思っていた。だからしばらくは見舞いの品を部屋の入り口で渡して帰った。仕事で遅くなっても、できるだけ通うことは欠かさないように心がけた。

 通いはじめて1ヶ月ほどたったころ、両親が何も言わずに病室へ通してくれた。僕は、彼女が両親に話をしてくれたのだと思った。彼女に直接謝りたい――その一心で、僕は病室へ入った。

 しかし、そこにあったのは、沈黙と、彼女の寝息。



 イッツアスモールワールドの旋律。

 僕は、自分の右胸から聞こえてきた能天気で、懐かしい曲に飛び上がった。なぜだ?いつものように、電源は()()()()()()()はずなのに。第一、こんな呼び出し音にした覚えがない。

この曲にだけは、自分では絶対にしない。


 僕は不必要なほど取り乱し、胸ポケットの携帯をひっつかんだ。

「もしもーし。驚いた?」

「……やめてくれ」

「え……どうせまた電源入れ忘れてると思ったから、今朝、入れといてあげたのに。着信いじったの、そんなにイヤだった?」

「ちがう……ちがうんだ。そうじゃない」

「ごめんね……そんなに嫌がるなんて思わなかったから」

「ちがうんだ……」

「……?」

「ちがうんだ。オレは携帯で……携帯で……」

「え………?」



 あの頃の僕は、全てがめんどくさくなってた。

 自分では努力してるつもりなのに、結果の出ない仕事と先の見えない生活。両親からの小言。結婚したがってる彼女との催促めいた会話も。

 でも、何かを本気で変える覚悟も、面と向かって別れ話を切り出すだけの勇気もなかった。

 周りの全部に、自分にとって都合のいい「ぬるま湯」を求めた子供だった。


 だから、携帯だったんだ。


「ちょっと待って。今、車だから。ね、あとでちゃんと話そ。」

――僕にとっては、自分の言いたいことだけ言えるチャンスに思えた

 最初は、もう、会わないほうがいいと思う――くらいの言い回しだったと思う。

 でも、彼女は「待ってってば。ねえ、あとでちゃんと話そうよ」……当たり前の反応だ。

 僕はそれでまた身勝手にイラついた。

「いい加減にしてくれよ」

 言葉がとまらなかった。だから、

「もう―――――――」

 電話の向こうで、彼女が息を飲む気配があった。

「え……」

 息の抜けるような、彼女の声が、電話口から聞こえた。

 ノイズ混じりの大きな音。そしてツーッツーッと発信音だけになった。

 僕には、何が起きたのか全くわからなかった。


 彼女の両親から、深夜2時に電話を受けるまで。



「彼女のこと、忘れられる?」

「忘れちゃいけないって思ってる。でも、君とこうしてる僕は、卑怯者なんだと思う。」

「……私と別れたい?」

「……僕は卑怯な人間だ。病院へ行ってることを隠していたのも、君との関係を壊したくなかったからだ。責任を忘れる度胸もないし、君にちゃんと話す勇気もなかった。」

「でも、今話してくれたよ。」

「……」

 彼女が背中から抱きしめてくれた。


 僕が泣きおわるのを待って、彼女は言った。

「今日は帰るね。また来るから」



 いろいろ話かけもしたし、涙も流したような気がする。

 足しげく、お見舞いに訪れ、彼女の目に映らない花を飾り、言葉のない会話をしているような面持ちで、病室の椅子に座る。

 もうどれくらいこうしただろう。

 椅子に座って、彼女の顔に話しかける。

――オレ、やっぱりずるい人間だよ。オレのしたことだってわかってるのに。……生きなおしたいって気持ちに……いや、綺麗事だな。……君から開放されたいって気持ちに……なってきてる。



 携帯の呼び出しで、目が覚めた。

懐かしく、胸のつまるこの曲。通話ボタンを押して、耳にあてた。

「もしもし」

 誰よりも聞きなれていた、そしてももう何年も聴いていなかった声。

 携帯の電源は「入れ忘れていた」のに。



10

 深夜だったが、僕は病院へ駆けつけた。救急用出入り口から飛び込み、係員に見咎められたが、足は止めなかった。病室へ、一刻も早く病室へ。それだけが大切なことに思えた。

 病室のドアを叩いて、ひったくるようにドアノブをつかんで、あけた。

 彼女はいた。ベッドに半身を起こして、微笑んでいる。


「謝りたかった。ずっと……すまなかった。本当に……オレが馬鹿だったんだ。ごめん。本当に、ごめん」

 ひざをついて崩れる僕の頭に、彼女の手がなでるように触れる。

「もう充分……。今日まで、あなたのこと、見てたから」

 僕は何も言えず、彼女を見上げた。

「あなたは、ちゃんと生きて」

 彼女の姿がにじんで、視界がぼやけていく。


「ありがとう」

――彼女の最後の声を、僕は聴いた。




 相変わらず、ケータイは嫌いだ。こちらの都合に関わらず呼び出されるのも、相手が目の前にいない気楽さも。だから番号はできるだけ人に教えないようにしているが、ひとつだけ変えたことがある。


「彼女のこと、忘れられそう?」

「忘れちゃいけないってやっぱり思ってる。でも君から見たら、気分、悪いよね。ずっと影をひきずってるみたいで。君にも失礼だ……。」

「別れたい?」

「別れたくないけど、やっぱり……申し訳ない気持ちになる。」

 彼女は「ふむ」と一言言うと、しばらく黙った。僕から少しはなれ、背中を向けた。


「忘れる、って言ったら、本当に別れ話するつもりだったんだけどなー」


 振り向いた彼女の微笑みが、もう一人の彼女と重なった。

「一人で背負うのが辛かったら、私がつきあってあげる。」


 番号を知ってるのは、彼女しかいない。

ひとつだけ変えたこと。それはケータイの電源を入れ忘れないようにしたことだ。


                                 (了)  2010年8月

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書籍情報はこちらのnoteにまとめております。
i360194
― 新着の感想 ―
[良い点] 体言止め好きにはたまらない((´艸`*)) いいテンポですね。 Viva!体言止め!! [気になる点] いつからもう1人の彼女と付き合ってたのかしらー? 同時進行?それとも?? またまた、…
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