睡魔には勝てない。
寮内に入ると直ぐ右手に受付のような場所があった。
革靴を脱ぎ、俺はその中をまじまじと見る。
人は誰もいない。
なんだか無防備だ。
その横には部屋番号の書かれた木札があり、102号室と104号室以外は赤になっていた。つまり、102号室には既に誰かいるということだ。
心の準備がまだちょっとできてなかったから、出来れば居て欲しくはなかったけど……まあ、仕方ない。
俺は覚悟を決め、荻原さんが言った通り、左に曲がり、部屋番号が書かれたドアが配置されている廊下に足を踏み入れる。木造りのためか、靴下越しにひんやりとした感触が足を伝わる。
102と書かれたドアを探そうと、とりあえず一番遠くを見たが、いやまあ102ってことは一階の2号室なんだから近くにあるよな?
と、直ぐに一番近くの左側ドアを見ると案の定102号室と書かれていた。
「うっ………」
目の前に今日から住む部屋のドアがあると気がついた瞬間、額に汗が滲み出てきた。足がすくむ。
別に怖いとかいうのでは無いが、やはりある程度緊張はする。
いや、ダメだダメだ!こんなところで緊張してどうする!とりあえず深呼吸だ。
吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、吸って、吸って―――
「こぼっ⁈ごほ…っ!ごほっっ‼︎」
吸いすぎて思い切り噎せる。
「ぅぅ………何してんだろうな、俺」
後ろ髪を掻いて恥ずかしさを紛らわす。
緊張故に噎せたわけだが、そのお陰で頭が少し冷静なものに戻る。
「さて、と」
右手に持っていた鍵をドアノブに向け、鍵穴に差し込む。金属が金属に触れる感覚が手を伝っていく。何年も、自分の家に出入りする時は味わっている感覚。
しかし、家のそれとはやはり何かが違う感じがした。
そんな、ふと来る寂しさを押しこらえるように鍵を右に回し、元ある方向に戻して抜き取る。慣れた動作だ。
「さて」
ドアノブに手をかける。開けたらきっと、ルームメイトが直ぐそこにいるんだろう。
やっぱり緊張する……。
何も言わずに入るのはなんだか失礼な気がしたので、声を出しながらドアを開ける。
「どうも〜………――――て、え⁈」
部屋を見た瞬間、というか、部屋にいる人を見た瞬間、俺は驚いた。
椅子に座り、優雅に本を読んでいるその人物。
ブロンドの、腰まで伸びた髪を有しているその人物。
その顔立ち、身体つきは、どこからどう見ても、――女子のものだった。
というか、女子だ。
「こんにちは……いえ、こんばんはですかね?初めまして、ここに住んでいる霧谷累と言います」
そう言い、微笑を俺に向ける彼女。予想外過ぎて俺は固まる。
いや、女子⁈ルームメイト女子ってあり得なくないか⁈だって、なんだったら入る前まではムキムキのガテン系男子がいるんじゃないかと思っていたくらいだぞ⁈
それがどうだ?実際にいたのは触れたら折れそうなほどに華奢な女の子だぞ?どすればいい⁈
「……どうか、しましたか?」
「え⁈」
「なんだか唖然としてますが、大丈夫ですか?」
そりゃ唖然とするだろう。ルームメイト女子だったら。
いやけど、もしかしたら……。
「えっと、君は……女子だよね?」
俺の疑問に霧谷さんが首をかしげる。
「そうですけど、……男に見えます?」
「い、いや……全く」
女装系男子という可能性を考えたけど、見事に外れた。まあ、そうだよな。
いやしかし、ならば…!
「俺の……ルームメイト?」
「はい、おそらくはルームメイトです」
「君は女子で、俺は男子で?」
「……そうなりますね」
思わずため息が出た。
何考えてんだこの学園⁈え?これが普通なのか?俺の反応が変なのか⁈
「あの」
「え……?」
「名前、教えてもらってもいいですか?」
「あ」
動揺して自己紹介を忘れていた。
「黒鉄……黒鉄冬樹。よろしく……?」
「なんで疑問符がつくんですか?よろしくでいいんですよ?」
と、言われましても。
「本当に、ここであってるよな?201号室だよな?」
「?先程から何をそんなに不安がっているんですか?ここは201号室。あなたは新たな入居者。それで間違いないですよ」
「じゃあさ、ストレートな質問なんだけど」
「なんです?」
「男子の俺と女子の君がどうして同じ部屋なんだ?」
「……ああ、そのことですか」
そのことですか⁈
軽く受け取りすぎじゃないか⁈なんでさも当たり前のように流してるんだ⁈
「《災能》の相性ですよ」
霧谷さんがサラッと言った。
「相性?」
「はい。あなたの《災能》と私の《災能》はお互いの《災能》を緩和できるとかで。だから部屋が一緒なんですよ」
「へ、へぇ……」
またも《災能》の問題か。
てことは……。
『あなたに拒否権はありません』
荻原さんの言葉がフラッシュバックする。
きっと、何を言っても、拒否権はないんだろう。それにしても――
俺は霧谷さんの顔をジッと見つめる。
「……なんですか?」
「いや…」
危険なのは霧谷さんの方だろうに。
いや、何かしようとか考えては無いぞ?ただ、男子と女子が同じ部屋にいる時、リスクが大きいのはどう考えても女子だろう。
待てよ?もしかすると、ガテン系男子よりも信頼を勝ち取るの難しいんじゃ無いか?
俺が気づいて無いだけで、霧谷さんは俺のことを怖い人だと思っているかもしれないし。……若干金髪だし。
とすると、男と女であると意識させるのは逆に恐怖心を煽ることになるんじゃ……。
「……と?」
考え事をしていると、いつのまにか霧谷さんの姿が消えていた。
「あれ?」
左右を確認するがいない。背後にも……いない。あれ?どこに行ったんだ?
と、思ったその時だった。
「あの、今まで私が上のベッドを使っていたんですが、どちらがいいですか?」
上から声がしたので見てみると、二段ベッドの上からひょっこりと霧谷さんが顔を出していた。
なるほど、上か。てか、二段ベッドなんだな。
霧谷さんが使ってたのが上で、どちらがいいかと聞かれたらそりゃ、
「なら、俺は下でいいよ」
ここで上を選んだらなんだか変態っぽい。
「そうですか、それは都合がいいです」
「え?」
「いや、なんでも無いです。それより、一度寝てみてはいかがですか?」
「え、寝る?」
「はい。確認と思って」
何故か霧谷さんは顔を引っ込める。
うぅむ……寝る?のか。
正直、何故そんな提案をしてきたのか、理解できなかったが、とりあえずベッドに向かう。
上ベッドに行くための梯子を上手く避けながら体を一気に布団に預ける。
うん、寝心地はいい。
「どうですか?寝ました?」
「あ、ああ。いい感じだよ」
「そうですか」
それにしても、この状態でどうすればいいんだ?いや、特に理由とかは無いだろうけど、なんだかこうしていると………。
目の前が霞んでいく。まるで沼へと沈んでいくような感覚だ。
ああ、俺はこれを知っている。一度足を踏み入れれば抜け出すことは叶わない、底なし沼。睡魔だ。
俺は朦朧とする意識の中、ゆっくりと目を閉じる。今寝たらダメだろ……でも、ああ……よく眠れそうだ。
いつも通り、やはり睡魔には抗えない。
だけど、今の睡魔は……いつものとは少し違って………人為的なような………そんな…………。
よく分からない事を考えながら、俺は深い、眠りの沼へと落ちていった。