追憶・紫 1
[私が私になる前の話]
昔、ずっと昔の話。数年前であり、二千年以上前の話。
私が八雲紫になる前の話。
大学からの帰り道、地面がぱっくりと開いて突然の浮遊感に襲われた。
周りを見渡すと沢山の目と、どこまでも広がるおどろおどろしい空間。
私は怖くて、目を閉じ、耳を塞ぎ、身体を丸くした。
どれ程目を閉じていただろうか。身体に鈍い衝撃が走った。まるで一メートルぐらいの高さから地面に落とされたような衝撃。
「どこ………ここ……?」
見渡す限りの砂漠。吹き荒ぶ風は冷たく、私の身体を冷やしていく。
携帯は圏外だし、水も食べ物も無い最悪の状況。
暫く一歩も動けなかった。五分も呆気に取られていると、頭が動いてきた。何故、日本で大学からアパートに帰ろうとしていた私は、こんなだだっ広い夜の砂漠に放り出されているのか。あの不気味な空間は何だったのか。そもそも日本なのだろうか。さっぱり分からず、頭を抱えて、掻きむしった。
私、異世界転移したかも等と混乱していると後ろから私を照らすライトと車の音が聞こえた。その光と音は私に向けてもたらされた福音のように感じた。
しかし、その福音と共にやって来たのは明らかに日本人じゃない顔をスカーフで隠し、木と鉄で出来た銃を私に突き付けて何語か分からない言葉で怒鳴り散らしている男たち。
男たちが乗ってきたピックアップトラックの荷台に無理矢理乗せられ、私は砂漠を後にした。
私は拉致された。
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銃を突き付けられながら、夜の砂漠を30分程車は走った。変わらない景色と、火薬臭い男たちと夜のドライブをしていると街が見えた。
街はボロボロで、時折アラビア文字の看板らしき物を車が踏んづけて大きく揺れた。どうやら私は日本から中東に来てしまったらしい。
中東と言えば、米軍を中心とした多国籍軍とテロリストとの半世紀に渡る泥沼の対テロ戦争の様子が毎日、ニュースで放送されている。昨日も米軍が中東の何処かの街を一つ、空爆で焼き払ったというニュースが流れていた。
瓦礫の山と、そこから飛び出した手。その手には私が突き付けられている銃と同じ物が握られていた。
むせ返るような死臭。ニュースでは伝わらないリアリティがそこにはあった。胃の中から何かが遡ってきて、私は道路に吐いてしまった。
指の動き一つで命が奪われる世界。命の価値よりも主義や思想が勝る世界に私はいる。
やがて車は停まり、私は建物の中に連れられた。
窓は無く、ドアが取り外された部屋に押し込まれ、手足を縛られて猿轡をはめらさせられた。
その後ナイフと銃を突き付けられた姿を撮影された。後ろにいる男たちはカメラに向かって何か喋っていた。
私は撮影が終わると、その場に放って置かれてた。見張りは一人も付かずに、男たちは部屋を出ていった。
手足を縛るロープは固く、いくら暴れても、いくらもがいても、一向に緩む気配を見せなかった。
ロープや猿轡と格闘すればする程体力を消耗した。私は疲れて床に寝そべった。
今頃、蓮子はどうしてるだろうか。何故私がこんな目にあってるのだろうか。家に帰りたい。沢山の思考が頭の中で絡まる。目からは涙が溢れ、声を圧し殺して泣いた。
涙を流すと身体と目蓋は重くなり、逆らいがたい波に飲み込まれる。
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ノースカロライナ州フォートブラッグ陸軍基地地下、特殊作戦軍第7統合特殊作戦開発グループ司令部の会議室に四人の男が集められていた。
「諸君、先日の任務ご苦労」
「そう思ってるなら俺たちの休暇をぶち壊すのは止めてくださいよ。中佐」
集められた四人の表情は皆一様にやる気を感じさせず、彼らが軍人と言われて信じる者は少ないだろう。
「すまないな、ジャスティン。私も部下の休暇を潰したくは無いが……上の命令でな」
アーネスト中佐は溜め息を一つつくと、後ろに控えていた下士官に目配せをした。
下士官がやる気の無い四人に書類を配っていく。
「これはイラク西部の砂漠地帯を飛行していたプレデターが観測した物だ……」
UAVからの画像にはM2重機関銃を搭載したピックアップトラックに金髪の女性がAKを突き付けられながら乗せられる瞬間が捉えられていた。
「誘拐ですか?」
黒髪の男が聞く。
「そうだ、ご丁寧に国防省宛に身代金と該当地域からの米軍の撤退を要求してきた。全く……我が儘なのは女だけにしてほしい物だ」
アーネスト中佐は肩を竦めた。上官のジョークに四人は笑い、会議室の空気が和んだ。
「でも、ただの人質救出作戦なら俺らじゃなくても良くないっすか?そんなのSEALs辺りに任せれば良いじゃないですか」
「ベンジャミン少尉、そうもいかないのだよ……君たちを呼び出したんだ。予想は付くだろう?」
その言葉に会議室の空気が先程までの学生の授業中のような雰囲気から引き締まった。
「NSAのチームによると誘拐されたのはマエリベリー・ハーン、日本の大学生だ。何故日本の大学生がイラクにいるかは置いておくが、彼女を誘拐した反体制組織には魔法使いがいる……」
会議室に据え付けてあるモニターにデータが映し出された。
「アフマド・サウード。フリーランスの魔法使いでテロ屋だ。NSAの脅威判定ランクはAA、SEALsじゃ対処出来ないから君たちにお鉢が回ってきたんだ。次官補直々のご指名だぞ」
「うわぁ……萎える」
「簡単な話だ。パッケージを持ち帰るついでに、アフマドの首を刈ってこい。作戦はいつも通りの降下、詳しくは作戦ファイルを見ろ。二時間後にはトルコに行ってもらう」
会議室の面々は各々返事をして会議室を出ていく。
「佐山大尉、作戦ファイルは出発前に渡す。トルコまでの道中で目を通すように」
「了解しました」




