家族
[ただいま]
目蓋の裏に光を感じ、暫くすると暖かさを感じた。
ゆっくりと目蓋を開くと、見覚えのある高い天井が目に入った。 規則正しい電子音が聞こえてくる。
身体中に貼り付けられた煩わしい電極と酸素マスクを取り外して、腕に刺さった点滴も抜いた。
どうやら僕は永遠亭に担ぎ込まれていたらしい。和室に不釣り合いなベッドに僕は寝かされていた。
カーテンの隙間から射した光に目を細めながら、身体を起こして周りを見回すと、枕元のテーブルにタバコとライターを見つけた。
寝起きに病室でタバコを吸うなんて、八意永琳に見つかったらどんな事をされるか分からない。だけど一本ぐらいなら許してくれるだろうと思って火を付けた。
枕元のテーブルにはタバコとライターの他に、花瓶に入れられた向日葵と千羽鶴が置いてあった。
紫煙を吐き出し、目を覚ます前の事を思い出す。
僕は僕の過去を追体験して、忘れかけていた事と世界から勝ち取った憧憬を思い出した。ジャスティンとアラン、洩矢諏訪子には大きな借りが出来てしまった。
守矢神社に礼を言いに行かなきゃならないと思っていると、外が騒がしくなってきた。廊下を全力で走るような音と大きな声が聞こえてくる。音は段々近付いて来て、病室のドアが大きな音を立てて開かれた。
「鈴仙!除細動器の準備!!」
「はい!!」
「亮は!?亮は助かるのか!?」
「亮さん死んじゃうんですか……!?」
「永琳!!助けなさいよ!あなた、どんな病も治せるんでしょ!?」
「紫、黙ってて!!私だってこんなケース………」
ドアを壊す勢いで病室に雪崩れ込んで来た方々は僕の顔を見るなり黙り込んでしまった。
「師匠!除細動器持って………」
更に後ろでは除細動器を地面に落としてアホみたいな顔をしている奴までいる。全員知ってる人達だった。
「…………亮?」
「おはようございます……」
微妙な空気が病室に流れた。病室でタバコを吸ってるからだろうか。だけど生憎、見回しても灰皿は見つからなかった。
「あの……灰皿あります?」
僕が尋ねると黙り込んでた内の一人が顔を伏せて近付いて来た。その身体は小刻みに震えていて、僕は顔面に一発かまされるんじゃないかと思って目を閉じて、歯を喰い縛った。
しかし僕の顔に衝撃が来る事は無く、代わりに温かくて柔らかい感触と甘い香りに包まれた。
僕を包んだ人はまだ震えていて、何かを圧し殺しているようだった。
僕はタバコを持ってない左手で彼女の頭を撫でた。
「ただいま……藍さん」
彼女の肩はまだ小刻みに揺れ、僕の胸に顔を埋めていた。
いつの間にかドアの前から誰もいなくなり、枕元には灰皿が置かれていた。
灰皿にタバコを押し付け、両手で彼女抱き締める。
「もう誰もいないよ……」
そう言うと耳元で啜り泣くような声が段々大きくなり、彼女は声を挙げて大粒の涙を流し始めた。
「もう……会えないと思った……もう……起きないんじゃないかって……」
「僕は死なないよ」
「でも……遠くに行っちゃいそうな気がして……」
「何処に行くっていうんだよ……」
「いつも、いつもそうだよ……また私の知らない所で苦しんで……帰ってこないと思った」
「僕の帰る場所はここだよ……何処にも行かないし、行けない。僕は……」
一呼吸置いて彼女の金色の瞳を見つめる。
「僕はあなたの傍を離れない。迷惑かな……?」
彼女は首を横に振り、潤んだ瞳を僕に向けた。
「迷惑なんかじゃない……私の傍にずっと居てください……」
「時間だけは腐る程あるんだ……永遠にあなたの傍にいます」
「約束して……?」
「あぁ……約束する」
彼女の透き通るような肌や絹のような髪が堪らなく愛しく感じる。
トパーズのような瞳との距離は縮まり、地球に引き寄せられた流星のように僕の唇は彼女の唇に引き寄せられた。
何度も何度も、欠けていた物を埋めるように唇を重ねた。
やがて彼女は僕をベッドに倒し、覆い被さった。
「随分と積極的なんだね」
「そういうのは嫌い?」
「いや、好きだよ……藍さんなら尚更ね」
彼女の頬に触れ、近付いてくる彼女の唇を受け入れようとしたけど、僕は彼女の唇に人差し指を当てた。
「んっ……どうしたの?」
「覗き見されてるのに続きをしたい?」
病室のドアはほんの少し開けられ、その隙間から幾つかの視線がこちらに向けられていた。
「はわわ……藍しゃまと亮さんが大人です……」
「橙……見ちゃダメよ。まだ早いわ……」
「若いっていいわねぇ……」
「師匠、年寄り臭いですよ?」
「ほら……ギャラリーが沢山いるから……」
「………紫様!!永琳殿!!」
八雲藍は顔を赤くしながらドアの向こうのギャラリーを引っ張り出し、正座させて怒鳴り散らしている。八雲紫と八意永琳は反省の色を見せず、八雲藍を冷やかして火に油を注いでいた。
その光景は僕が二度と手に入れる事が出来ないと思っていた光景と重なり、でも確かに僕は憧憬を現実にしたのだと確信した。
僕は[家族]を取り戻した。
□□□□□□
人里の外れにある共同墓地は蝉の喧騒に包まれていた。
茹だる熱気と照りつける直射日光は肌を焼き、頬を汗が流れる。
「やぁ、従僕。久しぶりだね」
僕の式、風見幽香は一つの墓の前に佇んでいた。
「暑くないのか?」
「主様こそ……よくスーツなんか着てられるわ」
「慣れだよ、慣れ」
線香を供え、手を合わせる。
「来るのが遅くなっちゃったなぁ……」
「一ヶ月も昏睡状態だったんだから仕方無いわよ……私も今日、やっと来れたの」
墓には向日葵が供えてあった。藍沢が好きだった花。
「そうか……そういえば、見舞いに来てくれたろ?枕元の向日葵お前だろ?ありがとう……」
「いいのよ、別に。それよりも私は謝らなければならないわ。あの時、あなたを一人で行かせて……私、式失格ね」
「別にいいよ。僕は死なないし、生きている。お前は優秀な僕の式だ。何も気に病む事は無い。それだけだよ。」
僕が立ち去ろうとすると、風見幽香に呼び止められた。
「あなたには、借りを作ってばっかりね……いつか返さないとね」
「じゃあ仕事で返してくれ。僕が幾らか楽出来るぐらいにはな……」
風見幽香の顔には先程までの陰鬱さは無く、向日葵のような笑顔があった。
風見幽香は自分なりにけじめをつけた。だから僕もけじめをつけなければならない。
僕は墓地を出た。
□□□□□□
スキマから出ると、花に包まれた丘と一軒の家が見えた。
僕と八雲藍は丘に向け歩いていく。その道は嘗て幾度と無く歩み、幾度と無く歩む事を拒んだ道だった。
五分程歩くと家の前に着いた。
「ここは?」
スーツを着た八雲藍が聞いてくる。
「僕の実家」
それを聞いた彼女の表情が若干歪んだ。
「大丈夫だよ。僕は平気だから……」
扉を開く。中は僕が出ていった時と何一つ変わらなかった。
「ただいま……」
僕の声は家中に響いた。
全て、あの日から変わっていなかった。割れた花瓶も、僕が抱いて寝た家族の服も、あの時のままそこにあった。
父さんの書斎には研究資料と魔法書が山積みにされ、今にも父さんが部屋に入ってきて僕に手伝いを求めてきそうだった。机の引き出しを開けると僕が子供の頃に描いた父さんの似顔絵が入っていた。お世辞にも上手とは言えない絵だけど、父さんは大事に持っていてくれた。
「亮の部屋はどうなんだ?」
八雲藍は僕の部屋が気になるようだった。僕の部屋は大した物も無く、父さんの書斎から取ってきた魔法書と書きかけの論文の資料が積まれていて、父さんの書斎と似たり寄ったりだった。
「親子なんだな」
「そうだね……母さんは僕のこと父さんに似たって言ってたよ」
僕らは庭に出た。いつの間にか、花壇に植えてあった花が庭中に咲き、花畑になっていた。
その花畑の中に三つの十字架があった。僕の家族の墓。
墓の前に花を置き、語りかける。
「ただいま……父さん、母さん、梨佳。ずっと帰らなくてごめん。色々あったんだ、本当に色々。随分と遠回りしたけど、本当に欲しかった物が手に入れられたよ。今まで沢山奪われて、沢山奪ったけど……気付いたよ。この終わらない命をどう使うか……。また来るよ」
「もう……良いのか?」
「うん。今度からは、ちょくちょく来ると思うから……」
「そうか……いい所だな、ここは」
八雲藍は丘を見渡して言う。
「僕はここが大好きだった。この庭で梨佳と遊んで、それをウッドデッキで父さんと母さんが見ていたんだ。僕が縁側が好きなのは、ウッドデッキのせいかもしれない……」
目を閉じれば今でも在りし日の情景が浮かぶ。奪われた幸せで満たされていた日々の光景。
「そろそろ行こうか」
目を開き、その情景を断ち切る。今は隣に僕を愛してくれる人がいる。それだけで十分だった。
彼女は僕の手を握り、僕も彼女の手を握り返した。
僕は家の方を振り返り一言、言わなければならない言葉を家族に言った。
「いってきます」
僕は彼女の傍にあり続ける為に、自分自身の過去とけじめをつけなければならなかった。
一歩踏み出した時、一筋の風が吹き抜けた。その風と共に聞こえた声を、僕は確かに耳にした。
『いってらっしゃい』




