点数をつける心構え
僕が日常的にしていることを言語化するとこうなりました。変なことをしているように思うかもしれませんが、人との付き合いを言語化すると大体滑稽になるか、嘘を書くかどちらかと思うのですがいかがでしょうか。
僕は加点をする。初めて会ったその時から、その人に対して好印象を抱いた分だけ加点をする。
だがその前にすることもある。そもそもその計算をする必要があるかどうかという判定だ。
僕はいつも一人だ。でま常にではないし、そもそも一人の人間であろうとしているが、血のつながり、契約の契り、地域の付き合いそのほか、必ず何かに属してはいる。だからこそ一人でいられる限りは一人でいようとするし、一人でいるときには大体誰かがそばにいる。
しがらみがないように見せかけて、そんなはずはないのに誰もがそれに騙されてくれる。
気軽に話しかけてくれたり、こちらからのちょっとした言葉にしっかり答えてくれたり、そうやって挨拶が会話に発展し、そこから時間軸の分岐が始まり、新しいページをめくるとき、僕は損益計算書を作成する。
見た目から話し方、年齢、性別、境遇、あらゆる外的要因に対して加点がされる。見た目は大事だ。清潔感や服のコーディネイト、顔のつくりや背格好、単に美男美女であるかに留まらない細かい査定が行われ加点される。大事なことは減点はこの時点でしないことだ。
年齢も重要だ。それは絶対値ではなく相対値として評価する。年齢に見合った見識や勢いや落ち着きや知識や身に着けた所作、作法などを評価する。若いとか熟しているとかは関係がない。ありていに言えば年相応の何かを持っているかを査定する。
性別は二択ではない。その人の中の人間性が性の別に対してどう出現しているかを評価する。言語化するなら色気でありセクシャリティであり、乱暴に言えば男らしさ女らしさを加点する。
境遇とは家庭環境・経済状態・人間関係を外的要因として評価し加点する。これは性別と同じよう扱う。ここまでの作業を小一時間でまとめ上げ、みなしの帳簿を作る。一般的な雑談で収集できる情報で十分だ。黒く塗られたところは相対的なバランスを観てみなしで加点する。
積みあがった数値から、内面の査定をし、これを減点する。これには時間がかかる。内面の良い部分を加点してはいけないし、内面の勘定科目は人それぞれだし、法改正もたびたびあるから、月次、年次で都度、収支を出し、新しい法律に照らし合わせる必要があるが、大事なことは減点することを恐れてはいけないこと。甘く査定してはいけない。
ここまでで出た収支がことごとくマイナスになる人は、人付き合いに向いていない。だからと言って人付き合いをするなと言っているわけではない。健康診断のようなもので、悪い数値には気を配るようにしなければならないということだ。つまり減点が上回る原因は己の心の器の大きさに原因がある。或いは人の内面を図る計器類の精度に問題がある。
そもそも人の内面など正確に測れるものではないのだが、では収支が常にマイナスになってしまうあなたは、減点をしてしまったのか。だれかの内面を否定し、ストレスに感じてしまったのだろうか。もはや自己修復は望めないので専門的なカウンセリングを受けるべきなのだ。
自分を磨いた分だけ人の怠惰が許せないのなら、それは磨き方に問題がある。刃物とはただ切るための道具ではない。切ったものを活かす道具なのだから何かを活かすつもりで磨いていない刃物は何かを傷つけるだけの凶器になる。言葉とはそういうものだ。言葉巧みとはそれによって何かを活かすことで、身を守るためや何かを傷つけるためのものではない。
わかる。僕もそうなのだから僕が紡ぐ言葉が時に誰かを傷つける方向に向いてしまっていることがあるとは、だいたい取り返しがつかなくなってから気が付くものなのだ。
相手を加点し、減点することで、自己分析をすることは、ゆえに大事なのだ。
そしてもっと大事なことがある。それは加点し減点しマイナスになった誰かがいたとして、その誰かのことがどうしようもなく気になったり、一緒にいるのが楽しいということがある。それは悪友と呼ばれたり腐れ縁とよばれたり、ダメ夫やダメ女であり、ややこしい恋の始まりである可能性がある。
それは普遍的に人が求めてしまう心の渇き。つまり刺激に対する誘惑。人の心のメカニズムのもっとも不思議な部分でありそれをもって人間らしいともいえる。いつかそのメカニズムを解明できるときが来るのかもしれないが、もはや結果はどうでもいいとさえ思えるほどに人の心とは何やら妖しげな業を背負っているのかもしれない。
さて、これを読んだあなたは、加点し、減点し、筆者を評価するのだろうか。収支がマイナスにならないことを切に願ったりはしない。読んでもらえるだけで、僕にとってはもう十分なのだから。




