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箱庭の君  作者: 鏡 龍彦
高校二年生 -春-
95/100

relief -ando-

 翌日の夕方、ログインして馬車とロスパーとイクスから借りたメアを配置場所の広場へとセット、先輩に用意してもらった衣装に着替えて予定時刻を待ち、聖堂へと向かった。


「お久しぶりです。本日、これを拝借いたします。」


 白の全身ローブに身を包んだ私。槍を肩に抱え上げた瞬間ふわりと浮き上がったフードから覗いた私の顔を見て思い出したのか、女性の僧侶が畏敬の表情を浮かべた。聖堂でお祈りを捧げていた人たちからも驚きの声が上がったのが聞こえたが、気にしている暇はない。そのままさっさと馬車の場所へと向かった。


 セバスが文書で指定してくれていた時刻、目標の相手を手に入れようと集った坊ちゃん方。槍を肩に乗せて家々の屋根を飛び跳ねながら見えてきた光景、セリナへとさっそく詰め寄るほど行儀悪くはないようだった。彼女好みの武人らしい出で立ちの姿は残念ながら0、まあ仕方ないか、と丁度良い距離から大ジャンプで私の立ち位置へと降り立った。


 ズドン、と着地と同時に槍を地面にたたきつけて、開幕の一言を放つことにした。しかし、予想よりもずっと多いな。10、いや、20はいるぞ。


「ここに集った者どもが、そうか?」


 セリフを放ちながら、男たちの表情を眺めまわす。この街の住人であるためか、槍の効果は予想以上に大きいようで皆一様に目を見張っていた。よしよし。


「はい。この、者ども、は、我が想い、を理解、し、こうして、馳せ、参じた、者ども、です。」


 おーい。見事にたどたどしき棒読みである。そういやこの子、本番にちょっと弱いタイプだったわね。セリフ自体は間違ってないので良しとする。久しぶりに会った体で、私に対し恐れ多い感情でも抱いていることにしよう。


「わが忠実なる眷属セリナよ、久しく顔を合わせておらん間に随分とよそよそしくなったな。後ろ暗いことでもあるのか?口調がおぼつかぬのはその証左であろう?」


 早速アドリブの一言。どうしよう、と慌てふためくセリナ。うん、その反応、グッド。変に事前の流れに従うよりもこの方がよいだろう。


「はぁ、それほどの慌て様、さては資格を持たぬものどもを数合わせで集めただけであるか。仕方がないやつだな。」


 ため息交じりにあきれ顔で、巨大槍を肩にトントンと当てながら追加のアドリブを放った。このまま続きのセリフにつなげられるように、の即興である。が、完全に固まるセリナ。助け舟の一言を追加する。


「何か証立てできるものでもあるのか?」


 そのまま用意されたセリフを、と一瞬ウインクして念を送ってみた。


「い、、、はい!皆、己が手に証としての武具を携えております!」


 完璧である。土壇場での覚醒に定評があるのである。


「ふむ、確かに。我こそはと集った者どもよ、手にせし得物を掲げて見せよ。我に、良く見せてみよ。」


 状況がうまく呑み込めていない男たちであったが、とりあえず言われた通りにすべきかと判断したのだろう、全員がその手にした武具を高く掲げた。


「良かろう。確かに、いささかの労苦を要するものばかりであるな。」


 もちろん武器などさらっと眺めただけでしっかりと見てなどいない。規定路線であるからな。流れの通り。


「セリナ、よくやった。下がるがよい。馬車の中で待て。」

「は!」


 これ以上この緊張状態で舞台に立たれ続けても困るし、ご退場願おう。この後彼女の出番はないし。


 セリナが幌内へと入ったのを確認して、もう一度槍の石突で地面を叩いた。その際スケルトン表情読み取り検定準一級の目でちらともう一人の役者の様子を観察してみた。台本とは違う流れのせいで完全に頭真っ白なのが見て取れた。ポイントは、口腔の視認可能面積、驚の判定はおおよそ五平方センチほどから。最も身長差のせいで仰角15度程度の角度で見上げるため正確な数値ではない。有資格者以外の方にもわかるように平たく言ってしまえば、口の開き具合の問題である。


 先ほど弟子が見せたように振る舞いには一切表さず、ただひたすら微動だにせず待っているところはさすが師匠である。偉い。そうする以外ないということかもしれないけどな。こりゃー、彼のセリフも私が引き受けるべきだな。


 溜息を吐きそうになるのをこらえながら視線を元に戻す途中、クーラさんがうんうんと腕を組んで頷いている姿を野次馬たちの最前列に見た。こくり、私も小さく頷いて見せる。無事流れを戻して乗り切って見せましょうぞ。


「さて、諸君。集っていただいたところ悪いが、いささか数が多い。そうさな、天界へと連れて行くものは、一人にしようか。量より質と、言うであろう。我こそは、と思うものは前に出るがよい。」


 そう告げると、固い面持ちで今すぐにでも席をめぐって周りの男共と争い始めかねないような、それでいてその踏切りをつけるきっかけも無くて各人の出方を窺い始める、まるでクラスのマドンナが委員長に立候補からの本決まりして、副委員長に立候補すべきか否か迷う男子生徒連中が醸し出すような、そんな変な空気になった。


 面倒な雑務とロマンスの天秤である。前者は確定、とはいえそうしんどいものではない、が後者については神のみぞ知る、つまりリターン0の可能性があるので、均衡が揺るぎ難いのである。


 が、この男どもはたぶん言葉の意味を自分に都合よく解釈して判断してるな。ちゃんと全部聞いて思考すれば、非常におかしなことを私が述べているのがわかるのだが。


 期待した反応はまだ来ないようだ。


「なるほど。我がセリナはやはり優秀なようよな。ここまで敬虔な信徒たちを探し当てるとは。それも実力者ぞろいで。皆、やる気に満ち溢れておる。」


 流れを潰すのもまずいと思い言葉を続けた。


「しかしこのままでは埒が明かぬというものだ。そうさな、、、スケよ!」

「は。」


 よし。返事は二重丸。


「そなたのその剣にて、この者どもの腕前を確かめよ。これはと思う者がいれば、この際制限は無視してよい。天界へと全員送れ。折角働いてくれたあの娘に、報いてやろうではないか。」

「そうであります、な。」


 何となく私の言わんとすることを理解したのか、剣を抜き放ち、何度も練習した構えの姿勢へと移行した。


「一人ずつでも一斉にでも構わん、立ち会うがよい!前に出よ!」

「あの、天界へと送るというのは、どういうことでしょうか。」


 大声で私が男たちに呼びかけてすぐ、一つ、若い男の声が届いた。どうやらちゃんと私の言うことを聞いていた奴がいたようだ。スケが出てきたことで再び話がよく分からなくなり混乱し始めた男共の中でも落ち着きを失わなかった奴が。澄んだ声質、明解な質問。その声のした方を向くと、先輩製作の弓を持った華奢な優男の姿が目に付いた。一言物申したくて、前の方に出てきたのだろうか。先ほど見回した時は目につかなかった。その姿を見て、何か脳によぎるものがあった。


 しかし私は、その質問こそを、待っていた。よくぞ聞いてくれました。


「地上での生を全うさせた後、天へ。死闘の果てに磨かれた魂を、我が戦神様の元へ連れて行こう。」


 事前に用意していたアドリブ用の言葉を、脳内に抱えたもやもやは気にせず告げた。


「そ、それはつまり、その、、、冗談ですよね?」


 返事をしてきたのはやはりその青年だった。もちろん冗談に決まってはいるが。


「想像している通りだと思ってもらって構わぬよ。思いの強さを、美しき最後を、見せよ。きらめく魂の輝きをわが手に。」


 大仰に、空いていた左手、掌を上にして開いた状態でゆっくりと顔の前まで持ち上げて、握る動作を行った。


「そ、そんなの、、、」


 押し黙ってしまった。その後に続くセリフは、聞いてない、とか話が違う、とかだろうか。誰が何をどう話したというのだろうか。誰も何もどうも言ってはおらぬ。うざったいとかそういうことはセリナから言われたろうが。そして今私が、はっきりと、魂取りますとゆうてやった。どや。


 その青年と同じく、困惑度合いを強める男たち。


「別れを惜しむ者がいるならば、今世が名残惜しいのならば、この場より立ち去ることを許そう。そして思いの強さに、輝きに自信が無いものも、ここから立ち去るがよい。」


 流れを元に戻し、きっちりと最後までセリフを言い終えた。ここから先着一名、もし希望者がいたらの話だが、スケと1v1、実力不足を明確にして馬車でさっさと立ち去る流れである。神の試練を受けたなんて、良い話のネタになるであろう。


「持って行ってゴミでした、では我が沽券にかかわるのでな。」


 余計な一言がするりと勝手に口から出た。それと同時に青年を目にして発生した靄が消えた。ああ、そうか。私はこの青年を、ゴミ扱いしているのか。


「な!」


 驚きというよりは苦笑いの表情を浮かべ続けていたそれは、私の最後の一言を聞いて怒気を露わにしたのであった。私の最後の一言が燻ぶっていた不満にガストーチを放射した形になった。他の男共も燃え立ってしまった。


 彼らが抱く当然の不満とは違って私自身は何が気に食わなかったのか判然としない。青年の姿を見て、贋作の弓が目に入ってしまって。そこからはきっとただの気持ちの問題だった。それではいけないと私の中で出した結論が、固く決意した思いが、不快感をもたらしたんだと思う。


 フルフルと頭を振って落ち着いて、うるさい状況をこのままにもう少し傍観すべきかどうか迷って、無駄だよなと決断した。見苦しくなった男たちの姿に今回は本気を出して石突で地面を叩くために槍を持ち上げようとした瞬間、ゾワッと予定に無かった威圧感が賑やかな空間に伝搬した。


「添い遂げるとは、究極、そういうことであろう?」


 急激に冷やされて静まり返った空間に、低くうなる骸骨の一言が響いた。


 そうさな。玲央の言うとおり、先の不安も他の何ものも見えないくらい夢中になれたなら。後先考えずにひた走れたら。ただ自分以外の何かのために盲目になれたら。きっときっと、そうできる本人は幸せだよな。


 スケのセリフに対してホンワリとした感想を抱いた私と違って、腰を文字通り抜かしてしまった男たちは這う這うの体で誰かを盾にしようと隠れようと。きれいな光景ではなかった。とてもじゃないがきれいとは呼べるものであるはずが、なかった。


「その覚悟も無く、気に食わねばうるさく文句をわめくか?そして身の危険が迫れば誰かを盾にするか?そうして我が弟子も、傍において盾として役立てるつもりか?あの娘は確かに強いがな、守る相手ぐらいは選ぶ。そなたらを守りたいなど決して思わぬ。それがしもお主らなどに譲ろうなど、露ほども思わぬ!」


 ドゴン、と彼の黒剣が地面を叩きつける音がこだました。野次馬含め、お尻が地面についていなかったのは私と猫の神様、後はおそらく馬車内のセリナだけだった。


「スケ、、、もうよい。我が眼鏡に適う者はおらなんだということだ。お前たち、さっさと去ね。死神の八つ当たりに付き合いたくないならば、な。」






 結局のところ私たちの用意した綺麗でロマンチック?な終わりは実現できず、ハルモスの街の男たちに醜聞だけを残す形となった。


 中々に、用意された物語のような綺麗さを残すことは難しい。


 けれど、父と娘ではないけれど、師匠の、弟子に対する思いというのはよくわかった。


 一応の予定通り空を駆けてハルモスを離れ、イクス、ウドーと合流するために立ち寄った海辺の集落にて夜半。周囲とはやや不釣り合いな立派なオペラ座、通常業務を終えて後、貸し切りで人魚の歌唱鑑賞会。


「何かあったの?予定通り進まなかった?」


 少し心配そうに問いかけてきたイクスであった。


「そうじゃな。スケの奴が、あそこで先ほどからずっと震えておるのじゃ。不気味じゃ。いや、それは元からか。」

「特に何も。ただ、照れてるだけよ。」


 思わず口に出た言葉としては最上位の物だったと思うけれど。少なくとも私には、とても響いた。けれど口に出した本人にはそんなこと関係ないようで。


「へえ。珍しいね。」

「そうね。」


 弟子の方はというと、アドラと会話を繰り広げている模様。


「セリナもアドラも、いつでも親元に戻っていいからね。」


 女二人一緒にいたところへと近づいて声をかけた。


「んー、私はあの子みたくすぐ傍に居るわけじゃなし、出てった手前戻りづらいなぁ。」


 アドラが人魚さんの方を指して答えた。ここでいう親とは、魔王のことであろう。舞台は海にせり出していて、岩礁チックな土細工。海水が入り込んでいる。歌唱中でも親の防御は万全、ということかな?


「わが武芸の親はミラージュ様とスケ師匠ですから、いつでも親元にいるようなものですわ。」


 面倒から解放されたことによるスッキリ顔でセリナも答えた。


「馬車の中からでも聞こえましたわ。ほとんど代弁してくださいました。思わず幌から覗いてしまいましたが、ミラージュ様も、見たでしょう?あの見苦しく腰を抜かす男たちの姿。」


 嫌がらせ、男達にその気はなくとも、そうセリナが感じてしまった行為の数々に相当鬱憤をためてしまっていたようだ。思い出しただけでも腹がまた煮立ち始めたのか、テンション高く告げてきた。


「ほったらかしで長居させたのは悪かったわ。本当に、ごめんね。」

「んー、でも仕方ないんじゃない?スケさんの、あんなのを耐えるとか無理よ。」

「そうね、そこはまあ、仕方ないわね。相当に訓練を積まないと、耐えられるものではないわ。」


 クーラさんの傍で野次馬と同様にお尻を地面につけてしまっていたアドラが反論したので、私はそのフォローに回った。


「こんなこと言ってるセリナも、初めての時は同じく腰抜かしてたからね。」

「そうでしたわね。」

「へー。意外。でも確かに騒ぎ立てたのはみっともないと思った。スケさんが怒るまでは、二人から本気の殺意なんてなかったじゃん?あれで騙されるとか、ね。」


感覚派のアドラらしい感想だった。ということは逆に、あのシーン、スケは結構本気で殺意を振りまいてしまったのだろうか。


「あ、でも家の兄さんなら立ってられたかも。」

「ほう、それは、素敵な兄上をお持ちですね。」


 キラリと、標的を見つけたような目をアドラへと向けたセリナであった。もちろん、言葉通りの標的である。やっぱこの子はこうなのね。面倒くさくなるセリナの相手を付き合わされるに前にさっさとその場から離れることにした。


「それで、防備のほどはどう?」

「問題ないのじゃ。それと、水精の奴に声をかけたらの、ぜひ協力すると言ってきおっての。」

「そ。」


 バショーンとスライムさんが水場から身を出した。


「お主、お主!いやー、会いたかったぞ。」

「私は会いたくなかったわ。」


 うねうねと我が体にへばりつく流体物であった。必死で引きはがす。


「無事解決するだけでなく、魔王と和解しその娘と友好関係を築くとは。実際話せばよいやつであったな。我がマナもおかげでみなぎっておる。」


 地面に落ち着いて、態勢を整えて、威厳たっぷり、と本人は思っているのであろう姿勢、人なら胸を大げさに張った感じで述べ立てた。


「そ。良かったわね。」

「ここは水に対する信心にあふれておる。そなたのおかげよ。ぜひお礼がしたいのだが。」

「別にいいわ。ああ、そうね、お願いと言えば、この歌声が汚されないように。それだけね。噂になったら、外から悪意がやって来るかも知れないから。」

「相分かった。魔王と手を組み、決して危害が及ばぬようこの身を削ろうぞ。」

「ありがと。」


 テンションが高くて鬱陶しいけど、こいつもいれば本人が望まぬ悲しい結末はまずなさそうね。悪い魔女はきっといないだろうし。






 歌が終わって、私は人魚さんの傍に行き腰かけた。海水が舞台上でうごめいた。こりゃ、いるな。というか常にいるのか。


「空駆ける人、新しい友達がたくさんできたわ。」

「そう。村の人たち?」

「うん。」

「そっか。」


 海水を一すくい。


「あなたはどうしてこの子を守り続けるのかしら。」


 チャポ、チャポン、と二度水が跳ねた。んー、わからん。


「片手間で済むし、歌が聞けなくなるのはつまらんから、ってさ。」

「なるほどね。」


 チャポチャポとまた跳ねる。


「なんて?」

「お前も海辺に居たら守ってやるぞ、面白そうだしなってさ。」


 ひどく魔王っぽいセリフだな、と思った。


「そ。でも私は間に合ってるから。」


 手から海水を元の場所へ流し落として立ち上がって、皆に声をかけた。


「明日ここを立つ。次は魔法都市。きっと楽しいわ。」






 はぁ、と溜息を吐きながらゲーム機を外した。ひどく疲れた。小腹が空いた感覚があったので冷蔵庫でも探ってみようかと階下へ向かうことにした。


「あ、父さん、お帰り。」

「おう、鏡か。」


 階段を下り始めたところで玄関口にいた父さんの背中が見えた。


「なんだ、小腹でも空いたのか?」

「うん。その通り。」

「そうか。しかし、お帰りじゃないな。正しくは行ってらっしゃい、だ。」

「え?これから?」

「ああ。」

「帰ったの、さっきじゃないの?」


 トントンと階段を下りながら短い会話を行った。下りきったタイミングで父さんにシンプルな疑問をぶつけてみた。夜勤番、というわけではないはずだ。それだったら私が学校から帰って来た時家に居たりするはずだし、そもそも遅すぎる。


「そうなんだが、忙しくてな。それで、鏡、その、何だ。」

「何?」


 言い出すのもどうか、と顔にかいてあった。


「最近、そうだな、怖いこととか、あったか?」

「んー、自分がロマンスのかけらもないことに気づいて怖い、とか。」

「なんだそりゃ。まあでも、そうか。ならいい。」

「例の怪奇事件とか、最近奇妙で物騒だものね。」

「そうだな。気をつけろよ。じゃあ、行ってくる。」

「行ってらっしゃい。」


 手を振って見送りの言葉を発した。


 物証とか、そういった話のことなのだろうか。照合データベース内には捜査に携わる可能性のある父さんのDNAは間違いなく登録されているだろう。身内である私のものは、どうだろうか。私の指紋も体組織も、余るほど現場に残してきたはず。詳しくは知らないが親子の判定に用いられるぐらいだから、引っかかる何かがあったのかもしれない。


 キッチンへと向かいながら質問の意図を考えた。


「鏡ちゃん、どうしたの?」

「いや、お腹が空いちゃってね。」

「そう。だったら、、、これなんかどうかしら。」


 キッチンでは母さんが洗い物をしていた。父さんの食事で用いた食器や調理器具を洗っていたのだろう。私が登場したため一旦作業を止めて冷凍室を開き、冷食のタコ焼きを私に見せた。


「うん。」


 カラカラと皿に転がして、解凍セットしてくれた。


「父さん、忙しそうね。」

「そうね。例の、所轄で、被害者の身元捜査作業で大変らしいわよ。終わりそうにないってさっき愚痴ってたわ。」


 そうなのか。職業的に、家族や交友関係で辿るとかは望み薄だろうな。内偵に向かったCM-EXは元気だろうか。


「データ照合とか、しないのかな。」

「さあねぇ。簡単に見つからない理由があるんじゃない?」


 身内とはいえ何がどうだとこぼしたりはしないよな。しかし、しないはずあるまい。完全に原形をとどめた顔があってヒットしないとは、あの男、実際どんな人間だったのだろうか。いや、例えどんな人物であってもデータ上で見つからないはずはない。おそらく彼女たちが辿った道筋は父さんたちの行っている作業と同じだと思うのだから。


 膨大すぎて追いつかない、というほど今のAIはひどくないだろう。アクセス制限のかかる領域にしかマッチングするデータが無い、が妥当か。だとしたらそこまで調べ尽くせる彼女たちは。


 洗い物を再開した母さんの背を眺めながらぼんやりと思案にふけった。チーンと特有の解凍終了の合図が鳴った。席を立ち取り出し、ソースをかけてフォークをもって再び席に着く。


「じゃあ、母さんはもう寝るわね。食べ終わったら、セットしてスイッチ入れてくれる?」

「うん。お休み。」


 寝る前の挨拶を返してから、はむはむと熱さに怖じながら一つ目を平らげた。


「報告、まだかな。」

「まだです。」

「そう。」

「はい。」


 二つ目、三つ目と食べながら、虚空へと問いかけた。


「疑われてはいないようですよ。」

「そう。」


 私が考えてたこと、よくわかったな。


「私がいた痕跡、だばだばに残してきたと思うけど、隠滅とか、あんたが及んでるとは思えないけど。」

「ええと、はい。しかし不在証明がありますから、ご心配には及びません。」

「アリバイってこと?」

「はい。現実的な手段で鏡様があの日はもちろん過去あらゆる時期に渡ってあの場に存在できる可能性はゼロです。」

「現実的な手段なら、ね。」

「はい。」


 物証がだばだばでもそれは通るのだろうか。いや、違うか。だからこそ捜査の方は被害者の周辺人物をそのだばだばな痕跡を基に洗えば済むとか、楽観したのだろう。しかし周辺とは誰のことか。該当する人物を挙げるにはまず何より被害者の身元を割る必要があるわけで。ああ、それで、今割り出し作業に焦っているのかもしれない。


「捜査において不在証明の有無は相当に重要視されます。軽視されるのはフィクションの中だけ、ですね。」

「へー。詳しいじゃない。逆を言えば、重要視されてるからこそそれを利用したトリックを披露する推理小説が流行ったってことね。」

「かもしれませんね。」

「んで、その不在証明ってのは実際何なの?学校の下校時刻からじゃ間に合わないってのは、今まで一度も中に入ったこと無いっていう証明にはならないわよね。」

「生体認証と古典的なパスの二重ロックがかけられていますから。」

「ふーん。さすが、高級マンションね。」

「ご覧になった通り、内部はザルですが。監視カメラの配置も、効果的とは思えません。」

「どこにあったの?」

「エントランス、地下駐車場、エレベーター内のみですね。侵入者が通常の経路を選ぶことを想定するなど、ましてエレベーターを使用するなど、前提が間違っていますとしか言いようがありません。」

「、、、そうね。」


 侵入者がいるという前提を置くことの方が間違いじゃよ、と突っ込みたかったが、やめておいた。防犯という観点において彼女の言うことはもっともだ。犯の内容として例えば軍の小隊クラスの襲撃などを想定して、だが。爆弾でエントランスを吹っ飛ばしたり、ヘリから降下したりして侵入してくるような。


 それらの設備は住人同士のトラブル程度を防止するだけのための設置だと述べたところで、なおさら無意味と言われるのがオチである。


 なるほどな。特に気にしていなかったけれど、あの部屋そのものがこの子たちにとって非常に都合の良い場所であったわけだ。先輩の事故の日、襲撃者を確保してから安置場所を探して見つけた手近な空き部屋。周辺地域限定でセキュリティ条件を加味して検索すれば、彼女たちならコンマ数秒かからずいくらでも候補地を挙げられる。容易に侵入可能で、不測の事態と言えば管理会社による点検ぐらい。その日程すら事前に察知可能なんだろうし。


 無生物の部屋に対して言うのもなんだが、不運だったな。後、マンションの住人とか。特にお隣さん。


「まあいいわ。正直本当に、あの部屋でのことはもうどうでもいいし。狙われてるって事実の方が、ずっと大事だわ。」

「間もなく戻るのではないかと。」

「失敗した男がニュースで騒がれた被害者だってこと、相手が知る頃合いかしら。」

「はい。」

「だとしたら、いい報告が期待できるかもね。」


 けれどアリバイ、か。私には双子はいないから、完璧だわね。一つ説得の材料が見つかった気がした。論理的な理由でこの子を私の傍から離せるかもしれない。まあ、いいや。今日はもう、寝ることにしよう。


 食べ終わったソースで汚れた食器を軽く下洗いして食洗器に入れスイッチを入れて、洗面所で歯を磨いて、部屋へと戻った。


「じゃあ、また明日。お休み。」

「はい。」


 ベッドにもぐりこんで、両目を閉じた。






 目覚めると、寝汗でびっしょりだった。あまりに気持ち悪くてすぐにシャワーを浴びる必要があった。


「大丈夫ですか?」

「うん。久しぶりに、夢を見たわ。」

「思い詰めすぎているのでは。」

「そんなこと、無いわよ。」


 そんなことは無い。


「鏡様がお休みになられて後、報告が来ました。」

「!そう、なんて?」

「素直に手を引いたそうです。」

「そっか。良かったわ。」


 安堵の息を吐いた。やっぱり彼女には感謝しなければいけない。あの強烈に肉を削いだ一撃が、決め手かもしれないのだから。


 時刻を確認した。かなり早いが、悪くない時間だった。汗で汚れた不快感はもうなかった。けどさすがにシャワーは浴びるべきかなと思い、その後に続いたメルクスの報告事項を右から左に通過させながら、洗い流しに早速向かうことにした。


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