quarrel -moto_wo_tatsu-
「とんだ観光初日になっちゃったわね。」
「自然には畏敬の念を、ね。そういうものだわ。」
「そうなのかもね。」
念のため皆で再び上空へと回避して様子をうかがった。規模は推測していた通り大きなものではなかった。大惨事には至っていない。何かないかと海を眺めた。沖でモンスターが水遊びしているわけではなさそうだ。海面に巨大生物の姿は見当たらない、いや、そうしたモンスターの新たな回遊ルートになった可能性はあるかも。ふと思ったことだが、ありえぬ話ではない。海中の様子も見に行ったほうがいいかもしれないな。
「レオ!海中の様子見に行きたい。アドラ引き取るのと、ブレス、お願い。」
「わかりました。」
アドラにスカイウォークがかかって、そして私とロスパーに魔法をかけられて、そのまま人馬一体で沖合の海にドパーンと突っ込んだ。ついにこの子も水陸両用ね。ブレス、覚えないかしら。と考えながら様子を眺めた、が、肝心なことを忘れていた。明かりが無い。暗闇の水中でそのことに気づき、すごすごと元の場所に戻る。ずぶぬれただけである。
「どうでした?」
「何もなかったわ。」
「何も見えなかったの間違いだろ。」
ぐぬぬ、事実を言い当てられてしまった。
「ああ、確かに。思い至りませんでした。しかしあの広範囲に光源は無理ですね。」
「だな。にしても、、、そうだな、商人探しに全力をかけないか?」
リュウからの方針変更案。決めてまだアクションを起こす前というのに。
「何?なんかわかったの?」
「いや、別に確定したわけじゃないが。」
「もったいぶらずに言ってみなさいよ。」
「そうだな、仮説だが、どっかの遺跡の機能が引き起こしてるんじゃないかと、な。」
大陸各所に散らばる遺跡。過去に栄えた古代文明の遺産、という設定の超科学機構が働く場所である。生物生成プラントしかり、アリーナしかり。絵から現実、、、と表現していいのかはわからんが、へ抜き出す、なんてのもあったわね。強い思いを実現すると言ってよい、そうした機能。
こちらの大陸には特に小規模なものが点在し、そのほとんどは機能停止状態で主に遺物回収で儲ける類のスポットなのだが。
「発生が規則的だから?」
「ああ。機械的だろ。スパン五日で三回目。偶然だと思うにはパターンが明確すぎるからな。あり得る話として、まず件の隊商が偶然遺跡を見つけたかあるいはすでに発見していて発掘に赴いたかで内部に入る、んで護衛連中の手に負えないモンスターの登場で逃げる際に、一番近かったここへ避難。その過程で機能が再稼働しちまった、ってのを考えた。」
「おー、なるほど。ありえそうだね。」
確かに。実際探索がうまくいけば儲けられる場所だ。利に聡い商人ならば、それなりの護衛を雇っていたら、不意の発見だとしても見逃さないかもしれない。周辺のモンスターのランクが高くなったのも解放された遺跡から抜け出てきたと考えれば説明がつく。
「しかし、な。」
「何?まだあるの?」
「いや、もし俺が言った通りだと仮定したとして、なぜかがわからん。」
差異として紛れ込んだ理由の方か。
「作りかけのもの、あるいは父親のプレゼントなら説明つくわよ。」
「なんだ?」
「サーフィン機能追加。人工波発生装置。」
今度の週末は皆と時季外れの海水浴で決まりね。うん。
「、、、無いな。」
「無いですね。」
「無いね。」
「だから没データなんじゃん!」
賛同は得られなかった。
「私はまあ、ありかと思いますよ。」
カメリアのわかりやすくそれとわかるフォローであった。
結局その日その後の二、三時間は会議で決めた内容通りのことを行うことにした。
「いないわね。」
「んー、海沿いの方なんじゃないかな。」
「そうだね。陸側はレッサーばかりだね。」
遺跡から出てきたとしたら海生生物はないんじゃないかと思って陸側を中心に探したのだが、残念ながら出会うのは通常のフィールドモンスターのみであった。
戦闘力の把握がしたくてアドラと私、護衛および前衛として適したリクにも来てもらってグレーター探しをしていたのだが、出会うのは弱っちいやつばかり。この程度のモンスターだと指標にならぬ。
「一応見に行ってみましょうか。」
「オッケー。」
「見つけたら私が戦う、でいいんだよね。」
「後衛でね。前で僕が抑えるから。それでいいよね?」
「うん、ありがと。」
見た目細っちいし器用そうだし、それに何といっても森人といえば弓であろうよ。お約束ってやつだ。一番自信があるのはナイフの扱いらしく弓を実家から持ってきてはいなかった。なので海へと出発する前に私がルイナで良さ気なものを買ってきて渡してある。別に不得手ではないそう。魔法も結構いける口らしい。
「ん、何かここで食事してたのかも。」
海岸の方へと向かって歩いているとアドラが唐突に発言した。んんー?地面を見てみるもわからず。片膝をついて検分を始める彼女。近場の草を調べていた。
「うーん、、、他のモンスターを食したみたい。人じゃなくて良かったわ。」
「何もなくない?」
特に変わった様子は見受けられないのだが。
「うっすらとだけど、この辺踏みしめた跡があるね。」
「そ。重いモンスターが一定期間留まったときの特徴ね。で、ほら。」
んんー?暗がりの中、提示された草。明かりで照らして眺めてみる。
確かに、血痕が微量に。暗闇でこれに気づけるはずがない。リクの言う所の踏みしめた跡ってのも、相当に意識してないと気づかない。こりゃー見えてる世界が違うっぽいな。この子の尖った部分はやはり観察眼。この人材、逃してはならぬ。どうしよう、イクスのいう所の親、テゲリオさんだったか、に娘さんをくださいと頭下げんのか?女の私がそれをすることになるとは、侮れぬな、この世界。
果たして、そこからはアドラの追跡のおかげですいすい進んで、グレーターさんまですぐであった。
「カニですなー。」
「カニだねー。」
重量感を感じるほどの巨大サイズだとその代名詞ともいうべきハサミで挟まれて痛い思いをする。おまけに硬い甲殻に阻まれて矢も刃も通らぬ、地味に厄介なモンスターである。基本肉食、だと思う。なお、最も重大な性質として塩茹でするとおいしい種がいる、らしい。味覚も多少再現されたここではそれを味わうことができるかもしれぬ。
「涼子に聞いたんだけど、味覚ってさ、、、」
「うん、再現されてる。」
俄然やる気を出した私とリクであった。
アドラを育てることなど即頭から放り出して、リクと共に関節めがけてバシバシと斬り込んでいった。
「リュウ!レオ!緊急事態よ!」
コールをつなぐ。相性というものは存在して、斬撃メインの私とリクでは致命の一撃を打てない。いや、正確に言えば原形をとどめたまま、食す部分を無駄にしないままに倒すことができない。茹でる前に切り落としたら、味落ちるかもしれんしな。
「なんだ?」
「どうしました?」
「いいから、ポイント設置からの即転移でホストに集合!」
粒子を伴い急ぎやって来た二人。状況を見て、理解した。
「なるほど、よくやった。」
「おお、今のハサミの振り。この瞬発力からして身が詰まってそうですね。」
以心伝心である。
「んー、なんか、別においしいってこともないと思うけど。」
「、、、」
「、、、」
例えば食肉産業ならば。エサの選別や血統その他に肉質が依存する。普通にお店で売っているもののすべてはそうして丁寧に生育されたものばかり。そんな高等技術が用意されているはずもなく、肉と言えば野生動物の生肉に火を通して多少胡椒か何かで味付け程度の素朴なものばかり。
しかしながら、塩茹でして終わりの原始的な調理法に違いはあろうか。異なるとしたら、サイズだけだ。
この無言がその証左となっていた。
「別に本当に腹が膨れるわけじゃないけど、これは、いいわね。」
「だな。ヴァーチャルリアリティを実感したぜ。」
「うん。カニ以外に何かある?」
「素材オンリーで終わるものですから、、、お刺身とかは?」
「本マグロとかは、ないのよ。いたとしても捌き方わかんないし。」
「そうですか、、、」
極めて難解な議題である。手を入れることなく、それそのものが極上の味であるのは、そして現実では高価で中々食す機会もないものは、、、何がある?思いつかねー。現代社会は過度に味付けその他、調味料に頼りすぎなのかもしれぬ。
「あなたたちが話すことは、ほんとよくわかんないわ。野菜とか木の実の方がおいしいじゃん。」
ベジタリアーンなのであろうアドラの感想が黙々と次を食す面々の中響いた。果物は、確かにありだな。
「大きすぎると味が落ちるって言われるが、結構美味かったよな。」
「そうですね。」
「はい。高級ガニの味はどんなのか知りませんが、おいしかったです。」
昨日のお食事会の感想を述べあう部室内。
「へー。あたしも昨日カニクリームパスタ食べたよ。いやー美味かったんだけどさぁ。」
「けど?」
変な逆接が挟まれる。
「何かあったんですか?」
「うん。交通事故。このご時世に珍しいよねぇ。」
まじか。怪我はしていないようだが。
「いや、あたしらが、じゃないけど、遭遇したっていうか。」
じろじろと先輩の身体に異変が無いか眺めていたらお察しなされたようだ。
「大事故ですか?」
「車が、一台全壊。」
「一台?」
衝突というのは二体で起こる。それが一つというのは解せない。
「そ。いきなりでびっくりしたよ。対向車線から来た車がいきなり車線を外したと思ったらさ、次の瞬間に、ひしゃげてた。」
「えと、、、車に突っ込まれた、んですか?」
「だよねぇ。」
何故に確認を求めるのか。ひしゃげたってことは何かに衝突したってことだ。話の流れから涼子先輩の乗っていた車かその前後の車両で間違いはない。距離が離れてたら車線を外す瞬間を目撃できるはずなどない。
「んで、まあ、目撃者なわけじゃん。特に親の方は事情聴取とかあれこれで大変でね。おかげで帰るのめっちゃ遅くなったんよ。」
おそらくひどい光景を目撃したというのに平然と話す涼子先輩。
「大丈夫ですか?」
大丈夫とは思えなかった。自然な話しぶりが逆に不気味だ。
「覚悟は多少、してたからね。春休みの件を聞いて、より一層。逆に安心したよ。その一瞬、閃光が見えた気がしたのさ。SFとかでよくある、バリアーみたいな?」
猫のキーホルダーを手につまんで見せる先輩であった。来たか、ついに。新たな超科学が。
「いえ。涼子様が目撃したものは衝突時のエネルギー散逸でしょう。発光までは至らなかったと報告を受けていますが。」
水をぶっかけられた。
「ありゃりゃ、幻覚だったか。音はすごかったからねぇ。」
にっこり笑顔であった。からかわれたようだ。
「明確に姉御を狙った直接的なアクションだったと?」
「いや、そこはわかんない。けど、これだけの突発に対処してくれるなら、さ。何が起こっても大丈夫かなって。んで、不思議なことに大破した車内には乗員なし。死亡したって意味じゃないよ。ほんとに、壊れた車だけ。」
つまり、無人の車が走っていて、たまたま涼子先輩の乗った車とすれ違う際に車線を逸れて突っ込んできて、壊れただけだというのか。
結果だけを聞けば摩訶不思議な超常現象だと思える。しかし一つの超常を前提に入れればきわめてわかりやすい事象となる。
「防御して即、運転手、確保したの?」
メルクスに問いかけた。
「はい。」
「あそう、それは教えてくれるんだ。」
「はい。」
「で、間違いないの?」
「不明です。狙われたのは前後の車両の可能性もありますから。」
「そう。単純な事故の可能性は?」
「装甲が普通車両には通常考えられないものだったと対処したものから報告を受けています。」
「あそう。」
一応、聞かねばなるまい。
「ちなみに聞いておくけどさ、運転手はどんな人だった?あと、前後の車両に乗ってた人たちは普通の人?」
「殺害を生業とする一般的な者でした。その、、、普通、とは?」
殺害を生業とする者は一般的ではありえないのだが。そして過去形なのが怖いのだが。そうやって突っ込みたいのを必死に抑える。確かにこの言い草だと普通が表す意味は伝わらないな。おそらくありとあらゆる人々がこの子にとっては特殊になり得ない。あえて言うなら私達ぐらいか。どう伝えればいいんだろう。話を何とか進めたいのだが。
「えっと、社会的に立場が上の方の人だったりしないかな、って。」
「ああ、なるほど。そりゃ大事だな。政治家とか大企業の上層部とか優秀な研究者とか、そういう人物かどうか、わかるか?」
「はい。後ろの車両には軍縮派の筆頭政治家がおりました。」
「あそう。」
ここってそういう国だっけか?
「んで、実際のとこはどうなの。」
「現状判明している事実は、申しあげた通りです。偽りなく。」
表情を窺おうにも、こういう時のポーカーフェイスは尋常じゃない。
「んー、だったらその、運転手?会えるかしら。」
「お見せしたい光景ではありませんが。」
「構、わないわ。」
喉から振り絞って言い切った。
「権利があるかわかんないけど、命令。連れて行きなさい。」
私の言葉を聞いて一瞬硬直したメルクス、どこかしかへと連絡を入れたのだろう。間違ってはいない。そこを全ておんぶにだっこだから、溝が埋まらない。わからない。鏡に映った虚像ではないのだ。手をほんの少し隣へ伸ばせば触れられる。
彼女の方は私の側へと歩み寄り続けていた。次は私の番だ。
「わかりました。」
「ちょっと、がーみー!」
「鏡さん!」
「ちょっくら行ってきます。」
珍しく二人のセリフが折り重なって、それに返事して。
「転がってるのは死体かもしれんぞ。ぐちゃぐちゃのな。」
「この中で一番それを見慣れてるのは私よ。メルクス、連れてって。今すぐ。」
「先輩、私も、、、」
「後で報告するから、おとなしく待ってなさい。」
私の言葉に忠実に、椅子から浮きかけたお尻を再び落とした。
そしてすぐさま両腕に抱えられ、私を含めておそらく不可視化した状態で春の優しい風を運んでいた窓から飛び出し空を駆けた。ああ、早速抱っこされちゃうのね。でもこれは、仕方ないか。
「鏡!制服!」
龍の一言が浮遊状態の耳に届いた。
そうして連れられた先は、放棄された廃ビルなどではなく、高級マンションの屋上だった。特別変わった点は見受けられない。疑う意味もないので上から羽織って全身を覆い隠せるようなものが欲しいと告げた。二人分、用意してもらってかぶる。ローブですね。ほんとに、言えば何でも出してくれるな。この格好なら怪しい秘密結社の構成員のような出で立ちに思えなくもない。その設定でいくか。
そうして案内されるまま屋内へと入り部屋の一つへ。そこに椿がいた。何でじゃ。
「ちょっと、あんたら二人、こっちの秘密も共有、、、そっか。姿見か。」
今さっきまで部室にいたのだ。先にたどり着けるはずなどない。メルクスからの安全対策のプレゼント、彼女の返答。確かに、その表現は事実とは異なるものの適切かもしれない。分類はやはり、無生物、なのだな。
「お初にお目にかかります。CM-EX01です。」
「うん、わかった。ミラっちです。んで、メルっち、その人が、暗殺者さん?」
床に転がされていた。手足は正しい曲がり方をしていなかった。これでは立ち上がることも這いずることもできそうにない。
「お、お前ら、ガ、ガキのくせに、こんな、こんな、、、」
私たちの会話に口をはさんできた。意識があるようだ。ある意味悪夢かもしれない。今現在、痛んでいるのだろうか。だとしたらちょっとかわいそう、かな。そんな風に相手の気持ちを慮れる程度には私の心持ちは冷静だった。
「勘違いをしておいでのようですよ、メルっち。あなた、おいくつでしたっけ?」
「すでに数百年の時を経ております。」
予想外の遭遇があったものの、打ち合わせ通りの展開に持ち込めた。
「いまだ混乱しておいででしょうが、そうですね、有体に言ってしまえば、我々は魔女でして。」
「は?」
「時間のくびきから解き放たれし、永劫を生きるものでして。」
「は?」
「普段は俗世に干渉することなく、高次にあるのですが、ほら、このように。」
このタイミングで姿を消すメルクス。ほとんど行き当たりばったりなのだが、進めたい方向性を、我がアイディアを、わずかな事前打ち合わせからしっかりとくみ取って把握、理解したようだ。
「な!」
はい、そりゃ驚きますよね。
「何、簡単な話です。あなた方が観測なさっている成分以外をほんの少量変化させただけなのですよ。ほら、このように。」
両手を重ねて、上側の手を少し浮かべた。
「距離はほんの少ししか、それこそ数cm程度しか離れないのですが、あなた方の観測域、この下側の手で表される空間からは抜け出るために、まるで消えたかのように見えてしまうのですよ。」
このタイミングで再び姿を現したメルクス。
「な、何を言って、、、」
勿論、トンデモ・サイエンスを語っている。
あれこれ手に持ったものを含めて可視化できているのでカメレオン型の光学迷彩でも、不可視化中でも視界が確保されているので可視領域波長の透過型でもない、ので、私が思いつく説明は魔法だとしか言えないのである
「魔法、とあなた方が呼ぶものですよ。」
「あなたの四肢の破損も、治療可能です。」
え?マジか。CM-EXが口をはさんだ。ガチ魔法じゃねーか。本当に、ゲーム内の設定どおりの能力を再現しているということか。どうだろう、実現するとしたら、ナノマシンとかピコマシンとかで骨はもちろん神経すら接合できちゃうとか、そういう感じだろうか。
「いや、そうね。悔い改めるならば、それもよいでしょう。」
その私の一言を聞いてすぐさま、腕の片方に手を当てたCM-EX、みるみる正常な状態へと戻っていく。驚きで眼が見開きそうになるのを眉間にしわを無理やり寄せることで必死に抑えて、演技を続けた。
「どうかしら。」
「ば、んな、、、ここは、死後の世界、か?」
「いいえ、ここは地球の日本国です。しかし、数分後にはそうなるやもしれませんね。正直になることをお勧めします。現在、一般に使用されし暦にて四月の18日。もう間もなく、太陽光の照射が終わる頃合いです。夕方、と呼称するのでしたね、ああ、久方ぶりでしたが、思い出してきました。一つ前17日、夜も四分の一を過ぎたころ、あなたは我々が干渉するに足るアクションを起こした、違いありませんね?」
ちょっと凝りすぎたかもしれない。変に伝わりにくい語り口になってしまった。
「あ、えと、、、いまいち、はっきりしない。」
「左様ですか。まあ、構いません。あなたの素性は知れておりますので、他の構成員を捕えて必要な調べを行うことにしましょう。我々にとっては造作も無いことです。では、虚無へと、帰りなさい。」
手でメルクスに合図を送る。一歩彼女は力を込めて踏みこんだ。部屋が揺れる。うむ、完全に理解しておる。本気ならばこの一歩の間に首をねじりきれるだろう。
「いや!いや、待て、待ってくれ!時間を、少し、くれ。思い出すかもしれん。」
乗ってきた。四肢破損からの真に魔法としか思えぬ事象の目撃、からの脅し。結論の仕方は自棄か自失か延命か。どれに転んでも守秘義務だ何だは蚊帳へと追いやられよう。本当に記憶喪失だったらどうしよ。いや、そんなフィクション、ありえねーか。もうほんと、何がどうだかわかんねーな。
「構いませんよ。いくらでも。我々がこうして干渉を行った理由は明解です。我らの協力者が、あなたのターゲットとなった可能性があるのです。事実であるならば報復を行わねばなりません。その正しい対象物を、欲しているのです。全域を、無闇に荒廃した大地へと変貌させるのは、いささか、我々の美学に反しますので、ご足労願った次第なのです。」
「な、なるほど。そうか。で、その、あんたらのお仲間さんは、どんな奴なんだ?」
どう告げるべきか。具体的に伝えてかまをかけてもいいが。
「とある男性です。」
ぼかした。この時点では、演技に意識を持っていかれていた気がする。
「そ、そうか、良かった。勘違いだ。俺の、目標は、ただの娘っこだ。ああ、間違いない。思い出した。」
「そうですか。どのような娘っこ?で?」
この男の言葉を聞いて、急激にテンションが冷えていくのがわかった。
私もまた、先輩の言った通り覚悟ができていたのだろう。禅寺での騒動がその強力な後押しとして働いているのは間違いない。おかげで声が震えたりはしなかった。
「知らん。ただの、高校生だとだけ、聞いた。俺は連絡を、受けて遂行する、だけだ。相手がどうとか、気にしない。ただの、雇われだ。」
鼻についた。その一瞬間で、私の中の何かがはじけた。それは、無かった。たとえゲームの中でだって、許せなかったのだから。
「前の車両。」
「女性でも学生でもありませんでした。」
そうか。後ろの車両の政治家がたとえ女性であったとしても、高校生は参政権を持ち合わせてはいない。
「なんだ、よ。正直に、話したろ、なあ?腕と足、治して、くれよ。」
先ほどからたどたどしく苦しそうに言葉を発する男、痛みで気が削がれるのだろう。
天井を見上げた。少し、落ちつく時間が、必要だった。
龍のアドバイス、身元がばれないようにって配慮だったんだろうけど、無駄だったな。もう、ばれてるな。攻撃なんだな。本当、なんだな。
依頼を受けた、気に病むこともない仕事だった。だから受けて、実行した。失敗してこうなったなら、仕方ない。そういうクールな一言が欲しかった。悪びれず、汚い仕事を汚いと自覚したうえで、開き直るほどのプロフェッショニズムなんか、せめてそういうのを、聞きたかった。
実は依頼した側が完全な悪で、いたいけな高校生から宝物を奪おうとする連中で。そうだったのか!すまなかった、ならば力を貸そう!そしたらそういう展開で。そうでしょ?
「なあ、魔女さん方、よぉ。頼むよ。痛ぇよ。治して、くれよ。」
別にそんな風に潔い言葉を聞かされたからと言ってどう思ったかはわからないけれど、少なくとも今この瞬間、目の前で這いつくばる男に対する悪感情は溜まり続けた。ありとあらゆる罵詈雑言を、ぶつけたかった。
我慢した。
「鏡様、この男から引き出す情報はこれで十分です。後は私が。」
「辿れそう?」
「はい。少なくともこの男の所属する組織までは。」
免許証だとか、身元が判明しそうなものを持っていたとしても組織とか依頼主へはつながらないと思う。けれどそういうのはどうでもよかった。私を部屋から追い出したくて仕方ないという顔をしていたメルクスに、最優先で言っておかねばならぬことがあった。冷静になろうと精一杯踏ん張っていた私は聞き逃さなかった。今、私の名前。
もう一体の方は無表情だった。その子にも向けて、言うべき言葉を放った。意図は一つしかないと、判断した。
「この男は、病院の前にでもほっぽっておけばいいから。約束したわけじゃないけ、、、」
「その提案は、受け入れられません。」
告げた言葉は私がそう言うことを前もってわかっていたかのようにすぐさま拒否された。
「駄目よ。悔い改めるかどうかなんてわからないけど、その、、、駄目よ。」
私が出て行った後、彼女が行おうとしている行為を表す動詞はふり絞れなかった。私の勝手な勘違いかも知れなかった。そうであって欲しかった。
「もう私たちのことは相手に知られてるわ。こんなの放置したところで、問題なんてないでしょう。そうよ。もう、知られてるの。これ以降、少なくとも、私たち絡みの依頼は受けないと思うわ。失敗したこいつに次の依頼があると仮定しても、ね。」
「楽観にすぎます。狙われたのが防備の万全な涼子様だったからよかっただけで、現状の防衛力では常時全員を守ることはできません。判明している障害は取り除いておくべきです。」
「増員、しなさいよ。SKでもUDでも持ってくればいいから。」
「許可が下りない可能性があります。」
「下ろさせなさいよ。この子の許可は下りたんでしょ、それに、多分、涼子先輩にいつもついてるのも、いるってことでしょ?だったら大丈夫よ。他のみんなの分、十分なのを、用意させなさいよ!」
「彼の内を慮ることは、私にはできません。承認されなければ、無理です。」
「あの子なら、大丈夫よ。私がそうお願いしたって、そう、そう言えば、きっと。」
そんな保証はなかった。私自身、その言い草は中身のない空言に思えた。けれどここを引いてはいけなかった。ますます、遠くなる。そう感じた。だから譲らず、必死に抗弁した。
「部屋を、出てください。」
「いやよ。前だって、悪者、警察に任せたじゃない。それで、いいじゃない!また、そうしましょう、そうしましょうよ!」
「状況が全く、違います。」
「違わないわよ!出るならこの男を担いで、一緒によ!そのまま病院か、警察まで!」
そう告げて、男を担ごうと近づいたところで、顔に液体がかかった。
「失礼、お目汚しを。ですがこれで、解決でしょう。」
このわずかな時間でメルクスとの口論で急上昇したテンションが、急冷された。本日二度目の感覚だった。
ローブを着ていて良かった。制服にシミができなくて。顔の赤は、拭えば取れるのだから。龍のアドバイスに、元々の意図とは全く違う形で役に立ったけれど、心から感謝した。




