nakami_no_nai_hako
階段を下りる足取りは重かった。すぐに駆けつけるべきはずなのに、ちゃんと決心したはずなのに、ちっとも足は言うことを聞いてくれなくて、震えが止まらなかった。
一段一段、それでも何とか足を動かす。
終わったことより、今、これから先の事の方が大事だ。そう自分に言い聞かせて、奮い立たせた。覚悟を、決めなきゃいけなかった。向かい合い、立ち向かう覚悟を。
何へ?誰へ?どこへ?暗闇が誘惑する。足が止まりそうになる。震えが止まらない。
ゲームだ。ゲームなんだ。偽物の作り物だ。
以前否定したはずのそれに縋る。割り切る。割り切るんだ。
優先事項を考えろ。イクスがプライオリティ。彼以外に優先すべきことは無い。託されたんだ。そうなんだ。届けるんだ。グレさせちゃ、失望されるんだ。守れなかったら、失望されるんだ。
彼にも、斬り捨てたあのご主人様にも。
カツ、、、カツ、、、と、時計の秒針よりも遅いペースで、一段一段降りて行った。暗い螺旋階段を、ぐるぐると、ぐるぐると、ぐるぐるぐるぐると、回っていった。
玄室にたどり着いた。幸いなことに、腐臭までは再現されていなかった。
色味の種類が以前よりも増した背景の中、ようやく見つけた探し物。佇むそれはひどく目立った。
「白馬に乗ったお姫様、が、白いチューリップ、を摘みに来たわ、よ。」
虚勢で、必死で、ぶつける言葉。
あの時と同じく、それはゆっくりこちらへ振り返った。緑のローブが、白い髪が、暗闇の中、幻想的に揺れる。
「ミラージュ。どうしてここのこと、教えてくれなかったの?」
「私が、やったからよ。言えるわけが、、、無いわ。」
斬り捨てた兵士のほとんどは外のアンデッドと同じく死体が無くなっていた。残っていたのはおそらく例の隊長格らしい人のものだけ。でも壁の花も、床に転がる炭も、そして、胴で二つに分かたれたそれも、残っていた。
この状況を作ったのは、そのままに放置して蓋をしたのは、固くその扉を閉めていたのは、私だ。
「そう、、、」
視線を下に落とすイクス。その視線の先はおそらく、私の傍にあったそれへと向けられていた。きっと切り口から、嘘じゃないと判断できただろう。
「そうよ。イクス、わがままも、ここまで。帰るわよ。」
できるだけ地面が視界に入らないようにしながら、右足を一歩。彼に近づく。
「最後、なんて?」
二歩目のための左足を上げようとして、固まる。
「感謝、されたわ。」
うっすらと、空っぽになっていく中、最後のセリフが耳に入ってきたのは覚えてる。それは呪いのように、祝いのように。それら両方の意図をもって私に深く刻まれた。
守らないといけない。そう、言われた。ここまで多分、上手くやれていた。そう思っていた。そう思ってないと、進めなかった。
少なくとも、肉体的な損傷を許したことは、一度だってない。
よくやってた。私は、よくやってた。
だって心の内なんて、わからない。言われなければ、わからない。
それは彼も同じ。ここのことを、私がここに抱く思いを、彼は、知るはずもない。
だから告げられた言葉を字義通り信じて。
そうだろう?それしか、ないだろう?
暗く濁る自己弁証。感謝されたんだ。そして言われた通り、頑張った。
止まった左足を持ち上げ、さらに一歩を進める。
「そう、ずるいね。」
ずきりと、その一言は突き刺さった。顔が凍るのがわかる。図星だった。そんなことすら、わかってしまうんだ。神様、だものね。そうね。
暗く濁る他者冷嘲。暗闇が、入り込むのを止められない。
責を負いたくなくて。言われた通りにすればそれが望み通りになって。彼に対しても、虚偽の建前で、逃避した。もし真実を告げて、そしたら彼にこうして、その本質を見抜かれたら。そう思うととても怖かった。だからその選択はできなかった。そういう、ずるい逃げだった。
「それも、そうかもね。わかるよ。違う、わかるように、なったんだ。でも僕が言いたかったのはミラージュの事じゃない。」
それ以外に、何があるというのだろう。私にはやはり、彼の思考過程を推し量ることはできなかった。
「その、ご主人様のこと。一人になって、すぐ傍にいた人に早速助けてもらって。それでさようならじゃあ、さ。そうでしょ?覚えてる?ここのリドル。こうなった原因、元をたどれば全部その人のせいじゃない。なのに最後をミラージュに任せるなんて。逃げて、そのままバイバイって。後のことは全部知らんぷりで。そんなの、ずるいよ。」
対象が違うはずのその攻撃は、すべて私に突き刺さった。張った防壁は触れた瞬間はじけ飛んで。生身で耐えて、耐えて、くずおれそうな自分を奮い立たせて、何とか受けきった。
それは違う。あの時、私たちがここに来る方法を見せなければ、そうすればこうはなっていなかった。
「それは違うわ。そっちは間接で、私た、、、私が直接。斬ったのも、そう判断したのも、私。このご主人様のせいじゃない。」
否定しなければいけなかった。ただの責任転嫁だって。それは違うって。先にいなくなるのがずるいって、そういう風に結論付けてしまうことを、許してはいけなかった。
「ミラージュは、優しいからね。」
その言葉もまた、針のように突き刺さった。反撃しようとして隙を見せた胸元に。
そしてそのまま、ぐりぐりと穴を大きくしようと、えぐられるような感覚があった。
呪いだった。確定した。
私のそれは決して、息絶えた彼らのための行動では、無かったのだから。
ただ自分のための、自分を慰めるための、行いだったのだから。
「イクス、、、ここは、寒い、、、嫌だ。出よう、、、みんなと一緒に、あたたかいところで、、、そこで、話をしよう。」
決心むなしく、無様にもその攻撃に音を上げた。痛恨の、一撃だった。
返事はなく、また振り向いて背を向けて、蓋が開き中身のなくなった棺に触れるイクス。
「これと、同じなんだ。もらったものばかり詰め込んで、本来入っているはずのものが何も入ってない箱。それが、僕だ。」
下を向く。顔を上げていられなかった。二つに分かたれた片方が、目に入った。
「スケさんは、ちゃんと自分のやりたいことやってる。ウドーも、ずっと見たかったものを見て、これからも。セリナもスケさんに教わって、目標にどんどん近づいて。セバスはそんなセリナの姿を眺めていつもうれしそうで。でも僕は、僕には何もない。ミラージュに寄りかかって、ついていって。ただ眺めて、それだけ。だから、いなくなったらきっとまた空っぽになるよ。」
「そ、、、」
そんなのずっと先のことだ。そう、言おうとして、でも言えなかった。そうする間に見つけられるって、そう次を続けて。
いい子だから、きっと納得してくれると、そう、事前に用意していた最初の一言。それはここでは姑息に思えた。真摯に心の内を語る彼に対して、失礼なんじゃないかと、そう感じた。
それはただこの場をやり過ごす、逃げだ。また、同じように逃げるのかと、私の中の棺が語りかけてきたような気がした。小奇麗な見た目だけの建前を作って、やり過ごして。そしてまたこうしていつかしっぺ返しを食らうのかと。
それでは、駄目だ。それじゃあ、変わらない。そうして何も返せなくて、何も思いつくこともなくて。打ち明けられる彼の思いに、言葉無くて。
「あの人形も、そう。ずっと出来が悪いはずなのに、でも、空っぽじゃあ、無かった。一杯に、詰まってた。僕とは違う。」
目に入り続けるそれ。目に入り続けるそれ。目に入り続けるそれ。
「セフィアン、覚えてる?会いに行った。覚えてたよ。すごく生き生きしてた。彼も、僕よりずっと出来が悪いはずなのに、ほんのちょっとミラージュから本物をもらっただけなのに、空っぽじゃなかった。満たされてた。僕は、彼なんかよりもずっとたくさん、もらったのに。もらってるのに、、、ねぇ、ミラージュ、、、どうして僕は空っぽなの?」
だから私はその二つに分かれたご主人様の体を壊れないように持ち上げた。棺へと戻す。一つずつ。元あった位置だと思える場所に。
どっちがもともと上だったかはわからないけど、しっかりと、その空になった棺の中に、その本来の意味合いを果たさせるために、運び入れた。
「イクス、この棺、大きいわね。」
「そう、、、だね。」
「三人分のベッドのつもりで、用意したのかもね。」
「そう、、、かもね。」
私は花へと近づき、一本一本、それ以上傷つけることが無いように丁寧に剣を抜いていった。
「イクス、悪いけど、これ抜くから押さえてて。」
私の言うとおりに、彼女の体を押さえるイクス。深く突き刺さった大剣を抜く。イクスが抑えてくれていたおかげで、床に倒れ伏すことは無かった。
「ありがとう。」
それをしっかりと抱えて、炭に寄り添わせる。不格好だけど、仕方ない。エンハンス・ストレンクスをかけ、二人を一緒に、棺に運んだ。
蓋を閉める。再び中身の詰まった棺。改めて祈りを捧げた。
(こんなに遅れてごめんなさい。弔いもせずに、ほっぽらかしてごめんなさい。でもおかげでまた会えた。ありがとう。ありがとう。)
あの時のように、棺は返事をしてくれたりはしなかったけれど、はっきりと、乗り越えられた気がした。
「この箱はやっぱり、三人分。あの人形も、マスターの分で一杯。セフィアンも私の言葉で十分満たされた。スケさんもウドーもセリナもセバスも、さっきあんたが言ったことでもう一杯なのかもね。」
ぽつぽつと、クリアになった脳内に浮かんだ言葉をイクスへと向ける。
「でも、出来が悪いって言葉は気に入らない。そんなの、人それぞれだわ。そんであんたは、空っぽなんじゃないの。まだまだ、その器が大きすぎて、一杯どころか一滴だけ。それだけよ。そう、それだけ。ようやく、一滴。半年弱で、たったそれだけ。私が生きてる間に、一杯にしてあげられたらいいけれど、それはきっと無理。けど大丈夫。私の次には、また違う人が注いでくれるわ。次々あんたの前に現れて。そうやって、いつか、あんたもきっと一杯になるわ。」
吹っ切れて、浮かんだ言葉を、彼の思いに対する返答を、全てぶつけた。
今度は彼の方が、黙る番だった。
同じように、畳みかけてやる。逃げ場がないように。
「じゃあイクス、家出もここまで。みんなの所に帰るわよ。」
彼のことについては、何も解決したりしていない。けれどそれは、私には無理だ。たぶん誰にも無理だ。それができるのは、彼だけ。今私が自分で自分のことを解決したように。そのことにも、自分で気づかないといけない。
ムズることなく私の手にひかれて付き従う彼は、やっぱりいい子で。外で待っていた買ったばかりの馬さんもとてもいい子で。二人その背に乗って、樹林を飛び立った。
また、お墓参りに来るよ。それまで、バイバイ。その時は、こんにちは。
その日の先輩は、おかしかった。いや、おかしいというのはちょっと違う。いつもの通り前に立つと、すぐにわかった。ただその前に立っただけで、気圧される。そういう、一種達人の域にあった。
全く歯が立たなかった。立ち合いから数秒持たずに一本取られる。ついこの間まで私の方が勝ち越していたのに。一体何があったのだろうか。
「椿、気を落とすことは無いぞ。今日の鏡はちょっと確変入ってるからな。今までもたまにこういうことはあったが、ここまで長いのは初めてだな。」
師範が言う。私も何度かは見たことがある。今もずっと年上の人を相手に次々と勝ち続ける先輩。
「すごい、ですね。」
「そうだな。」
二人並んで眺めながら、感想をこぼす。
「師範なら勝てます?」
「もう少し待て。さすがに負けたら、示しがつかんからな。そういうもんだ。」
「そういうもんですか。」
つまり、今やったら負けるんだな。すごい、な。本当に、すごいな。
改めて受験への頑張りに励むことを、心に誓った。




