Camellia -tsubaki-
机へと向かう。つい本日購入してきた問題集を早速広げ、その最初の問題から必死でやりこなす。
(駄目じゃ、無い。無理じゃ、ない。)
ノートへと書き連ねる計算過程。最初の見開きの2ページ分が終わったところで、丸付けを行った。ところどころ計算ミスはあったものの、根本的な間違いを犯していたものはない。
(大丈夫。できる。)
その後も夕飯まで、休憩を取ることなく問題演習に明け暮れた。
私を突き動かすもの。それは強いあこがれ。一つ年上の、姉と呼んでもいい先輩への強いあこがれ。
(同じ高校に、入るんだ。)
先日、進路希望調査を提出した。翌日放課後、担任からの呼び出しがあった。特に呼び出されるような心当たりなどなかった。けど、何にせよ呼び出されたのだから行かないといけない。指定された進路指導室に入ると、既に先生が座って待っていた。まあ座れ、と彼の前への着席を指示される。
「お前の希望、高校名、これで間違いないのか?」
「はい。」
「書き間違えとかじゃなく、ここを志望してるってことでいいのか?」
二度、同じことを聞かれた。進路希望の記入なのだ。そうに決まってるというのに。敬いの気持ちがないわけではないが、その担任のことを少し頭が悪い人なのだろうか、と感じた。こうして面と向かって一対一で話をするのは初めてだった。
「はい。そうです。」
その私の返事を聞き、うーむと腕を組み、どうしたもんか、といった表情を浮かべる担任。何か、問題があったのだろうか。
「その、何か問題があるんですか?」
ポリポリと人差し指で頬をかいて、はっきり言っても、いいか?と聞いてきた。素直にうなずく。
「そのな、学力が、明らかに足りてない。」
そういうことか。ようやく呼び出された理由が理解できた。
「今から猛勉強しますから、問題ありません。」
期末の成績を見ても、今の学力が合格水準に達していないのは自分でもわかっていた。だからここから、必死で勉強して伸ばそうと日々頑張っていたところなのだ。
「いや、そういうことじゃなくてな。お前の場合、ここにこだわらなけりゃ、剣道の推薦で取ってくれるところなんて山ほどある。だから、な。ここの高校は剣道部ないぞ。考え直せ。」
そこはどうでもいい。剣道なら、道場で続けられるのだから。
「剣道は通ってる道場で続けるつもりです。ここを志望してるのは、だから、関係なくて、それはもう知ってて、それでも、ここに入りたいんです。」
担任はその私の返答に納得しなかったようで、残酷な言葉を告げた。
「駄目だ。無理だ。考え直せ。」
「駄目じゃ、ありません。」
「そうか。わかった。じゃあ続きは三者面談の時に。親御さんも交えて、相談しよう。」
「はい。」
指導室を出た。はっきり駄目と言われて、むかついた。別に失敗したって、迷惑をかけるわけでもないのに。余計なお世話だ。駄目だ、頭に血が上りかけてる。指導室の扉を思いっきり閉めようとしていたのに気付いて、深呼吸をして心を落ち着ける。その後ゆっくりと音をたてないように扉を閉めた。
問題集、帰りに買って行こう。
夕飯を終えた後もすぐさま机へと向かった。先ほどから詰まっている問題が解けない。どれだけ考えてもよくわからない。わからない。これじゃ、駄目だ。解けないと、いけない。何度も何度も立式をやり直して、計算した。いつまでも、解けることは無かった。
板張りの道場内。既に12月にもなり、冷え切った大気のあおりを受けた床面から素足を通して痛冷たい感触が伝わってくる。防具を身に着け、竹刀を手にして向かい合っているのは一つ下の椿。今日は何か先ほどから調子が悪いようで、いつものようなキレがその動きからは感じられない。
変に手心を加えるのも違うと思い、容赦なく最速の面を振るう。そこから、、、と考えていたが、何の抵抗もなくその最初の一撃が入ってしまった。これは、、、まずいな。
「椿!来い!」
師範の大声。うん、今のはない。師範が目撃していなければ、私が小言を言っていたところである。
体面していた相手がいなくなって、ほけーっとそのいなくなったものが向かったところ、師範の説教を食らう椿を眺めていた。外した面を手に抱えて師範からの薫陶を受ける彼女。
顔色は悪くなさそう。風邪とか、体調不良ではなさそうね。精神的なもんかしら、と推測をつける。何かあったら相談すれば、大抵師範は理解を示してくれる。
私はしょっちゅう余計なことを口走って追加の説教を受けたりするんだけど、椿は私とは違って我慢強い。こういう時彼女は押し黙ったまま何を言うこともなく、切々とその薫陶を受ける。というかそもそもそんなことになる機会自体が珍しい。
のだが。
「大人はみんな、そうやって叱る。それはダメって、駄目じゃないのに、無理じゃないののに。」
固く引き締まった表情で、目は既に零れそうなぐらい潤んでいた。
「ふむ、椿、外を走ってこい。頭を冷やせ。ちょうどいい気候だ。10分経ったら呼ぶ。それまで走ってろ。」
「はい。」
師範の言に素直に従い、外へと出ていった椿。そして手招きされる私。まあ、そうだろうな。
「どう思う?」
「明らかに精神的なもんですね。何か、大人絡みであったんでしょう。」
「だろうな。親御さんと喧嘩でもしたか?」
「んー、椿ですよ?」
「そうだな。」
竹刀同士が打ち合う音がそこかしこで響く中、師範と椿の様子について相談をかわす。いまいち原因が判然としない。他、近場の大人と言えば、、、
「学校の先生とかはどうでしょう?」
「ふむ、あいつが問題なんて起こすか?」
「いや、進路選択でダメ出し食らったとか、それでふてくされてるとか。それならさっき口にしたこととも合うし、あり得ない話じゃないんじゃないですか?」
適当に出たアイディアだったが、なんかピンポイントで的中してるような気がしてきた。
「それっぽいな。あいつ、お前の一つ下だから今中三か。なるほどな。」
「でしょう。」
「そういうことなら私の領外だな。鏡、お前に任せた。」
見事に押し付けられた。
外を走る。師範の言った通り冷たい空気にさらされて頭がしっかりと冷やされる。このところ勉強漬けで、どうかしてたのかもしれない。思い通りに進んでないことの八つ当たりを先ほどあろうことか師範にぶつけてしまった。中に戻ったらすぐに謝らなければ。許してもらえるだろうか。
道場の周囲三周目、出入り口正面に鏡先輩が立っていた。
「椿、走んのそこで終わり。」
そう告げられ、止まる。私の分の竹刀も持っていて、それを手渡してきた。
「素振りすんぞ。」
二人並び、素振りをする。一振り一振り、空気を揺らし重なる二つの音。聞こえるのはそれと、閉められた道場内からもれ出す竹刀のぶつかり合う音だけ。すごく、落ちつく。
しばらく続く安らぎの時間。ブーンと大きな騒音が現れた。すぐ近くをトラックか何かが通ったようだ。似つかわしくないその音が私のお気に入りの環境音に入り込んだ。そして、澄んで静まった空気が打ち破られたそのタイミングを待っていたかのように、鏡先輩が声をかけてきた。
「椿よう、何があったかね。私に話してみんかね。」
こちらを見るわけでもなく、素振りを続けながら。
「そんな、大それたことでもないんです。先週、進路のことで先生に呼び出されて、はっきり駄目だ、考え直せ、って言われて。」
素直に、白状できた。ずっと解けずに詰まっていた問題のせいでこもった熱が無くなり、頭が冷めたのだろう。
「ほう、なるほど。なんじゃ、男子校にでも入りたいとか言ったんか?」
「違います。」
さすがにそれは駄目だし無理だ。私でもそう言うしかない。
「せやろな。したら、どこの高校を志望しとるのよ?」
「先輩と同じところです。」
「え?」
先輩の素振りが止まる。こちらを見る。驚いているようだ。私も素振りを止める。先輩も無理とかいうのだろうか。そしたら、仕方ないのかもしれない。
「うち、剣道部ねーぞ?」
「知ってます。」
「あそう、じゃあ、まあ、いいんじゃないか?何で反対されたの?変な学校、かもしれんが、いいところだとは思うわよ。上ちゃんの講義は面白いし。」
上ちゃん、というのは誰のことかわからないが、その言葉はうれしかった。
「学力が足りないそうです。他なら、推薦でいくらでもって。」
うーんと手を頭に乗せ、考えるしぐさを先輩は見せた。
「そりゃあ、問題ね。あんた、500中いくつぐらい取れるのよ。」
「300ちょっとです。」
「うん、無理。最低でも100足りないわ。まあでも猛勉強すりゃ、なんとでもなるわよね。」
ずきっと一瞬突き刺さったが、その後の言葉ですぐに抜けた。
「ですよね。」
「ですなぁ。」
道場内へと入り、本来の稽古を再開した。いつも以上に体が軽くて、動きがいい気がした。
「つーわけで、こちら、私の道場の後輩の椿。」
「よ、よろしくお願いします。」
いつもの室内、いつものメンバー。この私、鏡と、涼子先輩に玲央、それから家が近くて学校も同じで部活も特別授業の選択も同じなだけ、そんな腐れ縁が続く龍。それら四人で構成されたゲーム同好会の部室。
私と瓜二つのアンドロイドのメルクスは今は不可視化している。さすがにいきなりそれは衝撃が強すぎるというものだ。
陸は学校が違うので、普段この部室で顔を合わせることは無い。
そこへ本来のメンバーからの一人追加、椿。
昨日、学校が終わったらすぐにうちに来るように稽古が終わった後で伝えておいた。到着の連絡を受けて校門まで迎えに行き、部室まで連れてきたのである。
「ああ。」
「よろしくお願いします。」
「よろしく。がーみーの後輩、にしては、真面目そうな感じだねぇ。」
「ちょっと、涼子先輩、変なこと吹き込んじゃダメですからね。椿、じゃあさっそく、期末試験の解答用紙、出しなさい。」
「はい。」
カバンから出される数枚の紙。赤ペンで採点されたお決まりのわら半紙。右上に0から100の数が書いてある例のあれだ。
その数が、無慈悲にも少し先の未来の行く末を決めてしまう力を持っているのである。この世界の支配者と呼んでよい我ら人類だが、その子供はこのように、大人は大人でまた別の数に、支配されておるのである。自らが生み出した発明品だというのに、皮肉なものだ。
「んー、んん?」
とりあえず点数の確認からと思い見てみたのだが。
国語90、素晴らしい。社会74、まあよかろう。英語78、これも問題なし。理科55、もう少し頑張るべし。数学、13。13?
なんか、変じゃね?
明らかに異質な点数のそれ。73の間違いじゃないわよね、と解答内容を見るが、どうやら間違いなさそう。途中からすべて空白になっていた。
「何、椿。数学の試験中幽体離脱でもしとったんか?」
どれどれ、と珍しく興味を持ったのか龍がその懸念の数学の解答用紙を眺める。そういやこいつ、ロリコンだったな。つまり年下好きってことだ。何かあったら、守ってやらねば。
「なるほど。まあまずは学力以前に柔軟性を身につけないといかんな。」
その後理科の解答用紙にも目を通して、そう告げた。
「どゆこと?」
他の二人も私と同じく疑問顔。
「ここ、大問三問目で何度も書いたり消したりしてる。理科の方もここで止まってんな。たぶん解けずに詰まって考え続けて、時間一杯使っちまったんだろう。」
「あー。」
なんかくそ真面目にそうしてしまってそうなのが容易に理解できた。
「なはは、がーみーとはまた違う直球系だねぇ。」
龍の推測に、その通りです、という意味の頷きを返した椿。
「ふーむ、それを直せば解決ですか?」
「いや、違うわね。少なくとも数学は、この三問目で詰まってるようじゃ学力も足りてないわ。」
「だな。」
その後つい最近買ったという問題集の解けずに詰まった所から、皆で教えてあげる会となった。
「いい?文章題は国語や英語と一緒。ただ日本語で書かれた文を数式に翻訳して、出来上がったそれをこっちの基本計算問題と同じに頑張って解けばいいの。国語も英語もできるんだから、翻訳の仕方さえ慣れちゃえば、なんてことないのよ。」
「ふーむ、成程。」
玲央が私の解説にまともに反応する。おめーに教えてねーんだがな。
「では鏡さん、ここの翻訳はどのように?」
冬課題で出された二次関数の文章題の問題を指して、問いかけてくる。だからおめーに教えてねーんだけどな!
「先輩、この速さとかがよくわからないです。お金とか個数絡みならわかるんですが。」
ふむ、典型的な文型脳?っぽいな。理科も苦手みたいだしな。
「椿、あんた身長いくつ?」
「えっと、153cmです。」
「そう、で、それってどれくらい?」
「?えっと、んー、ん?」
「そのセンチって何?メートルって何?」
「長さの、単位です。」
「じゃあ、その長さって何?単位って何のこと?センチってのが、メートルってのが、それとどう関係してんの?」
その続けざまの私の問いかけに対して、言葉に窮したようだ。じっと私の目を見つめて、次の言葉を待っている。
「ふむ、鏡さん。降参です。」
だから、お前に言っとるんじゃないというに。今日は玲央がボケる日なんか?
「いやね、別にそれがどういうことなのかとか、そういうのをちゃんと理解しろとかって話じゃないのよ。例えば重さも、100kgだと重いとか40kgだと軽いとかいうけど、それって何?質量とか重さとか、厳密な定義があるんだろうけど、科学者でもない普通の人はそれをちゃんと認識して理解して、ダイエットだのなんだの、一喜一憂してんのかって話。」
「ん、あたしよくわかってないかも。」
涼子先輩からの素直な白状。
「私もです。でもそれで問題あります?生まれてこの方、いつからかは覚えてないけど、慣れ親しんでて、それで判断を誤ることなんてないし、そういうもんでしょ。それを学校の勉強だから、そうして出会った事柄だから特別なものだって思って、わかんなきゃいけないって考える方がずれてると思うんです。そんなの、日々付き合ってたらそのうち慣れて、当たり前になるもんなのよ。そう、そういうことが言いたかったの。実際長さの定義なんて、いっぱいあるでしょ?龍?」
借りた本に、ノルムがどうだのこうだの書いてあった気がする。
「だな。考えてる空間によりけりだ。」
「だから、わかるんじゃなくて、慣れなきゃダメなの。そういうもんだって。慣れすぎて、異論をはさむ余地がないってくらいにね。もちろん分かったほうが早いし効率もいいし柔軟に対応できるけど、それがだめならそうするしかないわ。所詮高校入試。大した量でもないし。」
私の力説に納得したようで、椿はすぐに問題に取り掛かる。
みっちりと移動距離と速さ、時間の相互関係を練習させて、下校時間となった。
「性格の方は私に考えがあるわ。」
そうしてそれなりにはかどった勉強会を終え、解散した。
翌日放課後。今日は部室へは行かず、椿とともに近場のゲームショップへ。そこでヘッドギアとゲームを買い、じゃあ今日19時半にね、と告げる。この子に頑固で一直線なことの残念感を教えてあげるのだ。最適な教材が、あそこにはある。いや、いる。
ホームに入る。既に椿は待っていたようで、通話をつなげる。
「おいっす。どう?」
「初期設定とか、いろいろありますがどうすればいいんでしょう。」
「そのままでいいよ。外見とかいじるの難しいから。それ以外はあとでいくらでもいじれるし。」
「わかりました、、、、、、終わりました。」
「おっけー。じゃ、招待するから承諾して私の傍を指定してね。緑の光点がそれだから。」
もう一つの世界に入る。現在のホームポイントはセリナ邸訓練場。そこへと降り立つ。
私がいつもの時間に姿を見せると、目の前にもいつもの訓練風景。
「ミラージュ。」
「イクス、今日は私の後輩が今から来るから、ちゃんとあいさつするのよ。」
「後輩?わかった。」
招待を送る。特に操作にわからないところはなかったようだ。すぐに粒子を伴って現れた。
「プレイヤーネームは何てつけた?」
「カメリアにしました。西洋ファンタジーらしいので。それにしても、ここは暖かいですね。」
うむ、良い名じゃ。
「みんなー、紹介するわ。この子、私の後輩のカメリア。良くしてあげてね。で、カメリア、ここでの経験は外に漏らしちゃだめよ。その、暖かいのとか。あの部室にいた面々以外には、絶対に話しちゃ駄目だからね。」
「はい。わかりました。」
その後軽くカメリアと木剣で手合わせ。一人プレイだと大体現実そのままだから、成長していない彼女はさほど違和感なく、問題なさそうに動けていた。感覚も現実と同じように伝わってくるここではなおさらだ。
その私たち二人の様子を眺めて、ギラギラとした視線を送ってくる奴。
手合わせを終えた私の下へすぐさまやって来て、声をかけてきた。
「ミラージュ殿、カメリア殿は御使いの見習いか何かであるか?」
「そうね。そんなところよ。まだこっちは初めてだけど、向こうでは私と同じくらいか上かもね。すぐにそうなるわ。」
「なんと、、、セリナ!」
すぐにセリナを呼ぶスケさん。
「構わぬか?ミラージュ殿。」
こくりとうなずく。カメリアにも、ちょっとこいつに付き合ってあげて、という意志の目線を送る。
「ではセリナよ。まだ不慣れなカメリア殿にこの世界での動きの手合わせをいたせ。粗相のないようにな。」
「はい!」
そうして始まる二人の打ち合い。さすがにセリナの方に一日の長がある模様。既に五分程経過して、中々にしんどそうなカメリアなのだが、、、
「確か、ミラージュ殿も様々な戦いを通してぐんぐんと成長しておったはず。そうであった。ミラージュ殿!ビオまで運んではくださらんか。」
要求通り、カメリアとスケさん、セリナを連れてビオへと転移する。ケガは痛いし、計画はもちろん、帰りもあるからついててあげないとね。
ダンジョンにて。異常に成長を遂げているセリナとスケの二名とともに次々現れるモンスターを倒して、急激な成長を遂げるカメリア。そのおかげで現実からは乖離し始めた身体の動きの良さにやや戸惑ったようではあるものの、そう間を置かずに慣れていった。
そして期待通り、だんだんとスケさんを見る目がめんどくさそうなものへと変化していった。
お前はいつも期待を裏切らぬ。最高の相棒を持ったものだな。プレイしたての頃の我が判断が間違っていなかったことを再び実感した。




