corrumpere -hayame_no_fuyu_wo_mini-
大陸北方。
権謀術数うごめき揺れるこの大陸の象徴ともいうべき、貧しい大地が広がる場所。冬の到来をいち早く知らせる目的のせっかちな雪たちがここにはすでに訪れたようで、そのもともと乏しい色彩を余計に助長している。私たちの乗る馬車は今、その雪上を踏みしめながら北上を続けている。
低い気温。体感2,3℃といったところだろうか。あらかじめそれに備えて馬車内には暖房器具のもろもろがしっかりと備えられている。
「うー、これは、たまらんのじゃ、、、」
寒さで大分やられているのか、いつもなら外の景色を目いっぱい楽しんでいるであろうはずのウドーが、私と同じく備えられたストーブの温かみから離れようとしない。
馬車内は、そのウドーと私に、セバスの三人だけ。寒さをものともしないスケさんと、初めての雪景色に目を輝かせて眺めるセリナとイクスの三名は御者席。子供は風の子って、ほんとよね。うらやましいわ。
いつまでも続く無機質な白を飽きることなく眺め続けているであろう二人の様子を思い浮かべながら、私のために温かいお茶を淹れてくれているセバスの、その仕事の終わりを私は待っていた。
「どうぞ。」
「ありがと。」
ズズッ、と渡されたそれを口に含む。ああ、あったまる。このいつもの三倍増しの幸福感は、この状況だからこそね。この世界に、最大級の感謝を。
何故こんな極貧寒冷地帯へ、それも向こうが一年の中でおそらくもっとも過ごしやすい気温の一つであろう日々を続けている、11月の初旬にわざわざやってきたのかというと、ここがある意味最低ラインなのではないかと思ったからだ。
私自身、イクスが現れてからここまで、この世界のNPC達から受ける影響は異常なレベルでかなりのものになってしまっていると改めて肯定できた。一時の気の迷いとかそんな反論が浮かばないくらいに。それこそ、現実の人たちとの関わりと同程度、顕著なものではむしろそれを超えるぐらいの影響を受けてしまっていることもあった。
それが悪いとは思っていない。漫画や小説の登場人物に影響を受けるように。それがゲームになったところで、変わるものは何もないと思うんだ。
そしていいものも悪いものも、それらすべてが今の自分を形作る、大切な思い出、いや思い容れと言った方が適切だろう。歓喜絶望激怒後悔驚嘆失望無念。ありとあらゆる、私が今思いつくそれらよりもおそらくもっとたくさんの、さまざまな思いが入ったその容器。
精神修養の間、無心に素振りをする間、そういった思念が次々にそこから飛び出してきて、私の脳裏を駆け回った。集中を乱した。これからもおそらく、そうして乱され続けるのであろう。事あるごとに、些細な事柄に。そこはもう、どうしようもない。
だから私はここで、この時点で、安全策を一つ取ることにした。この創られた世界の最底辺。それをしっかりと、この目に焼き付けようと思ったのだ。あれよりはまし、という駄目な方の基準を、意図的に作ろうと。そう考えたのだ。
ガコン、馬車が大きく揺れた。
「あつっ、、、」
セバスに淹れてもらった熱いお茶が、その衝撃でかなり零れて、手にかかってしまった。ああ、もったいない。
ストン、とウドーがそのこぼれたお茶が広がる床面に足、いや、根っこを置いた。チュー、と吸われるそれ。セバスの方もすぐさま濡れた私の手をきれいなハンカチで拭ってくれる。
「二人ともありがと。それとごめん、こぼしちゃった。」
「わしの分はやらんからの。」
わかったわよ。やはり植物、水分には人種以上にうるさい。
「どーした?」
中身のほとんどなくなったカップを置いて、何かあったのかと、暖房効率のために四方を覆っている幌から顔を出して御者台の面々へ向け声をかけた。
「溝にはまっちゃったみたい。雪で見えなくて。」
「オッケー。持ち上げるから、スケさんはそのまま手綱もってて。」
馬車を下り、見事にはまってしまった車輪の所を両手でひっかけて、エンハンス・ストレンクスをかけ持ち上げた。重い、が、何とか持ち上がった。
「スケさーーん。」
強い抵抗のなくなった馬車は無事、溝を抜けた。
(筋力増強袴の効果、早速発揮されたわね。)
うんうんと自身の(レオとクーラさんの)作り上げた作品に満足しながら、御者台へと戻る。セリナの分もそのうち用意してあげないとね。次は魔窟で素材漁りかしら。
なんて考えながら再び馬車内に戻ろうと御者台の面々の所へとたどり着くと、前方にこちらへと向かって来る二つの人影が目に入った。
「まずは話よ。」
スケさんとセリナにくぎを刺して、私は警戒をやや強めながら、その到着を待った。
「あんたら、大丈夫、、、だったみたいだな。ちっ、あてが外れたか。」
「おい、トランキ、そんな下心丸出しの言葉を吐くなよ。あー、すまん、いや、助けたお礼に俺らも乗せてもらおうと思ったんだ。他意はない。俺はトレラン、こいつはトランキだ。」
気さくに声をかけてきた二人。身なりは貧相でみすぼらしいが、その表情は明るく、何らかの強い意志を抱いているような、そんな瞳の輝きがあった。
「そう。まあ助けに来てくれたことにはお礼を言うわ。ありがとう。この冷たく凍えた地、人の温かみってものは余計身に染みるわね。私はミラージュよ。」
そんなセリフが年若い女の口から出てくるとは思わなかったのか、少し驚いた表情を見せるその二人。
「ふふん、そうかそうか。なら俺たちにもその温かさを感じさせてくれねーか?あんたらの身なり、馬の質、馬車の大きさ、どーせビオあたりを本拠地とする裕福な商人かなんかだろ?商売でこの辺りに来たんなら、目的地は俺らと同じでコルンペーレだ。だろ?向かうついでに俺らを運んでってくれねーかな。」
ふてぶてしくも正直に、トランキという名の方の男が願い出た。
「トランキ、せめてもうちょっと下手にでてだな、、、俺ら実質何もしてねーからな。それじゃ、通らんだろ。」
その言動を咎めるトレラン。ふむ、悪いやつらじゃなさそうね。
「半分正解。ビオプランタから来たってとこがね。でも商人ってのは間違い。ただの観光、、、よ。」
「なんだ、なんか裏でもありそうな口ぶりだな。観光って、つくならもっとましな嘘をつくべきだろ。」
だろうな。我ながらひどい言葉をはいたもんだ。人の不幸を見に。間違っちゃいないが、悪趣味すぎる。観光、か。
「このまま進み続けても、着くのは明日だろ?俺とトランキが、野営の番をしよう。それで、どうだ?どうしても早く着きたい理由があってな。頼む。他にも雑用でも何でもやらせてくれればいいから。」
再びの馬車内。人口密度が上がっている。新たな二人を加え、再びのティータイム。
「この馬車内は、天国か。何だ、この茶は!」
大仰に驚くトランキ。トレランの方も、口には出さないがそのおいしさに驚いているようだ。
「ふふん、そうでしょうそうでしょう。このセバスはわが面々のうち、最強。このお茶を前に、何人もその膝を屈することになるわ。」
身内を誉められてうれしくて、ついつい大げさに言葉を返す私。それをまともにとらえたのか、冗談のつもりか、トランキが大げさにセバスを仰いだ。
「ま、お前の気持ちわかるよ、トランキ。」
どうやら本気だったようだ。彼のことをよく知っているのであろうトレランが、そう言葉を発した。
「そんでね、私がゾンビの被り物をかぶってね、扉を一気に、バァーーン!って。で、そいつ、雪の中外で一晩過ごしてたんか、ってくらいに凍りついちゃってね。」
「ははは、でもそりゃーかわいそうだわ。んなもん、こえーに決まってる。」
「お前もビビりだからな。」
「何言ってんだ!そりゃお前の方だろ!」
その後夜更けまで、首都コルンペーレへの疾走を続けた。馬車内は温かな雰囲気で包まれて。そうして進み、見つけた良さ気な野営ポイントにみんなを残し、私はログアウトした。
「それでその二人、首都にいる友人に会いに行くために、雪の中進んでたらしいんです。」
「なるほどねぇ。あそこ、別にこれといっためぼしいものもないし、私もほとんどノータッチなんだよねぇ。」
頼りのジャッジ、今回は判定できないようだ。
「該当二名の名称書き込みその他、関連情報はコミュニティ内に見受けられません。」
メルクスが調べた結果を伝える。うーん、どうやらこれは確定か。皆表情が険しくなるのがわかる。場所が場所だ。
「にしてもがーみー、なんでまたわざわざコルンペーレに?」
「それは、、、」
言葉を濁す私。
「必要な判断だと思うぞ。あいつにも。お前にも。」
「なるほどねぇ。ま、何か面倒事があったら気軽に呼んでよ。カリオーネ的なやつは期待できないだろーけどさ。」
場を和らげようとした涼子先輩の言葉。でも、可能なら、一人でこなしたい。もし必要で誰か呼ぶことになるなら、、、
「何かあったら、陸にまずはお願いしてみようと思います。」
「そうですか。そうですね。私たちでは、余計なお世話を焼いてしまうかもしれませんからね。」
その意図を察して同意してくれる玲央。
「ありがとう。本当に無理だったら呼ばせてもらうから。」
帰宅し、夕飯までの時間を無駄にすまいと、ゲーム世界へと入った。
昨日ポイント設置した野営地点に降り立つ。夕方までの待ちぼうけには付き合わないだろうと予測していたのだが、トランキとトレランのふたりがみんなと一緒に待っていた。
私が現れたのを見て、すぐさま地に伏せる二人。強烈に嫌な予感がした。
「あんたたちが何をしようとしてるか知らないけど、手伝わないわよ。」
冷徹に告げる。ここではデュエルなんてご都合主義の解決法はない。気軽に、手を出してはいけないのだ。少なくとも私には、それができない。安易な判断からのしっぺ返しを、また繰り返すわけにはいかない。
「はい、理解しております。ただ、われらの望みは、われらの生きざまをその目に焼き付けていただくことだけ。主神に、われらの思いを届けてくださるだけでよいのです。」
昨日のぶっきらぼうなトランキの口調が、丁寧なものへと変わっていた。
「、、、好きに、すれば?」
乗り込んで、歩みを進める馬車。彼ら二人は、私のいる幌内へとは、入ってこなかった。
「イクス。」
「うん。二人とも違った。そうなの?」
「その可能性が高い。だとしたらコルンペーレにいるっていう友人かしらね。」
「んー、、、、、、友人、そこで兵士をやってるらしい。首都待機で、それで詰めてるって。」
「そう。その人のデータ破損とか、わかんないの?」
「、、、わかんない。まあ、今までと同じ。」
「そう。それでイクス、セリナ、雪はもう飽きた?」
トレランとトランキが御者台にいることのあおりを受けている二人に声を掛ける。
「ん、今日の昼の間に、ミラージュに教えてもらった雪合戦、みんなでやったんだ。トランキとトレランも知ってて、すごい強くて。スケさんよりも強かったよ。でも最強はウドー。壁つくって防御しながら、一方的に攻撃してくるんだ。またやりたいな。ミラージュなら、ウドーに勝てるかな?」
キラキラと、空色の瞳を輝かせて答えたイクス。セリナも深々と頷いている。
「そう。」
そうか。残念ながら期待した言葉は得られなかった。
私は今すぐビオプランタへと帰りたかった。そんな一言を誰かに言ってもらいたかった。けど、遠回しにも見届けると宣言したのはついさっき。その私から、言い出すわけにはいかなかった。
首都コルンペーレにたどり着く。一国の首都とはいえ、ビオと比べてさえはるかに見劣りする街並み。
国は唯一豊富な鉱物資源が主品目のモノカルチャー経済で、そのたった一つの権益を一部の者が不当に独占し、この首都にも貧富格差が目に見えるレベルで表れている、公式説明によると、そんな場所。
それをただ見に、来た。何をするでもなく、ただ見るだけ。
悪人を懲らしめる正義の味方。そんな程度のワクチンでは、すでに深く浸食し根付いてしまった病巣を、駆逐することなどできはしない。
路傍に除去され、泥が混じって黒く濁った雪の群れが、街の景観に汚いハーモニーを添えていた。
「見事に、中クラスの宿が無いわね。」
皆の宿の手配をしようと、街を進んでいた我ら一行。見かけるのは安宿ばかり。高級区画に行けばいい宿があるかもしれないし、別に金には余裕があるのだが、いかにもなところに泊まらせるのは気が引けた。
「そうじゃな。セバスやイクス、セリナあたりが面倒な輩に絡まれても詮無いしな。安宿でよいんじゃないかのう。」
「ちょっとウドー、私は?」
「全く、そのぐらいの気遣いぐらい悟らんかい。お主、今日は変じゃぞ。そうじゃな。お主が絡まれたら、1秒と持たず相手が壁を突き破るじゃろ。不要な面倒事は御免じゃ。」
「そうね。難癖つけられるにしても、金で解決できる方がいいわね。体面だのなんだの、余裕を持ってる輩とは一緒にならない方がよさそうね。」
「、、、そうじゃな。」
宿を決め、トレランとトランキの二人と別れる。一応おすすめの宿を紹介してくれた。案内された大部屋、貸し切ったそこは、隙間風が入り込むようなものではなくて安心した。
「じゃあ一旦離れるわ。一時間後にまた。みんなここからなるべく出ないようにね。」
お風呂につかり、考える。向こうでの先ほどまでの寒さのせいで、普段よりもお湯の温かみが体に浸透してくる気がして心地よい。こり固まった血流がほぐされていくようだ。こういうのって、精神的な影響が強いのかな、なんて身体の不思議を感じつつ、めぐりの良くなった思考で先ほどのことをもう一度考えてみる。
反乱、だろう。兵士の友人は、防衛体制に関しての情報を探るスパイで。
どれくらいの規模か。彼らの語り口から、生き残ることをそれほど期待してはいなかった。望み薄、なのだろうか。私たちが手を貸せば、もしかしたら革命はなるのかもしれない。
比喩でなく一騎当千クラスの私とスケさん、おそらくセリナも既にそれに近い位置まで。
でも部外者の力を借りて実現したそれは、価値があるのだろうか。そもそもの原因は取り除けず、首をすげ替えるだけで。それは解決と言えるのだろうか。社会、歴史、政治。どれも苦手分野だ。わたしにはわからない。
「うーん、なるほど。そうだなぁ、、、」
端末で陸に早速相談をした。私との付き合いが最も短い彼が、最適だと思った。変に私の考え方に合わせたりせず、ちゃんと第三者視点で考えてくれると思った。
「まあ僕も難しいことよくわかんないけど、肩入れしちゃえばいいんじゃない?で、その功績でもってミラージュ帝国を打ち立てて、そのまま春から大陸制覇。そんなんでもいいんだよ。なんだってできるんだ。そういう感じであれこれ楽しんでもらう意図で用意された大陸なんだからさ。」
「なるほど。」
「もっともそれはすごい時間かかるし、あんまし時間を飛ばしたくない今の鏡向けじゃあないけどね。ただね、自分がこうしたいと思って、それを楽しんでやるのがこのゲームだと思うんだよ。それを、忘れちゃだめだよ。」
「そうね。わかった、ありがとう。まずはぶつかってみるよ。」
「うん。どうしようもなかったら呼んでね。」
「もちろん。頼りにしてるわ。」
通話を終える。楽しむ、か。それは確かに、考えてはいなかったな。コルンペーレに行くと決めた段階で、埒外に置き去り、だったな。どうすれば、楽しめるだろうな。
そんな風に引き続き考えを巡らせながら夕飯を終え、再び冬の街へと降り立った。
宿泊を決めた宿。その一階入って奥は食堂になっていて、数名の客が遅めの食事をしていた。そしてそのうちのテーブルの一つに異様に目立つ集団、みんな。そしてトレランとトランキの二人。そこからさらに、もうひとり。
私の視線にすぐに気づいて、首を振るイクス。違ったのか。
「御使い様、こちらが昨日お話しした我らの友人、スティランです。」
現れた私へ、その三人目の紹介をするトランキ。私へと向けられたその三人目のまなざしは他二人と同様、怪しく光る決意の目。
「スティランと申します。」
ミラージュよ、と、もう伝わっているのであろうが、ちゃんと自分の口で名乗る。
「それでお前たち、本当に間違いないのか?」
「ああ。この目で粒子となって神の身元へと帰還するさまを目撃した。見届けてくれると、遠回しにではあるがおっしゃられた。」
ああ、どうして。それはただの、仕様だろ。NPCの反応が自然なものになるように。そうして違和感をなるだけプレイヤーに持たせないために用意された、ただそれだけの、それだけのために用意された設定のはずだろ。無意味な、実の無い言葉のはずだろ。
「そうか。運が、あったんだろうな。よくやった。これで我らの行動、たとえ潰えたとしても無駄にはならない。本当に神は我らを見捨ててはおらなんだのだな。我らの下へと現れてくださったこと、感謝いたします。ミラージュ様。」
大仰に言葉を綴るスティラン。頭を下げ、再び上げて私の目をしっかりと見つめてくる。既に言葉で、感情的なそれで止められるほど、緩い意志ではないことが、死をものともしない決意が、そこからうかがえた。
「あんたたちの計画、聞かせてもらえる?」
綿密に計画を練っているであろう彼ら。論理的にその不備を突けば、もしかしたら考え直してくれるかもしれない。
「セールはおよそ一週間後。その間に金を集めて、当日あらゆる場所から買い漁ろうと思っています。」
「それで?」
その計画の大枠を伝えるスティラン。詳細を聞かないことには進まない。
「まず陽動で不要なものを買い漁ります。それをダミーに、本命の商品に残りで全力を傾け、それだけは必ず手に入れます。」
なるほど。トップを取る、それが最終目標か。
「本命以外で、無駄な出費をするつもり?もったいなくない?」
「心配ありません。不要とはいえ、購入する商品は全てなにがしかの役に立つであろうものだけです。無駄にはなりません。」
そうか。ま、小悪党なんていくらでもいるんだろうな。
「人員は足りてるの?もちろん私たちを当てにすんじゃないわよ。」
「はい、もちろん。ギリギリ、現状でも何とかなりそうです。各地で呼びかけて、そうしてここへたどり着いた順に当日の行動を煮詰めている最中でして、まだもう少し、確保できる予定です。」
私の問いに再び返すスティラン。
「絶対うまくいくって保証はないんでしょ?本命すら買えなかったら、本当に無駄な出費になっちゃうわよ。」
「そう言うものもいます。けれど我らはそれほど大きく期待はしていないのです。それでも、やらねばならぬのです。どれだけ支払おうとも、本命は必ず購入して見せます。」
取り付く島は残念ながらなかった。すでにそこには矛盾があって、それを許容してしまっている。たとえここからいくら論理を重ねても、何でも真へと導く矛盾を抱えられては私の刀は通らない。
これから約一週間。時間を進めてさっさと済ませようなんて気はイクスのことを抜きにしてもこれっぽっちもわかなくて、私は一人宿を後にし、街の転移ポイント経由でビオプランタのウォンバトゥーン園へと赴いた。
100金を払い、モフモフしに行く。どうやら私には、例の親子が専属のようだ。指名するまでもなくやってきた。
「ねえ、あんた。私に命を助けられて、ここまで連れてこられて、そんでこうして閉じ込められちゃって、、、恨んでる?」
腰を落とし、子供の方と顔を同じ高さにして語りかけた。私の言葉に一瞬首をかしげて、それからフルフルとその首を振る。通じたんだろう。
「そう。でもこのままずっと、ここから出られないかもしれないわよ。今は多少広いけど、あんたが大きくなったら、他の子たちも、そしたらきっと、手狭になるわ。そしたらどうする?もっと広くするよう、お願いする?それが聞き入れられなかったら、どうする?」
私の向けた言葉をちゃんと考えているのだろうか。しばらくアクションを起こさず、こちらを見つめて、そして私に体当たりした。
弱っちいそれ。びくともしない私。
そのまま体を擦り付けてくる。そうね。あんたたちじゃ、弱くて何もできないわよね。
意図せず生存が絶望な場所に配置されて。それで必死で生きようと頑張って。手を差し出す誰かがいたら、あんたらみたく救われるものもいるかもしれないのよね。
ぽんぽんとウォンバトゥーンの頭を叩いた。
「手狭になったら、私が代わりの場所を用意してあげるわ。安心しなさい。」
影響受けて、揺さぶられて。それはもう、どうしようもなくて。でも、それは仕方がない。
だからまずは、止めよう。遠回しに、それは駄目だと伝えよう。無理だろうけど、何かを、やろう。
コルンペーレへと戻った。まずは色々と探る必要があると思い、宿にいるであろう皆の所へは向かわず、一人街を歩いた。
時刻は夜八時過ぎ。特殊なタイプの時差ボケ被害に遭いたくなくて、向こうとこっちでいつも可能な限り時間をそろえている。すでに辺りは真っ暗。このぐらいの時間、ビオはまだまだ賑やかで明るかったのだが、ここコルンペーレはしんと静まり返っている。
歩いていると、高級区画との境と思しきところへとたどり着いた。数名の兵士がその区画に不許可で入るのを遮るための門の番を務めているようだ。境はしっかりと塀で遮られている。今はここに用はない、と身を返し、別の場所へと赴く。
(あそこに攻め入るつもりなのね。)
散策を続ける。どこへ向かうともなく、歩みを進める。次にたどり着いたのは工房区画のよう。それらしい、武器屋や薬屋といった感じの特徴的な家屋が立ち並んでいる。けれどどこも既に戸は閉じられていて、人の気配が感じられなかった。昼間この扉が開くかどうかは甚だ疑問だ。
めぼしいものも何もなく、私はそこを通り抜けた。
次にたどり着いたのは貧民区だった。
もっとも、その三語はあまり適切ではない。そういう区分なら、この街のほとんどがそれにあたってしまうというのを今、練り歩いて改めて確認した。おそらく最貧区、というのが正しかろう。
(・・・・・・)
悪趣味な観光は一応成った。
「よう、嬢ちゃん。ちっとばかしめぐんじゃくれねーか。」
固い表情で歩いていた私の下に、声がかかった。警戒しながらその声のした方へと顔を向けると、乞食と見られる薄汚い恰好の男が路傍に腰かけていた。その前を通りかかった私に声をかけたようだ。わざわざ立つのも面倒といった表情で、ただとりあえず言ってみただけ、という顔をしている。
(声を出せるほど元気が残ってるやつもいるのね。)
ピーン、と、硬貨を一枚はじいた。受け取る男。私はそれで終いと気にせず歩みを進める。その男もお礼を言ったりなどはしなかった。立ち上がり、私の後ろから早足で、隣までやって来て並び、中々太っ腹だな。酒場までか?と聞いてきた。
特に何かを求めての行動ではなかったが、私はうなずいた。
その男の案内で酒場らしい建物までやってきた。中に入ると、意外にも数名の客がいた。カウンターもある。看板などもなく、言われなければ外からではそれとはわからなかったが、本当に酒場のようだ。乞食の男は入るなりすぐにカウンターへ注文しに向かった。
こんな立地じゃ客なんてそう来ないだろうに、とかどうでもいいことを考えながら、一体どうしたもんかと周囲の様子を少し警戒しつつも眺めながら途方に暮れていると、男が戻ってきて席に着くよう促された。言われるまま座る。
「で、誰かの紹介かなんかで来たのか?何が聞きたいんだ?」
図らずも情報屋?か何かを引いたようだ。私は素直に高級区画への入り方を尋ねてみた。
「なるほど。ま、塀を飛び越えりゃ入れるぜ。へへ。もっともんなもん土台無理な話だがな。」
私ならそれは問題じゃない。でもあいつらじゃ無理だ。
「ま、冗談は置いといて、常駐してる兵士に軽く賄賂でも渡しゃあすぐだな。俺にくれたのと同額で釣りすらもらえる。何せ腐ってるからな。」
「そ。大人数でも問題ないの?」
武装した集団が賄賂で通れるとは思えない。
「数いりゃ襲撃すりゃいい。すぐ逃げ出すさ。腐ってるからな。」
「そ。」
それならあそこの突破は問題ないのか。
「んじゃ、この辺りの、、、その、区画を治めてる集団とかは?ある?」
「ないな。腐っちゃいねーが、凍ってるからな。」
あっちは腐ってて、こっちは凍ってんのか。まあ、言いえて妙、かもしれない。先ほどまでの光景を思い出した。
「そ。みんなの、、、顔役とか、そういう人もいないの?」
「それならここの親父や、俺がそう、だな。何か用でもあんのか?」
「別に。聞いてみただけ。」
そう、本当に聞いてみただけだ。もしそういう集団がいれば、彼らを止めるか、無理なら手を貸してもらうか。そんなことでもないかなと思っただけだ。それをどう切り出そうかと考えていると、向こうから質問が飛んできた。
「変な嬢ちゃんだな。一体何でこんな時間に一人で貧民窟に?散歩にしたってまだもっとましなとこがあんだろ。」
その問いかけのタイミングで、ちょうど料理と飲み物が届いた。二人分の水と、貧民窟ではおそらく豪勢な方の見た目の料理。
「あんたの金でこういうのもなんだが、食っとけ。飲んどけ。あんた、若いのにおれ以上に凍ってんぞ。」
「ご飯はもう食べたから、あんたが食べて。飲み物だけ、いただくわ。」
促されて、水の入ったグラスを手に取り、のどを潤そうとゴキュッと飲む。
「うごへ、ごほっ、ごほっ、、、」
水と疑わず勢いよく入れたそれ。瞬間、喉が焼けた。
「ちょっとあんた!なんてもん飲ませんのよ!これ何!?水じゃねーじゃねーですか!」
私とおそらく同じその飲み物を、男は平気そうに飲んでいた。グラスを置き、ニッと笑って答えた。
「残念、外れ。凍った心を溶かすただの水だよ。見た目どーりな。はは。あんたも見た目通り、ほんとにただのお嬢ちゃんのようだな。ふはははは。何の用かは知らんが、その反応、悪いやつには全く見えねぇ。まあ、歓迎する。エンソスだ。」
明らかに嘘と分かる嘘をつきながらも再びグラスを手に取り私へと向けた。警戒心なく笑みを向けられ、そうして歓迎されて悪い気分はしなくて、私もそれに乗って、ミラージュよ、と名を告げてから、自分のグラスを手に取り彼のそれにカツンと合わせ、もう一度、ほんの少量だけを口に入れた。
まっじい。これ飲み物じゃねーぞ。強烈に顔をしかめて、何とか飲み込む。
「ははは。すまんかったな。言ってみりゃー異質なんだ。あんたみたいなのが来んのは。見た目で油断させるために幻術かけた腐った連中の手先かもしれんしな。バレバレとはいえ、一応警戒しないといかんだろ?問答無用に斬りかかるわけにもいかんしな。いや、悪かったって。」
ジト目でにらみつける私に弁解をするエンソス。まあいいわよ、と許す心の広い私。
「ま、歓迎しといてなんだが、長居はしないことをお勧めする。さっさと用を済ませて自分の家に帰るべきだ。もうすぐこの街は吹雪く。出られなくなっちまったら嫌だろ。」
その一言にピクリと反応する。反乱の事だろう。情報屋だと思ったのは間違いじゃないようだ。そしてすでにつかんでいるようだ。
「そう。天候予知の結果は変わらないの?」
「、、、そうだな。もうほとんど決まってることだ。止めようにも、、、止められねぇ。」
私の反応に何かを感じたのか、ゆっくりとこぼされる言葉。そうか。こいつも、一味の一人なのか。
「このあたりの人みんな、その、、、雪乞い、してるの?」
「ふむ、それなりだな。何だ、嬢ちゃんも関係者か?金持ちのようだし、スポンサーかなんかか?」
名前を出してもいいものか、と周囲の客に視線をめぐらす。その様子を見て、ここなら問題ない、とこくり頷くエンソス。
「トレランとトランキ、ここに来る途中、馬車でたまたま拾った。今日、スティランを交えて話を聞いた。」
その名を聞いて、やれやれといった感じで溜息を吐いた。
「あいつら、、、なんでまたこんな嬢ちゃんを引き入れたんだ。」
「引き込まれたわけじゃないわよ。事情があってね。見届けるよう頼まれた。それだけ。」
「そうか。また妙なことになってんな。」
「そうね。」
本当に。実際に目撃したことなんてないけれど、偶然飛び込み自殺を目撃するのと、今から飛び込むから見ててくれと言われて傍観するのとでは、性質が違う。それを、飛び込む側はわかっていない。演劇の演目じゃあないんだ。私はただ、悪趣味にもその偶然を求めていたんだ。それだけだったんだ。
「ま、それでもさっさと帰ることをお勧めするぜ。正直、目に入れて気分のいいもんじゃないしな。それに、、、」
「それに?」
「そいつらはまず戻らない。俺と違って本命担当だからな。獲れはするだろうが、そっからすぐに増援に押しつぶされる。逃げ出しゃ良いかもしれんが、あいつらはそんな気もない。だから、仲良くなったってんなら、なおさらだ。遠目からでも、目撃すべきじゃない。さっさと見捨てて、どっかに行っちまうべきだ。」
少し前だったら、その言葉通りにしただろう。期待通りの言葉をくれたと、思っただろう。でも今ではもう、遅い。決めたのだ。
「あんた、エンソスは、あの三人とは違って悲観的なのね。これっぽちも成功するとは思ってないみたいな口ぶりだわ。」
「まあな。俺は死にたくはねえしな。けど、止めらんねぇな。止まる気がねぇ奴らばっかりだ。」
私と同じく、その行く末を案じているのか、そう語る彼の目じりは下がっていた。
「正直なところ、成功率はどの程度?」
私のストレートな問いかけに対し、すでに飲み干して空になったグラスを手に持ち、口へとわずかに残った数滴を入れる動作を行った。
「最終的には、ゼロだ。」
そうして持っていたグラスをテーブルに置き、答えを返した。
「最終的には、って?」
私の前に置いてあった、まだかなりの量が残っているグラスを自分の方へ、テーブル中央まで引き寄せる。
「ここが今のコルンペーレだ。」
空になったほうのグラスを指して、告げてくる。
「呑気に冬を超えようとして温まってる奴らを、簡単に殺しまわれる。空っぽ。さっきも言った通り、残ってんのは腐っちまってんのばかりだ。今やったみたく、軽く飲み干せる。それなりの被害は出るだろうがな。」
黙って話の続きを待つ。
「で、これがやってくる。」
中央に置いていたグラスを自分の方へと近づけ、空になったグラスの隣に添えた。
「冬の間の休戦が少し前に成った。本隊が前線から帰還している最中。発された命令通り無駄にここまで戻って凱旋。貧国とはいえ、いや、だからこそ、それを守り続けるための数多き実戦。それを積み続けた兵達。強兵揃いだ。」
「それがさっき言ってた増援ってやつ?」
「まあ、特殊なタイプのな。ここの奴らは、そんなある意味危険因子を、長く近くに留めておきたくはないんだろう。そっから一時解散の予定だ。すぐ傍足元、つるはしでつつくまでもなく噴出しかけてる溶岩があるとも気づかずにな。本当に、腐ってやがる。」
それはむしろ、好都合なんじゃないだろうか。
「協力すればいいじゃない。その軍は、少なくとも最前線で戦っている人たちは、上層部と対立してるんでしょ?なんでそうしないのよ。」
「そうだな。」
エンソスは、そのまま直接飲めばいいのにわざわざ私が飲みかけたグラスから、酒精の濃いその見た目水の不味い飲み物を、自分のグラスへと移し変えた。そうして、先ほど見せていたがぶ飲みではなく、ほんのひと口を含んで飲み込みんだ。
「まあ、こういうこった。」
「、、、凍ってたのがその水で溶かされるってこと?それで腐敗に、そうして混じるってこと?」
私の返しに満足したのか、ぱちぱちと拍手を返してきた。
納得できなかった。彼ら三人の目は、凍っていなかった。爛々と、息絶えるかもしれない未来予想を悲観することなく、闘志を燃やしていた。祖国のために戦う兵達も、そんな風に染まるとは思えなかった。
私の方が、彼らを見たこの目の方が、足りない思考の方が、腐っているのだろうか。
「そうだな。あいつらは、若い。だろ?だから腐りも凍りもしてない。ああいうやつらだけで事を成せたなら、その目も十分あるんだろうがな。けど俺は、他の多くの連中は違う。凍ってる。腐りかけ寸前だ。だから俺は事を済ませてさっさと逃げる。本当にそうなりたくはねーからな。その後もどこかで、安穏とみすぼらしい生を続けるつもりさ。」
表情に出ていたのだろう。テレパシーとは思わなかった。
「そんな俺が言えた義理じゃねーが、けど、そんな俺だからこそ、凍って腐りかけてる連中の隙間から漂う腐臭をかげる。匂い立つんだ。わかるんだよ。俺ですらわかる。救国の英雄たちには平気で見透かされる。つぶされる。これ幸いと混乱に乗じて、かっさらわれる。」
感情と経験の混じった論理が、そこにはあった。時期が悪いとか、そんなことはないのだろう。このタイミングしか、無いのだろう。
「俺は、それでいいと思ってるよ。この先今以上に戦の止まぬ国になるだろうさ。負けて滅びるか、勝って繫栄するか。どっちでも変わらん。」
彼が再度のがぶ飲みをしている間を待っても、返しの言葉が出て来ない私に優しく告げて来た。
戦時に首都で混乱が生じれば、影響を与えかねない。滅亡止む無しと考えているものは、このエンソスのように諦観を宿したものは、多くはないのだろう。
ここへと向かう本隊の到着、解散後では、一部残り留まる部隊に対抗できなくなるのだろう。それは本当に無駄死にだ。それを許容できないほどには、このエンソスのように自身の命を惜しむ者が多いのだろう。
そうして必死で考えを巡らせていたせいで何も言うことができない私に向けて、エンソスは再び優しく告げた。
「ただ待ち受ける運命があるだけさ。俺は逃げる。最後にこのくそったれな国に剣を突き刺して、たまった鬱憤を晴らして。それだけさ。」
運命。あの手品師の言うとおり、捻じ曲げられるのだろうか。
「そう、わかったわ。」
その私の返事に満足したのか、最後のがぶ飲みをかまして、飲み干されたグラス。私も、飲み込むべきだ。どれだけ不味くても、かかわった以上、飲み込まないといけないんだ。
意を決して、突拍子もない話題転換を図った。
「話は変わるけど、、、そうね、例えば毎晩、金持ち連中の家からいろいろ盗み出す輩がいたら、どう思う?ここに派兵、されるかしら?警備や防備、増強されるかしら?」
「ねーな。でもそんな輩がいたら、痛快だな。」
目の前に向かい合う、エンソスという名の情報屋はにっと笑った。本日二度目のその笑顔。神秘の水が、凍った彼の体を溶かし始めたようだ。
「ということで、泥棒やることになりました。」
部室内。皆に昨日決めたことを伝えた。
「義賊ですね。かの石川五右衛門の物語のように、貧しいものに盗んだお宝を配るのですね。」
「そんなことしないわ。もらったもんはもらうのよ。」
そう。急に潤いだしたら、すぐ露見する。無いとは言っていたが、危険の種を不用意に撒くわけにはいかない。残念ながらそれで警備を強化させてあきらめさせるのは無理みたいだが、何もせず憂鬱に過ごすことはできない。陸に言われた通り、楽しまないと。
「そうさねぇ。自分で獲ったもん、ばら撒くようじゃねぇ。」
じっとこちらを見つめて私の言に乗る涼子先輩。
「そう、ですね。非業の死は、遂げたくありませんからね。」
「また俺の出番だな。まかせろ。」
幻影極めし男、龍から賛同の意が示された。
「あんたがいちゃー楽勝になっちゃうでしょうが!私はゲーム内でそのスリルを楽しみたいの。そう、そうなの!それだけなの!」
そうして必死に抗弁して、皆を見回す。三人とも、裏に潜ませた私の思いを透かし見たようだった。やっぱり、このメンツには今回は頼れない。少なくとも、すべてが決まるまでは。
夜。静かな世界。今日はこちらでは昼間から雪が降り続いていたのか、コルンペーレの街は新雪に包まれていた。今もはらはらと雪が控えめに舞っている。
高級区画へと赴く。補助効果で増した脚力を生かして塀に飛び乗り、反対側にも人の気配がないことを確認して、境の向こう側へと降り立つ。ザクッと新雪を踏みしめる音が控えめに響いた。
さて、ターゲットはどこにしようか。辺りを見回す。最初に目についた立派なお屋敷。その敷地内の様子を柵越しにうかがった後、それを飛び越え侵入した。




