第6話 四宮キセキ
――いくら四宮キセキでも、今度ばかりは、絶対に無理だろう。
そんな空気の漂う中、キセキは軌道予報室に姿を現して、ラインメーカー所定の席に着く。
「んと、2、3とあと、5~11まで。端末こっちに貰うからね~」
呟きながら、キセキが端末を操作すると、いくつもの壁面モニターの画面が一斉に切り替わった。そこから、その画面は、何を映しているのか分からない程の速さで、次々に切り替わっていく――
「すっげぇ……」
その様子を興味本位に見ていたセイヤは思わず感嘆の声を漏らす。セイヤだけでなく、他の者も、思わず手を止めて、ありえない速さで動く画面に目を奪われる。
これが、他人に向かって、容赦なく役立たずと言い放つ、八雲主任に頭を下げさせる『腕』なのだ。
やがて、息詰まる様な空気の中で、突然キセキが声を出した。
「あと何分?」
それでも、手は動き続けており、その視線は、普通の人間には判別の出来ない速さで切り替わるモニターを見据えている。
「3分20です」
横でモニタリングしている師官が答えると、キセキが口元に皮肉めいた笑みを浮かべる。
「くっそぉー。神様への道のりは、やっぱ遠いな……マドカちゃん、ごめんっ、あともう5分貰う。それで、絶対、ケリ付けてみせるからっ」
――それでも、たった5分オーバーで終わらせるって……充分神様だろう……って、マドカちゃんって、誰?
「了解。それでは、全物流の20%カットで、最終調整。崎杜地図師長補、お願いします」
キセキのその言葉に反応したのは、八雲主任だけで。それはつまり、マドカちゃんっていうのは……
「了解しました。セイヤ」
余計な事を考えていると、師長補に肩を叩かれた。
「あ、はい」
「移送時間に5時間の欠損。物資の移動可能量は、予定の80%だ。第七と第二は、医療品を最優先に変更」
「了解しました」
セイヤが端末の操作を始めると程なく、
「ほい、リンク完了っ」
と、キセキの宣言するような声がフロア内に響いた。その周辺から「お~」という歓声と共に、拍手が湧き起こる。それを聞きながら、セイヤも崎杜に告げる。
「ブロックの組み直し、完了です」
「よし、じゃ、風花さん、各都市のゲートに新しいオーダー表の転送」
「了解。転送します」
データ送信の進捗グラフが画面に表示されて、やがてその数字が100を示す。
「完了しました」
ミツバが言うと、
「御苦労さま」
と、崎杜師官補がにっこりして、二人の肩に手を置いた。
「これで、研修終了だよ。お疲れさま。よく、頑張ったね」
その声に、緊張感が解かれて、セイヤは大きく伸びをした。
「だ~っ」
「あとで、レポート書いて持っておいで。それで、師長のOKがでたら、晴れて見習い卒業だから」
「「はい、ありがとうございました」」
崎杜を見送って、セイヤとミツバは思わず顔を見合わせ、互いにグーパンチをぶつけて拳を交わし合う。
「ねえねえ、今日、帰りに二人でお祝いしないっ?」
ミツバの浮かれた声に、セイヤは口元を綻ばせる。
「あ~悪い。今日は、ちょっと先約があるんだ」
「え~何、先約って」
「うん、ちょっと」
それ以上は、突っ込んでくれるなという時に使う返事を返すと、ミツバがたちまちに口を尖らせる。
「あ、俺、ずっと緊張してたら、何か、トイレ……」
セイヤはお腹のあたりに手をやって、ミツバの方を見る。
「んもう。じゃあ、先に地図師室戻ってるからね」
「おぉ……じゃな」
「ご、ゆっ、く、りっ」
当然ながら、こんなわざとらしいジェスチャーでは、仮病なのはバレバレだろうなと思いつつ、ミツバの背中を見送ってから、セイヤは立ち上がり、軌道予報室を出て医務室の方へ足を向けた。
セイヤが廊下を歩いて行くと、医務室よりだいぶ手前にある休憩スペースに人影があった。こちらに背中を向けて座っていたが、それが穂凪ナナミであると、セイヤにはすぐに分かった。
彼女は飲料水のボトルを手にして、俯いてそこに座っていた。でも、その中身を飲んだ様子はなく、恐らくそれは、頬を冷やす為に買ったのだと思われた。セイヤが近づいても、彼女は身動き一つせずにそこに座っている。少し考えてからセイヤは、自分も自販機で飲み物を買い、取り出し口からそれを取り出すと、ナナミの前に立った。
「……隣、座ってもいいですか?」
声を掛けると、ナナミが俯いたまま、目線だけ上げた。
「ああ、何だ、霧月くんかぁ……」
ほっとしたように言った声は、でもいつもの凛としたものではなく、その声に少し湿った気配を感じて、セイヤは表情を固くする。それでも、平静を装ってナナミの隣に腰を下ろす。
「医務室……行かなかったんですか?」
「うん……」
「どうして?」
「だって……私のせいで、あんなことになったのに……結果が出るまでは……って思って」
「あんなの、全部ナナミ先輩のせいって訳じゃないでしょう」
「……私のっ……せいなの……」
何かを訴えるようなナナミの声は震えていた。
「どうしてですか。先輩は……」
「私は、八雲主任に、端末には触るなって……言われてたのに……触っちゃ、いけなかったのに……」
ナナミはそこで声を詰まらせて、唇を噛んだ。
涙を堪えているのだと思ったら、それ以上は聞けなかった。
――触るなって、何だよそれ。ただの嫌がらせなんじゃないのか。
八雲は、優秀なナナミを自分の補佐官に付けて、良いようにコキ使っている。傍から見ると、そういう風にしか見えない。
「……」
途切れてしまった会話の糸口を見つけられずに、セイヤは飲料水の口を開けて一口飲んだ。そこへ人が通り掛かり、ナナミの脇を通り過ぎた所で足を止めた。
「ああ、やっぱり、ナナミちゃんだ」
そう声を掛けたのは、四宮キセキだった。
「どうしたの?こんな所で座り込んで、また、具合悪くなった?」
気遣うようにキセキにそう言われて、ナナミが慌てたように首を横に振った。
「……いえ……大丈夫です」
「って、泣いてんじゃん」
キセキはナナミの前に屈みこんで遠慮なくその顔を覗き込み、たちまちセイヤの方に厳しい顔を向ける。
「キミが泣かしたの?」
「ちっ、違いますよっ」
「んじゃ、またマドカに怒られたのかな?」
「違うんです。私が悪かったからっ」
「な~んだ、ビンゴか。ごめんね、マドカも一生懸命だから」
――何だか、すいぶん訳知りっていうか。
セイヤがそんなことを思いながら、複雑な顔をしている目の前で、キセキがいきなりナナミの体をふわりと抱き寄せた。
――な~っ。こういうのは、目のやり場に困るっていうか。第三者がいるとこでやらないで欲しいっていうか~~
思わず顔を背けたセイヤの横で、キセキの声がする。
「大丈夫、キミのせいじゃないからね」
ただ一言、それだけ言うと、キセキは立ち上がった。
「キミさ、彼女、医務室に連れて行ってあげて。ここ、熱持っちゃってるから。ちゃんと冷やさないと、可愛い顔に痕残っちゃうと大変だから。よろしくね、んじゃ」
にこやかに手を振って、キセキはそこから立ち去っていく。
「って……あのっ……」
「霧月くんは仕事に戻って。大丈夫、一人で行けるから」
ナナミはそういって立ち上がり、また無理やりに笑顔を作った。頬を腫らした顔で、それはかえって痛々しくて。
「でも、やっぱり一緒に……」
思わず言い掛けたが、ナナミが、もういいというように手を振った。それは、遠回しにだが、間違いなく拒絶を示していた。そこにセイヤを残したまま、ナナミは医務室の方へ歩いていく。
こちらを振り返りもしないのは、やはりこれ以上、関わって欲しくないという意志表示なのか。彼女にしてみれば、こんな無様な姿は、見られたくなかったのかも知れない。そう思うと、セイヤにはナナミを追い掛けることが出来なかった。
何となく、どんよりとした気分を抱えて、冴えない顔をしたセイヤが地図師室に戻ると、顔を合わせる人合わせる人に、「お腹大丈夫?」と声を掛けられた。どうやら新人君は、緊張のしすぎでお腹を壊したらしいと、すっかり地図師室中に、そう広まっていた。
――ミツバのやつぅ……
嘘を付いた自分が悪いには違いないのだが、どうにも腹立たしい。ミツバは本当にセイヤの嘘を信じたのだろう。だが、この時ばかりは完全に、素直で単純な彼女の性格が裏目に出た形だ。
「お~霧月、戻ったか?」
セイヤの姿を見つけた地図師長、崎杜カズマから、さっそく声が掛かる。ちなみに、この人物は、崎杜師長補の兄である。
「あ、はい。只今戻りました」
「おお。お疲れさん。レポートは体調戻ってからで良いからな」
その口元が、意味ありげににやけている。
――分かってるよなっ?この人は、分かってて言ってるよなっ!?
「いえっ、大丈夫ですっ。今日中にちゃんとやりますっ……」
「無理しなくていいぞ~」
そんな言葉を真に受けたら、後が怖い。セイヤは慌てて自分のデスクに付くと、仕事に取り掛かった。
――そう言えば……
レポートを作りながら、セイヤはキセキの言葉を思い出す。
――また、具合悪くなった?
また、具合が、悪い。
もしかして、ナナミはどこか体が悪いのか?
それなら、ちゃんとした仕事をさせて貰えない理由にはなる。
――う~ん。気になる……。
自分なんかには、関わって欲しくない事情なのかも知れない。それに、自分はキセキの様に、彼女を慰めることが出来る程、親しい間柄でもない。自分が何か、彼女の役に立つのかと言われれば、そこに、はっきりとした答えもない。
――けどっ。このままじゃ、色々……
気になり過ぎて、落ち着かない。
――やっぱ、行ってみよう。
仕事が終わったら、ナナミ先輩の所へ。お見舞いだと言えば、一応、口実にはなるだろう。奇しくも、ミツバの誘いを断る為に口にした先約が、これで出来たことになった。