第32話 その花の名前
「……でも……私が許してあげていたら、きっと……マイさんは死なずに済んだんだよね……」
「……ユノ」
「私、酷い娘だったよね……マイさんのこと責める資格なんてないよね……私だって自分のことしか考えていなかったのに……」
「そんなことないぞ、ユノ。お前は最後まで、マイさんの側にいてあげたんだろう。そして今でも、門倉ミアでいるんじゃないか」
「……」
「……それで……充分だろう」
「お兄ちゃん……」
――最後の言葉は「ありがとう」だったのだから。
「お前がそばにいて、きっとマイさんは幸せだった」
「そう…… かな……」
「俺が言うんだから、そうに決まってる」
「……うん」
ふと、心地が良くてほっとするような感覚がに包まれる。言いようもなく懐かしい――
――そう……
何の根拠もないのに、幼い頃から、この兄がこうと言えば、様々な問題はそれで解決した。
自分にとって、絶大な安心感を与えてくれる存在。
それが、霧月セイヤ……ユノのお兄ちゃんなのだ。
「それからっ。お前がどう思っていようが、名前がどう変わろうが、世界がどう変わろうが、お前が俺の妹だってことは、絶対に変わらないぞ。誰が何と言おうと、お前は俺の妹、ユノなんだからな」
「……うん」
お兄ちゃんがそう言えば、それはもう確定事項。そう思ったら、何だかおかしくて自然に笑みが零れた。そんなユノの様子に、セイヤも安堵の笑みを浮かべている。
とそこへ、パンパンパンとわざとらしい拍手の音がする。
「流石です、お兄様」
――やっべ。この人の存在を忘れてたし。
「だ~っ、だから、お兄様はまだ確定じゃないでしょうがっ」
「いや、お相手がセイヤくんの妹さんだって言うなら、もう僕に断る理由なんてないじゃないですかぁ~」
キセキが幸せいっぱいに緩み切った顔で告げる。
「え、あ……そか。お見合いしに来てたんでしたね、私たち」
ようやくユノに見合いの相手だと認識してもらって、キセキは満面の笑みと共にその手を取る。
「そうっ。僕が四宮キセキです、よろしく」
「あ、はい…… 一応、門倉ミアです。よろしくお願いします」
「んじゃ、そういうことで、お兄様、若い二人はさっそくデートと参りますので」
「え、いや、ちょっ、ま……」
引き止める間もなく、キセキはユノの手を取ったまま、軽やかに歩き去って行く。時折ふたり視線を合わせながら、笑顔を交わしながら、それはとてもいい感じ……
「って、おいぃっ! いきなり手ぇ繋ぐとかって、ナシですから~っ」
そんなお兄ちゃんの言い分は、当然のことながら無視された。
――お見合いっていうのは、気に入らなかったら、断って構わないんだよな?……気に入らなかったら……
五年ぶりの妹は、兄の目から見ても随分とかわいくなっていて、もうすっかり大人びた感じで、あんな風に彼氏と並んで歩いていても、何の違和感もないって――
もの凄い寂寞感が胸に押し寄せた。
――ちくしょう、なんか泣きそうなんだけど。
「セイヤくん……」
「ふぇ?」
呼ばれて振り返るとそこには。
「ナナミさんっ? え、なんでっ??」
「父のお見舞い。で、今日が例のお見合いだって言うから、気になって様子見に来ちゃった……あら、何だか……キセキさん、嫌がっていた割には、いい雰囲気……」
「そんなこと、ありませんからっ」
「え?」
セイヤの不自然なまでの嫌がりように、ナナミが何かを納得したように、ああ、と笑みを漏らしながら向かいの席に座る。
「……もしかして、そういうこと?」
ナナミが言うと、セイヤが憮然とした顔になって、拗ねたようにテーブルに突っ伏した。
「仕様がないお兄ちゃんだこと」
そんな言葉と一緒に、頭にふわりした手の感触が来て、そのまま子供のように頭をなでなでされる。
――ああ、やっぱり。
子供扱いなんだよな、と思う。
これはこれで……こういうのも嬉しくない訳ではないけれど……。何だか色々ありすぎて……きっと疲れているのだろう、自分は。そんな言い訳をしながら、ナナミの手の感触の心地よさに、なすがままにされていると、
「……何か、あった?」
と、ナナミの穏やかな声が、そっと耳元に届く。
刹那、硬直していた気持ちがふっと緩んで、いきなり涙が込み上げた。経験のないことに、セイヤは慌てながら涙を押し込める。そして、一呼吸置いて体裁を繕ってから顔を上げる。
「……いえ。大丈夫です」
「……そう? なら…… いいけど……」
「あのっ……」
何だかもう、やけになっていた。落ち込みついでに、不合格の通知も貰ってしまえと思う。
「今ここで、あの返事、してもらっても構いませんか?」
そう告げると、ナナミが少し困ったように瞳を伏せた。
「……」
――ハイ、即答OKじゃないのはもう確定……みたいな?
湖面を渡って来た清涼な風が、ナナミの髪を揺らす。と、辺りにふわりと花の香りが立って、セイヤのいたたまれなさに拍車を掛ける。
――スミマセン、もう、ダメならダメで、さっさと楽に……
「……セイヤくんは」
「え? あ、はい?」
ナナミの真剣な目に、自分の姿が映っている。
「私と居て、窮屈じゃない?」
「は? ……いや、そんなことは全然ないっていうか……何でそんなこと……」
「何ていうかねぇ……セイヤくんて、よそよそしいのよ。距離を感じるの。言葉遣いだって、いつも敬語でしょう?」
「え……いやだって、そこは一応先輩な訳ですから……敬語とか、普通使うでしょう」
「うう~ん……違うな。言葉の問題じゃないかも。同じ先輩でも、マドカさんとかキセキさんとかだと、もっとこう打ち解けてるっていうか……冗談いったりツッコミ入れたりとか、困った時には相談なんかもしたりして……そういうの、私には全然ないわよね?」
――だって、それは。
「私、自分でもね、変に堅くて融通利かないトコがあるのは自覚してるの。だから、話しづらいのかなって思うけど……でも何だか私のトコだけいつも遠慮されてるみたいで。そういうの悔しいっていうか……私だけ仲間外れでズルイっていうか……」
「そんなの……当たり前じゃないですかっ! ナナミさんは特別なんですからっ!」
「え……」
「男は好きな子の前で無様な姿なんか見せたくないんですよ。見栄だって張りたいんですっ、分かりますか?」
ナナミがセイヤの勢いに圧倒されたように目を見開いている。ややあって、その口からふふっと笑みが零れた。
「……そう……なんだ」
「そうなんです」
憮然として応じるセイヤに、申し訳なさそうな顔をしながらも、ナナミの笑いは収まらない。
「……ひどいですよ……ナナミ先輩は……」
「だって、セイヤくん、私なんかより、キセキさんとかといる時の方が、楽しそうなんだもの……そういうの端で見てると、もう、ズルイなぁって思って……」
「……それって、ヤキモチなんじゃないですか?」
「うん、そうかも」
半ば投げやりに言った言葉に、予想外に肯定の言葉が返って来た。
「……ナナミさん?」
「私の名前は、ナ、ナ、ミ。たった今から、さん付けも先輩も禁止」
顔の前に指でバツを作って、とびきりの笑顔でそうダメ出しをされた。
そう。たった今――
ココに世界で一番きれいな花が咲いた。
【 ソラに花の咲く午後 完 】




