第30話 本当のこと
二人が指定された湖畔のレストランに着くと、オープンテラスに少女が一人、こちらに背を向けて座っていた。
「あの子、ですかね?」
セイヤが尋ねると、返事の代わりに、キセキが大きく息を吐くのが分かった。
「……今更ですけど、写真データとか貰わなかったんですか?」
「え? ああ……そう言われれば……」
キセキがすでに上の空で答える。
――それって、やっぱり結果ありきのセッティングってことだよなぁ……
キセキは話だけ聞いて断るつもりで来ているようだが、断るという選択肢は、初めから用意されていないということなのではないか。まあ、この人のことだから、その気になれば家出でも何でもするんだろうけれど、半分は自分のせいでそういうことになるのだとすれば……
―― 申し訳ないっていうか……
「こんにちは、門倉ミアさん?」
セイヤがぐちゃぐちゃと考えごとをしている間に、少し離れた場所からキセキが少女に声を掛けた。ぼんやりしていたのか、声を掛けられた彼女はハッとしたように顔を上げて、こちらを向いた。
――その瞬間。
「……どうして……」
信じられないというように彼女の声がそう言った。その声は少し震えていた。そしてそれはキセキではなく、セイヤに向けられたもので、言われた方のセイヤはその彼女の顔を見据えたまま固まっている。
その理由をキセキはすぐに理解した。彼女には壁画の少女の面影があったからだ。
「……ええと、もしかして、ユノちゃん?」
その名を告げられて、彼女は見るからに狼狽したような顔をして勢いよく首を振る。
「……違います。私は……」
「……ユノ……」
セイヤが絞り出すような声でその名前を呼ぶと、彼女がびくりと身を竦めた。
「……何やってんだよ……お前……ホントに何やって……俺がどんだけ……心配したと………」
張り詰めていた糸が切れてしまったのだろう。力が抜けたように、セイヤは手を付いてその場に座り込む。
「お前……何でこんなとこにいんだよ……ミアなんて偽名まで使って……」
「……偽名なんかじゃない。門倉ミア、それが私の本当の名前だもの」
「えぇ?……」
――ソレガ、ホントウノ、ナマエ
こいつ今、そう言ったのか?セイヤが呆然として顔を上げる。
「なに……いってんの?……おまえ……」
――こいつはユノなのに……何でユノじゃないなんて……言うんだよ。
訳が分からない……。
大きな困惑のなかで、どうやら自分は、目の前の彼女から拒絶されているのだということに気づく。そして、絆を断ち切ることを望んでいる彼女の手によって、その理由が容赦なく突きつけられる。
「だって私は、門倉ミアなんだもの……私たちの幸せを壊したあの人の……門倉マイの娘なんだもの」
「……お前」
目に涙を一杯に溜めて、そう訴える彼女に、セイヤは言葉が出ない。必死に感情を押し込めようとしているのが傍目にも分かる。でも当人の思いとは裏腹に、堪えようとすればするほど、大粒の涙が頬を滑り落ちていく……
そんな姿を目の当たりにして、五年という時の隔たりなど無かったように、そのスイッチは簡単に入った。
――何やってんだ、俺は。全く……泣かしてどうするよ。
迷惑だと思われようが何だろうが、こいつが自分の妹である限り、自分の中の兄の部分がそれを放っておくことなど出来ないのだ。セイヤは立ち上がると、目の前の小さな肩をそっと抱き寄せた。
「……ごめんな。お前だって、この五年、一人で頑張って来たんだよな……もう、大丈夫だから……大丈夫……もう俺がここにいるから。もう……ひとりで我慢しなくていい」
セイヤの言葉に、腕の中の小さな体が肩を震わせて幾度もしゃくりあげる。そんな彼女を宥めるように、彼はしばらく、その背を優しく叩き続けていた。やがて――
「お兄……ちゃ……」
腕の中で吐息のように微かに、そう呟く声がした。
「……何があった?」
涙が収まってようやく少し落ちついた感じのユノに、セイヤが優しい声で訊く。
「あの時、俺たちがゲートで離ればなれになってから……一体……」
「……あの日……」
ユノが俯きながら、記憶を辿るように話を始める。
「私は、マイさんと一緒に、搭乗手続きが始まるのを待ってた……そしたら、搭乗口で何か騒ぎが起こって、それに気付いたマイさんが、怖い顔をして今日はコンテナに乗れなくなったからって、そう言って、私をゲートから連れ出したの。私は、お兄ちゃんたちを待ってるって言ったのに、聞いて貰えなくて、そのままお父さんの研究所へ連れていかれて……」
「ああ、やっぱりキミはコンテナには乗らなかったんだね」
キセキが言葉を挟むと、ユノが頷く。
「そして研究所へ行ったマイさんは、あなたのお父様、四宮トウゴさんに連絡を取った」
「僕の父に……?」
「シンゴさんが司法府の人間に捕まってしまった。自分は是が非でも、彼を助けたい……彼女はそんな話をしていたわ」
――シンゴさん。
その呼び方にセイヤは違和感を覚えた。
マイさんは普段、父さんのことを博士と呼んでいたのではなかったか。
「あなたのお父様は、マイさんがやろうとしていたことに反対していたようだったけれど、彼女は引き下がらなかった。自分はシンゴさんがやっていたのを何度も見ているし、やり方は分かっているから、絶対、大丈夫だからって……コンテナはマニチャトゥーラに送るから、シンゴさんを助けてくれって……」
ユノの話に、キセキが驚愕の表情を浮かべる。
「……それは、彼女がやろうとしていたのは、まさか……刻印の書き替え?」
「ええ……」
ゆっくりと、ユノが頷いた。
あの時――
研究室内に不気味に響き渡っていたエラー音は、今も生々しく自分の頭の中に残っている。目の前で何が起こっているのか、まだ十歳の自分には分からなかったが、只事ではないマイの切迫した様子に恐怖すら覚えた。自分はただ部屋の隅で、縮こまって震えていた。
何かに憑かれた様に無心に端末を叩き続けるマイに、やがて通信モニターの向こうから、四宮トウゴが怒鳴りつけるような声で言うのが聞こえた。
「よせ、時間切れだ、マイ。この刻印速度では転送シークエンスの開始には間に合わない。今すぐ刻印を元の設定に戻せ」
「イヤ……もう少し……もう少しだから……」
「止めるんだ、マイ、これ以上はもう……」
「ダメよ。だって私たちは、こんなことで彼を失う訳にはいかない……失う訳には……いかないのよっ……」
マイの悲痛とも言える叫び声の直後、まるでその思いを拒絶するように、全てのモニターがエラーを表示して沈黙した。
「……一緒に夢を叶えようって……あなたが言ったんじゃない……」
呆然としながら、呟くようにそう言って、マイはその場に崩れ落ちた。
自分たちはその後、トウゴの指示を受けて来たという男に連れられて研究所を後にし、しばらく身を隠すことを余儀なくされた。
――それが、あの事故の原因か。
キセキは天を仰く。
刻印が確定していないことに気づかずに、転送が開始されてしまえば、コンテナはどこに飛ばされてもおかしくはない。だから恐らく、ギリギリの所で、門倉マイは、書き替えのキャンセルをしたのだろう。そして最初の設定通り、コンテナはポーラエーカに転送されはした。だが、そのことが、逆に被害を大きくすることになった。急なプログラムの変更はシステムに負荷を与え、転送座標に僅かな誤差を生じたのだ。その僅かな誤差のせいで、コンテナはゲート本体に衝突することになった――
――見捨てた訳ではない。
父のあの言葉に含まれていた怒りの感情は、大切な者を救うことが出来なかった、自身の無力さへの憤りだったのだと気づいた。そして父もまた、この子を保護し守ることで、それに対する償いをし続けていたのだと。




