第23話 二人の妃
「書架奥の人たち、最近遊んでばかりいるみたいですけど……」
書架整理から戻って来たクルミが、半ば呆れたような口調で言った。情報収集のためなのか、ちょくちょく部屋を覗きに行っているらしいのだが、近頃、全く収穫がないらしい。
ハジメがさりげなく様子を見に行った時も、彼らは三次元チェスに興じていた。そろそろ手詰まりなのかと思う。数百年掛かっても解けない謎は、そうそう簡単には解けないということなのか。
――奴らを、買い被り過ぎたかな。
そんなことを考えながら、ふと窓の外に目をやると、風花ミツバが大きなバスケットを抱えて、フロアを横切っていくのが見えた。
セイヤたちの休みは不規則だから、ミツバは自分が休みの時には、ああして、差し入れ持参でやってくる。セイヤの気を引きたいのだろうなと思う。健気というか、一生懸命というか……それでも、他の方へ気が向いているセイヤは、そんなミツバの気持ちに気付いていない。というより、気付かない振りをしている。早く楽にしてやればいいのにと、傍で見ているとそう思う。だがそれも、当事者でないから言えることなのかも知れない。結局、自分のことは、なかなか客観的には見られない。
ハジメの視線はいつの間にか、そこで書類を作り始めたクルミの上で止まっていた。
行政府現最高顧問の娘。
本来ならば、こんな場所で司書などしている人間ではない。それが、本が好きだとか、そんな当たり前過ぎる理由でここに来て、当然の成り行きのように、ハジメに好意を示すようになった。好意を持たれて悪い気がしないのは、まあ、男のサガというものだが、それでも、そんな出来過ぎな状況に、警戒心を持たない訳ではなかった。
注意深く見ていれば、クルミが館内の持ちだし禁止のデータを密かにコピーしていることもバレバレだったし、ハジメの端末を触った形跡も、たびたび見つけた。まあ、本当に見られて困るようなものは、そんな所には置いていないから、それについては気付かない振りをして、たまにクルミの好意を真に受けた振りをして、恋人の真似ごとのようなことをしていた。それは、互いに承知の上で楽しむゲームのような感覚だった。もちろん、本気ではなかった。クルミだってそうだろうと思っていた。
だが、途中から、それが分からなくなった。クルミは本気で自分を好きなのではないかと、そんな風に感じ始めた。クルミの態度は、次第にハジメの警戒心を解き、いつの間にか、その心の中に入り込んでいた。それでも、仮にクルミが本気なのだとしても、自分は本気にはならない。あくまで、情報源として利用するだけだと、そう思っていたのに……
あれは二妃家の娘だから、手放せと改めて言われて、素直にそう出来なかった。手放すには惜しいと思ってしまった理由は、大事な情報源だから……だけではないのかも知れない。
――まさか、惚れてる?……この俺が?そんな馬鹿な……
視線を感じたのか、クルミが顔を上げて、花のような笑顔を見せる。その表情に、思わずドキリとさせられる。行政府とは手を切らせて、彼女をこちら側に引き込むことは出来ないだろうか。気が付けば、そんなことを考えていた。
書架奥の人々は、ミツバの来訪を喜びながらも、資料との格闘に、すぐにはケリが付けられない状況を呪う言葉を吐きながら、一刻も早くランチにありつけるようにと、仕事に精を出した。
そんな様子を少し離れた所から眺めて、セイヤがあまりにもそこに馴染んでいることに、ミツバは何となく不安になる。
セイヤはいずれ、地図師室に戻ってくる。ミツバのいる場所に。だって、そこが、彼の選んだ仕事場で、地図師という天職を全うする場所なのだ。だから、自分は、かなり無理をして、セイヤの後を追いかけた。一緒にいたくて、猛勉強して、地図師の師官章を手に入れたのだ。
――戻ってくるよね。
ここは、あくまでも、臨時の、一時的な、仮初めの場所。
そう心に言い聞かせても、ナナミと頭を付き合わせて、資料を読んでいるセイヤの姿に胸が痛む。幼馴染という理由でも、そばにいたから、一番身近な存在でいられた。でも、今、彼の隣にいるのは、自分ではなくて……。
「……うほほ。僕ってやっぱり、天才かも」
いきなり、キセキが歓喜の声を上げた。一同が、何事かと手を止めて、一斉にそちらを見る。
「8駒プログラム完成~っ! で、これをこっちに繋げて~」
みんなが見ている前で、キセキが軽快に端末を叩く。その様子に、何かに気付いたようにマドカがいきなり立ちあがる。その勢いで椅子が音を立てて後ろに倒れる。
「キセキ、あんた、ちょっと待ち……っ」
その声に被さるように、キセキの陽気な声が響く。
「リロード!」
魔法の呪文のように、その言葉を放ったキセキの指は、端末のエンターキーをしっかりと押していた。
「お前……今、何した……?」
隣に座っていたカオルが、キセキのモニターを覗き込んで、顔色を変えた。その様子が、見るからに普通ではない。
「……どう……したんですか?」
セイヤがおずおずと訊く。が、その答えはすぐには返って来なかった。
「……っと」
マドカが気を取り直す様に、一呼吸置いた。
「……お昼に、しましょうか」
「あ、はい……でも」
そのままでは、セイヤが納得しないと感じたのか、マドカがため息をついた。
「キセキ、説明、してあげなさい」
「え?ああ……だから、軌道予報室の端末に繋いで、予報に使われるデータベースを8駒プログラムで書き直した」
「え……」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「凄いよ~、これ。今まで、計算のたんびに出てた誤差が全然出ないから。これで、今後の予報は外れなしだね。セイヤ、これでキミの仮説は証明されたことになるよ」
「って……行政府の端末に、無断で入り込んで、おまけにプログラム書きかえちゃったんですかっ?」
「うん」
キセキがにこやかに言う。
つまり、それが罪に問われる行為だということの自覚はないらしい。
「大丈夫なんですか……」
――そんなことして。
「大丈夫、大丈夫。これで、予報エラーなんてきれいに無くなるから」
「いや、そういう問題じゃなくてっ……」
「やってしまったものは、仕方ないから。とりあえず、お昼食べておきましょうか。午後は、多分忙しくなるだろうから」
マドカに促されて、ミツバがランチの準備に取り掛かり、ナナミもそれを手伝った。机上の書類は、もうそこで仕事はしないのだと言うことを感じさせるように、一つ残らず片づけられた。
そうして食事は始まったものの、どことなく落ちつかない空気に包まれて会話も弾まない。気を使って場を盛り上げようとしていたミツバも、次第にひとり空回りしている感じが辛くなってきたのだろう。やがて彼女が話すのを諦めてしまうと、そこは本当にしんとした静かな食事の場になった。
一同が何となく予想した通り、食事を終えた頃に、彼らの元へやってきたものがあった。それは、先般、シュウヤを連れて行ったのと同じ司法府の人間だった。ただ、彼らを先導して来たのが、いつも図書館で顔を合わせていたクルミだったことは、予想外であったが……
「全く、とんでもないことをしでかしてくれたわね、あなた方は」
開口一番そう言ったクルミのセリフは、彼女が司書ではなく、司法府の人間であるのだということを伺わせた。
「世界に変革をもたらす行為は、いかなるものであっても、許されるものではないのよ。よって、我々はあなた方を拘束します」
「ちょっと待ってよ」
クルミの言い分に、異議を唱えたのは、キセキだ。
「僕たちは、上から言われて、予報が当たらない原因を突き止めたんだよ?それなのに、なんでそういう理不尽なことになるのさ」
「あなた方の仕事は、原因を突き止めること。それだけで良かったの。その結果を報告もせず、軌道予報室のデータ改ざんを行うなどもってのほか……」
「それが、この世界のためになることだとしても?」
「それを判断するのは、あなた方ではなく、最高幹部会議です」
有無を言わせずにそう断言したクルミに、キセキは憮然とした表情で押し黙る。
「クルミ……」
そこへ、そこで何かが起こっている気配に気付いたハジメが姿を見せた。
自分の名前を呼んだハジメを見据えたクルミは、もういつものクルミではなく、その纏う雰囲気までも、まるで別人のようで、ハジメは戸惑った顔になる。
――これが、本当のお前か。
不動ハジメに恋している、二妃クルミというキャラを、彼女はそこまで完璧に演じていたのかと思う。しかし、意外なことに、そこに現れたのは落胆ではなくて、むしろどこか嬉しいような複雑な感情だった。その本当の姿も、自分は嫌いじゃないような気がする。
――重症だな。完璧に、持ってかれてる。認めよう、完敗だ。今回は…。
口元に皮肉を帯びた笑みを浮かべたハジメを、今度はクルミの方が怪訝そうな表情で見る。
「世界はもう、変わる時期に来ているんだ」
「なに……」
クルミだけでなく、他の者も、ハジメのその言葉の意味を図りかねている。
「だから、ここで彼らを、頭の堅い連中に渡すわけにはいかないってことだよ」
言ってハジメが、いきなり壁の非常ベルにその拳を打ちつけた。
「来いっ、セイヤ」
耳をつんざく様な警報音に、クルミたちが気を取られた隙に、ハジメはセイヤの腕を掴んでフロアを駆け抜けた。それを見て、その場にいた者達は訳のわからないまま、慌ててその後を追いかけた。その後ろで、防火用の隔壁が次々に落下を始める。一呼吸遅れたクルミたちは、それに阻まれて、追うべきものを見失った。
――無駄なことを。そんな所に逃げたって、袋のネズミでしょうに。
「事務室へ行って、警報のスイッチ切って。それから、本部に増援要請。建物の周囲を固めさせなさい」
クルミの指示に、部下が周囲に散る。そんな騒然とした雰囲気の中で、ひとりミツバだけが呆けたようにそこに座っていた。
「……あなたは、行かなかったのね」
気になって何となく声を掛けると、ミツバが顔を上げて力ない笑みを浮かべた。
「私には、行く理由がないのかなって……思って」
自分はそこで躊躇した。その一瞬のためらいは、容赦なくセイヤとミツバとを隔てた。
普通に恋をして、普通に家庭を作って、普通に年を重ねて。そんな人生を思い描いていた。そんな未来図の中で、自分の隣にいてくれるのが、セイヤだったらいいなと。そんな夢を描いていた。
世界の変革に関わることなど、自分には想像すら付かないのに。いつの間にかセイヤは、その真っ只中に足を踏み入れていて、更に遠くに走って行く。セイヤの隣に居続けることは、自分が描いていた、普通の夢を捨てるということになるのだと、そう気付いた。自分たちはもうすでに、別々の道を歩いていたのだと。
――あたし……いつの間に、置いて行かれちゃったのかな。
胸にこみ上げる寂しさに、止めようも無く涙が溢れ落ちた。
クルミはそんなミツバに背を向けると、鳴り響く警報を聞きながら、自分とハジメを隔てた隔壁を改めて見上げる。現実ではなかった筈の恋の余韻に、気持ちが微かに揺らされた。思いがけない感情に自嘲する。
――まだまだ甘いな、私も。
二妃家に生まれた者として、いずれはあの母の後を継ぐ。そして自分は、この世界を守る柱となるのだから。もっと、強くならなければならない。そんな決意を胸に、クルミは壁に背を向けて、現実の自分へと戻って行った。




