第21話 三次元チェス
セイヤが山ほどの資料の片付けを終えて書庫から戻ると、軌道予報調査室のメンバーは、まだ勤務時間内だというのに、休憩状態に入っていた。
併設されている小さなキッチンでは、ナナミが良い香りを立たせながら、コーヒーを淹れている所だった。
「どうしたんですか? まだ、三時には早いですよ」
セイヤが声を掛けると、マドカが肩を竦めた。
「今日は、朝から飛ばしてたから、その反動で煮詰まっちゃってね~」
「煮詰まっちゃった……ですか」
セイヤは思わず苦笑する。確かに、今日はいつもより空気が張り詰めていた。こちらも気安く声を掛けることが憚られるような、ピリピリとしたような感じだった。いきなり、何をそんなに意気込んでいるのかと思った程だ。
「そういえば、今日読んでる資料って、あの事故の報告書の類が多いみたいですけど……」
朝からずっと気になっていて、でも、そんな空気のせいで聞けなかったことを、ここぞとばかりに聞いてみた。
「……ああ。結局、あの事故の時が、予報誤差が一番大きかった訳だから、そこをもう一度さらってみたら何か出るかしらとね。思った訳なんだけど。これがなかなか困難が山積みで……」
「困難?」
「キセキが言うには、データの改ざん跡があるんですって」
「それって……」
「誰かが、何かを隠したかった。ということになるのかしらね。とりあえず、都市移動の元データから、もう一度あの日の正しい予報データを計算し直してるところよ。それが出れば、何を隠したかったのかぐらいは分かるのかなって。まだまだ先は長そうだけど……」
――世界を変えるのは、一筋縄ではいかないってことかしらね。
そんな心の声はもちろん、声に出して言う訳にはいかなかったが。
「……もし、それが分かれば、あの事故の原因が分かるかも知れないってことですか?」
セイヤの言葉に、こちらのやり取りを聞いていたらしいナナミが、表情を強張らせる。
「そこまで辿り着けるかは、やってみないと何とも言えないけど。私は、行けるところまで、行ってみようと思ってる」
「……」
「そうそう、あなたに聞きたいことがあったんだった」
「何ですか?」
「あの事故で亡くなった霧月シンゴ博士って、あなたのお父さん?」
「……そうですが」
「なら、あなたは、どうしてお父さんと同じコンテナに乗っていなかったの?」
「それは……」
あの前日、学校から帰ると、父親からいきなりポーラエーカ行きを告げられた。元々、ミツバの家が、転勤でポーラエーカに移ることになっており、セイヤはゲートまで見送りに行くつもりでいた。セイヤはそのミツバの家族と一緒に、コンテナに乗れと言われたのだ。
ポーラエーカ行きは、自分の仕事の都合で急に決まった話で、まとまった席は取れなかったから、空きのあるコンテナに、別々に乗らなければならないのだという話だった。だから妹のユノも、父親の仕事の助手をしていた女性と一緒に、違うコンテナに乗ったのだ。
その時は、シャトゥラーラのゲートでの別れが、最後になるなんて思いもしなかった……。
――いつか、お前に星の海を見せてやるから。
ふと、幼い頃に良く聞かされた、父親の口癖が記憶の奥底から浮かび上がった。止めようも無く、懐かしさと切なさが胸に広がる。
「そうだったの……ごめんね、辛いこと思い出させたわね」
話をするうちに波立ち始めた感情を、表には出さないようにと、気をつけたつもりだったが、マドカに気遣うようにそう言われて、ナナミほど上手く感情を誤魔化せなかったのだと思う。
「いえ……」
少し気まずい思いを抱きながら、短く答えると、間合いを測ったように、ナナミがコーヒーを差し出してくれた。その香りにほっとする。コーヒーに口を付けながら、資料の山の向こうにいるカオルとキセキの方へ、コーヒーを運んでいくナナミを目で追う。
―― あの答え……まだ当分掛かりそうなのかな……
付き合って欲しいと、ナナミに告げた。今はまだ、頼りないかも知れないけれど、彼女と一緒にいれば、自分は何でも出来そうな気がする。同じ痛みを知っているから、自分ならきっと、その心のそばに寄り添うことが出来るだろうと思うのに……。
そんな先物買いを躊躇させるのは、彼女が堅実過ぎるからなのか。それとも、彼女の目には、自分はそこまで頼りなく映るのか。後者だとしたら、だいぶへこむ。それでも、その場の勢いで、答えはいつでも構わないと言ってしまった手前、大人しく待っているしかなかった。
「うきゃ~っ」
いきなりキセキが、素っ頓狂な声を上げてお手上げのポーズを取った。驚いたナナミがコーヒーを落としそうになって、慌ててトレイを押さえた。
「何て声出してるのよ」
マドカが呆れた顔をする。
「いや、だってっ……こんな負け方するなんて、有り得ないんですけどぉ」
「秘技、大どんでん返しっ」
カオルがさも愉快そうに言って、ナナミの手のトレイからコーヒーカップを取った。
「……三次元チェスですか?」
セイヤが資料の山の向こうを覗き込むと、そこにはどこから持ち込んだのか、立体のチェス盤が置かれていた。
「も~これ、1ターンで、全滅って、絶対有り得ないと思わない? もう1ターンあれば、僕の方が勝ってたのに」
カオルが、通常ではあり得ないトリッキーな手で盤上の駒を総取りしたらしく、それに納得がいかない感じのキセキが愚痴る。
「……あれ、でも、取られた駒って、6個ですよね? 後、2個は……」
「2個?」
「え、だって、これ、駒の種類って8つありませんでしたっけ?」
「8つ? え? それ、どこのローカルルール? シャトランガったら、6駒編成でしょ。だから、『シャトランガ=6要素』って名前なんでしょ?」
「……へぇ。シャトランガっていうんですか。俺が、父さんから教わったのは、確か『アシュトランガ=8要素』っていう奴でした」
「え~ 何それ、面白そう。駒は、これと同じ? ここにあるのに、あと2個足せばいいの?」
セイヤの話は、キセキの興味を引いたらしく、更に詳しい説明を求められた。
「駒の形は、ほとんと変わらないかな……ラージャ、ラニ、アシュワガンダ……」
「ちょい待ち、もしかして、名前が違うかも」
「え? っと……これが、ラージャ……ですよね?」
セイヤが一番大きな駒を指して言うと、キセキが首を振った。
「いやいや……それは王様だから、キング。で、これがクイーンで、こっちはナイト」
「うわ~マジですか。えぇ~おもしれ~じゃあ、これは……?」
二人は互いに駒を指しながら、その名称を比較し始めた。
――即ち
1、キング(=王・城)→ ラージャ(王)
2、クイーン(=女王)→ ラニ(妃)
3、ナイト(=騎兵)→ アシュワガンダ(馬)
4、ビショップ(=僧侶・魔法使い)→ ガネーシャ(象)
5、ルーク(戦車)→ ナーガ(蛇)
6、ポーン(歩兵)→ クールマ(亀)
と、いうことになるらしい。
「で、これにアヴァターラ(化身)と、ガルーダ(鳥)という駒があるんです。アヴァターラは、ラニと同じ力があるんですが、再上層だけじゃなくて、他の二層にも移動可能です。倒した相手の駒の能力を次々にコピーしながら変化する駒で、こっちのルールでは最強の駒。ガルーダは別名、飛戦車。空中戦の主力です。6駒ルールだと、キングとクイーンの護衛はナイトだけで、あまり空中戦ってイメージないですよね?」
「へぇー、空中戦ねえ。面白そう……そっちの呼称は、古代ドゥルヴァ語になるのかな」
「ああ、そういえば、アヴァターラって、あの店の名前と同じ?アシュタアヴァターラ。変幻の女神だっけ?」
マドカが思い出したように言う。
「じゃあ、多分、セイヤの方のが、古いルールってことになるのかな」
カオルが口を挟む。
「飛行能力のある駒2つ増やすって、相当複雑になるし、1ゲームに要する時間も大幅に増えるだろうし」
「そっか、もしかして、そこから短路ルールとして考え出されたのが、6駒ルールなのかしら」
「恐らく、そうだろうな。ゲームフィールドのこと、それぞれ天界、地界、水界って呼んでるけど、正式な呼び方なら、アーカーシャ、ブーミ、アムリタって言うんだ。これも古代ドゥルヴァの名残りみたいだし」
「いいな~空中戦。ねえ、カオルぅ、試しにちょっとだけ、やってみようよ」
「お前、こんなん、日が暮れるまでに終わるかどうか、分かんないぞ……」
「いや、さわりの部分だけでいいから、ちょこっとさ……お願いっ」
キセキの懇願に、カオルはマドカの方を見る。
「仕様がないわね、少しだけよ」
そう言いつつ、マドカも興味はあるのだろう。キセキが嬉々としながらポケットを探って、駒の代わりにとコインを取り出すのを、口元を綻ばせながら見ていた。




