第16話 腕の中の彼女
「まさかとは思ったけど、本当にこんな所に住んでるのね。新人くんが物好きなのだということは、良く分かったわ」
「新人くんではなくて、霧月セイヤです、マドカさん」
「ああ、はいはい。セイヤくんね、セイヤくん……」
そう言いながらも、マドカは興味深そうに、セイヤが生活の拠点にしている……とは言っても、たまに水場を利用するだけの簡易居住スペースのあちこちを覗き込んでいる。
軌道予報調査室という名前の付けられた部屋は、最高顧問室の隣に今も存在していたが、そこに人の気配があったのは、ほんの数日のことで、いつの間にかそこは静かな開かずの間となっていた。
というのも、調査の為に必要な資料の量は膨大になることが予想され、それを運び込むには、その部屋ではやはり手狭であり、尚且つ、資料移動に掛かる手間を考えると、ここは人間が動いた方が早いというマドカの判断で、資料の宝庫である公文書館の一角を、軌道予報調査室の分室として借用することになった為である。
そして、その場所として占拠されたのが、セイヤの私物が置かれていたそのスペースだった。
彼らはそこに携帯端末を持ち込んで、あっという間にそこを調査室の最前線基地にしてしまったのだ。書庫のあちこちから持ち込まれた資料の山は、一週間もしないうちに、部屋を埋め尽くし、すでに足の踏み場を探すのも難しい状況になっている。
セイヤがこのメンバーに選ばれたのは、結局、資料の出し入れをするのに、その所在に詳しい人間が必要だったからなのではないかと思うぐらいに、年長の三人はもの凄い勢いで資料の精査をしている。
過去の都市移動のデータを片っ端から読み直し、その軌道を再分析しているのだ。キセキの端末操作の早業は知っていたが、マドカもカオルも信じられないぐらいに仕事が速い。特に、マドカの状況判断と、決断の速さには目を見張るものがあった。
――おっかないだけの人じゃなかったんだな。
あんな扱いをされていたナナミでさえ、その能力には敬意を払っているようだった。
そんな状態で、いつの間にか、ハジメやクルミまでも、本来の仕事の合間に、こちらの手伝いをさせられている始末だ。そもそも、彼らはこちらの仕事の進捗状況が気になっている様で、暇さえあれば覗きに来ているのだから、それは当然の成り行きとでもいうべきか。セイヤとナナミは、共に資料の束を抱えながら、書架の間を行き来するのが日課になっていた。
朝、仕事始めにその日の調査方針をディスカッションして、総出で資料の収集に掛かる。あらかた資料が集まると、年長組はデータ解析の作業に入ってしまうから、自然、使い終わった資料を元に戻すという作業は、セイヤたちの仕事になった。初めセイヤは、キセキのデータ解析を後ろで見ていたのだが、ナナミが一人で資料を運ぶという重労働をしいることに気付いて、すぐにこれを手伝うようになった。
「重くないですか?」
「平気平気。この手の片付けは慣れているから」
聞けば、マドカは整理整頓が苦手なタイプらしく、その補佐官であるナナミは、日常的にその後始末をしていたのだという。そういう細かい所にこだわらないから、仕事が速いのかも知れないとも思う。
そんな日課に慣れて来た頃、ある時、資料を書架に戻しながら、セイヤはほんの雑談のつもりで、ずっと気掛かりがったことをナナミに聞いてみた。
「……先輩は、この仕事が終わったら、また軌道予報室に戻るんですか?」
「そのつもりだけど、どうして?」
その理由は、ナナミの病気に関することで、自分がわざわざそれを調べたのだと知ったら、もしかしたら気を悪くされるかも知れない。そう思いながらも、何となく、ナナミが作っている壁のようなものを取り払いたくて、セイヤは慎重に答えを返す。
「ああ、いえ……電子機器とか多い場所は、体に良くないって、ちょっと本で読んだから。軌道予報室みたいな場所は大丈夫なのかなって思って……」
「何? 心配してくれたの?」
「……まあ……そんな感じで……」
「ありがとう」
真っすぐに向けられた笑顔に、思いがけず胸がきゅっと苦しくなる。
――やべぇ……俺、重症かも……
湧きあがる感情を押し留めるのに、胸を押さえ、慌てて視線を反らして俯いた。
気を抜いたら、抱き寄せてしまいそうで。
仮にも仕事中にこんな場所で。
それはかなりの不謹慎…
「でも、辞められない理由があるから……」
「……理由って?」
どこかうわの空で、オウム返しをする。と――
「私は……父の……無念を晴らさなければならないの…」
予期せぬナナミの重い言葉に、うわついた気持ちが一瞬でしぼんだ。セイヤは思わず顔を上げる。その言葉とは裏腹に、ナナミの顔は穏やかに笑顔を浮かべていたが、彼女の目は、どこか遠くを見ていた。
「私の父は、五年前、あの事故の時、軌道予報師長だったのよ」
「……」
「結局、あの事故のはっきりとした原因は分からなかったけど、最終的に父が責任を取って役を退くということで、決着がついたわ。あれだけ多くの犠牲者を出しておいて、師長である自分に責任がないとは言えないって、上層部が決めたその決定を父が受け入れたから。でも退任した後も、事故の惨状を目の当たりにした父は、自分を責め続けてね……やがて心を病んでしまった。おまけに事故の事後処理に奔走したことが原因で、病にも取りつかれて……今は、サプタディヤーナの療養所で、寝たきりの生活をしているわ」
「その病気って、まさかマニチャトラス中毒症……ですか?先輩と同じ……」
「そう。私は父の看病をしていて、間接的に罹患したの。だから、症状も軽くて済んでる」
セイヤはナナミの思いがけない告白に、黙り込んでしまった。
この世界で、主に、ゲートを動かすエネルギー源として用いられるマニチャトラス鉱石には、毒性がある。もちろん、エネルギーに変換する過程で、その毒性に触れないような処理は施されるのだが、今の技術では、その完全な無毒化は出来ず、ゲート周辺には常に微量の有毒物質が漏れ出ている。
行政府が人のゲートの行き来に制限を設けているのも、都市移動の後に健康診断が義務付けられているのも、そういう理由からだ。そして、ゲートキーパーが、その病の予防の為に、副作用を承知の上で薬を服用し続けなければならない訳も、彼らの多くが、三十代で退任するのも同様の理由からである。
「私は、五年前の事故の原因を究明して、心を病んでしまった父に、あなたは何も悪く無かったって言ってあげたいの…だから、軌道予報師を辞める訳にはいかないのよ……」
淡々とそう語るナナミの中は、どれだけの想いが押し込められているのだろう。涙ひとつ見せずに、こんな話が出来るようになるまでに、一体どれだけ、その感情を殺さなければならなかったのだろう。そう思ったら、その体を抱き寄せていた。
「……セイヤ……くん」
戸惑うようなナナミの声に、セイヤは更にその腕に力を込める。
「俺にも、手伝わせて下さい。俺だって……知りたいから……父さんや母さんが死ななければならなかった理由を……」
――どうして、自分はひとり取り残されなければならなかったのか。
それは仕方のない運命だったのだと、無理やりに自分を納得させて生きて来た。そこに理由があるのだというなら、自分はそれを知りたい……いや、知らなければならないのだと。そんな思いに囚われる。
「あなたも、あの事故で大切なものを失くしたのね」
ささやくように言われて、思わず涙がこみ上げた。すると、ナナミの両手がセイヤの背中に回された。
「大丈夫……もう一人じゃないから」
慰めるつもりが、いつの間にか慰められる側になっていた。
「……それ、俺が言いたかったのに」
不本意そうにそう言うと、年上の彼女は、彼の腕の中で肩を揺らして笑った。
どちらかと言うと今は、自分の方が面倒を見て貰う側なのだろう……年齢的にも、精神的にも。それでも、そんな自分にも、彼女の為に出来ることがあるのかもしれないという発見は嬉しかった。いつか二人で、その理由を見つけよう。その時には絶対に、こいつは頼りになる男だと思わせる。たった今、そう決めた。それはまだ、彼女には内緒だけど。
――そして、いつか…




