第13話 二日酔いと出頭要請
「ねえ、今日こそは、予定、空いてる?」
終業間近という刻限に、ミツバがわざわざセイヤのデスクにまでやってきて、そう声を掛けた。
「ごめん、今日は無理。何か、朝から頭痛が……」
「お腹の次は、頭?って、誰が、そんな言い訳信じんのよ。昨日だって、結局、遊び歩いてたくせに」
ミツバが少し音量を上げただけの声に、セイヤはたちまち頭を抱え込む。
「う~やめてくれ、響くから……」
その様子に、ミツバも流石に信じたようで、心配そうにセイヤの顔を覗き込んだ。
「何?もしかして、二日酔い……とか?」
「ああ……実はキセキさんに飲まされちゃって……」
「あっきれた……あの後、真っすぐに帰ったんじゃなかったの?しかも、四宮キセキって、何でそんな有名人と……」
「いや、帰ったには帰ったんだけどぉ……」
口をひらくごとに、胃の辺りに不快感と、頭の痛みがぶり返してくる。
「ダメ、も……無理」
セイヤはそのままデスクに沈没した。
「医務室で、薬もらってきてあげようか?」
「……」
答えも出来ずにいると、ミツバの気配が遠退いて行った。
そのまま、半分意識を失ったような状態でいると、しばらくして肩を叩かれた。顔を上げると、水と薬を手にしたミツバが戻って来ていた。
「たく、具合悪いなら、休むなり、薬飲むなりしなさいよ。ほらっ」
半ば強制的に、目の前に薬を差し出されて、セイヤは何も考えずにそれを口に入れると、コップの水を一気飲みする。
「少しそこでじっとしてて。仕事片付けたら、送ってってあげるから……」
「いいよ、別に。子供じゃあるまいし。一人で帰れる」
「だめよ。そこで大人しく待ってなさいよ」
「え~」
そう不満げな声を上げながらも、到底すぐに動ける状態ではなく、セイヤはいつの間にか、そこで眠ってしまっていた。再びミツバに体を揺すられて顔を上げると、三十分ほど時間が経過していた。脱いでいたはずの上着が肩に掛けられていた。ミツバが気を利かせたのかと思う。
「具合どう?」
「ん……ああ、何か薬効いたかも。だいぶいい」
「そ。良かった。じゃ、帰ろ」
返事をする前に、上着を着直したばかりの腕に、ミツバの腕が逃がすまじという感じで、絡み付いて来る。
「……逃げないから、離せ」
室内に残っている者は、すでにいなかったが、いくらミツバとでも、腕を組んで歩くなんて真似は恥ずかし過ぎて出来ない。
「ほんとに逃げない?」
「そんな体力残ってねぇし……」
言いながら軽く腕を振り払うと、ミツバの手が離れて行く。無言のままロッカールームへ向かうセイヤの後を、少し離れてミツバが付いて来る。
「ねえ、今日は、夜ごはん何食べるの?」
「え?」
背後からいきなり訊かれて、セイヤが振り向くと、
「今日は、あたしが作ってあげる」
と、満面の笑みでミツバが言う。
「いい。あんま食欲ないから、レトルトのおかゆでも温める」
「おかゆ食べたいんなら、作ってあげるよ。物凄くおいしいの」
「……」
そんなに嬉しそうに言われると、何だか断り切れない。体調の悪さも手伝って、あれこれ気を回す余裕もなかった。
結局その日は、そのままミツバに押し切られる格好で、セイヤは彼女と共に図書館へ帰ることになった。
ミツバは図書館奥の簡易宿泊スペースに併設されたキッチンで、おかゆを作り終えると、どこかの書庫に入り込んでしまったセイヤを探しに出た。
ゆっくり休んでいればいいものを、彼は薬を飲んでちょっと具合が良くなると途端に、本の森へ出かけてしまった。その知識欲にはまったく頭が下がるというか、呆れてしまうというか…子供の頃は、本になど見向きもしなかったものが、こうも変わるものかと思うばかりだ。
あちこち見て歩いて、彼女がセイヤを見つけたのは、医学書が納めてある、一般に開放されている書架だった。高足の脚立の上に登って、天井近くの書棚から、分厚い医学書を引っ張り出して、そのままそこで本を広げて熱心に読みふけっている。
「何か調べ物?」
「……ああ」
ミツバが下から声を掛けると、生返事だけが返って来る。仕方なしにミツバは脚立を登ってセイヤの側まで行き、そこでまた声を掛けた。
「ご飯出来たよ?」
言いながら、その本を覗きこむ。
「もしかして、ナナミ先輩の?」
そう水を向けると、少しまともな答えが返って来た。
「ああ。どういう病気なのかと思って……」
「何か分かった?」
「まあ、ぼちぼち、かな」
セイヤがそう答えて本を書架に戻すと、そこで、静かな筈の空間に、複数の人間が館内を走るような靴音が響いた。
「何?」
様子を伺うように、ミツバがそこから身を乗り出したのを、セイヤは反射的に押しとどめた。そしてそのままミツバの体を自分の方に引き寄せて、シッという風に人差し指を口に当てる。
セイヤが書架の隙間から覗き込むと、司法府の制服を着た男たちが、館長室の方へ行くのが見えた。銃を携帯しているところをみると、穏やかな用件という訳ではないらしい。
「……お前は、ここにいろよ。いいな?」
有無を言わせずそう言い置くと、セイヤは脚立を下りていく。
一方、残された方のミツバは、セイヤの不意打ちに、激しくなった動悸を鎮めるのに精一杯で、返事をするどころではなかった。自分がこんなにドキドキしているなんて、きっとセイヤは思いもしないのだろう。だから、あんな風に、簡単に肩を抱き寄せたり出来るのだ。
――あ~もう、嫌。
それが嬉しい半面、そこに伴うせつなさは、ミツバの心を容赦なく掻き乱す。結局、自分のことは、何とも思っていないのだと思い知らされる。これは、頑張れば何とかなるものなのか。頑張れば、この思いは受け止めて貰えるのか。
――いつまで頑張れるのかな、あたし……
書架の向こうに小さくなっていくセイヤの後ろ姿が、少し滲んでぼやけた。
セイヤが館長室に着くと、その扉は開け放たれていて、そう広くない室内で、五人の男がシュウヤを取り囲んでいた。
「一体何なんですか、あなた方はっ」
怒りを込めて言い掛けたセイヤを制したのは、シュウヤ自身だった。
「構うな、セイヤ。行政府から出頭要請が来ただけだ」
「出頭要請って……司法府の人間が来るなんて、これじゃ、まるで犯罪者扱いじゃないですか」
「まあ、行政府とは、昔、色々あったからな。信用はされていないということだろう」
シュウヤが他人事のように軽く言って笑う。
「おじさん……」
「心配はいらない。話が済めばすぐに戻る。ハジメにもそう伝えておいてくれ」
「分かり……ました」
セイヤが頷くと、シュウヤは男たちに連れられて部屋を出て行く。
シュウヤと、ハジメと、この図書館。
それに、ミツバ……
それは、今の自分を形づくるのに必要不可欠なピース。
それが、不意に失われたら、自分はきっと自分を見失う。それらはそういう存在だ。かつて自分は、家族というその大切なピースを、突然奪われた。心に穴があいてしまったような、言いようのない空虚な感覚。あんな苦くて痛い感覚をもう二度と味わいたくはなかった。
「戻って、くるよな……」
自分に言い聞かせるように、呟く。しかし、息苦しさを感じて、身を支えるようにデスクに付いた手は僅かに震えていた。また何かを失うかもしれないという、そんな予感めいた思いに囚われたセイヤの心を恐怖という感情が浸食していく。怖くて、その場から動けなかった。




