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①「わたしじゃなきゃ」

ある日の夕方。

夕陽の差す公園で、ぽつり、たった二つの影が重なって一つになっては離れた。


「……ん、梨香、ね、もう、帰らなきゃ」

「一回だけ、これでちゃんと最後にするから……いい?」


香澄は小さく首を縦にふる。艶のある黒いショートボブが微かに揺れる。

最後ね、囁いた香澄がそっと梨香の首に手を回すと、梨香は身体を少し傾けて香澄の唇に自分の唇を重ねた。緩く巻かれたこげ茶の髪が、香澄の肩にかかった。


去り際に香澄は笑う。決まって香澄は同じ台詞を最後に口にする。


「またね、梨香」




◆ ◆ ◆




「聞いてるの、梨香」


はっと梨香は隣を歩いている青年に目を向けた。いけないぼーっとしてた、ごめんごめんと笑って流す。

ぼーっとしてる理由はだいたいわかっている、この時間帯がいけない。夕暮れ時に差し掛かる間近、空がオレンジ色と青の狭間で揺れている頃、決まって思い出すのは香澄の石鹸の匂いだった。

あと何回、誤魔化せるだろう。


「なんか悩み事でもあるの?」

「……っと、ごめん、そんなことはないんだけど。ごめんね蓮」


蓮と呼ばれた青年は少しだけ眉を寄せて首を横に振った。男性にしては多少華奢な体躯は、元気いっぱいだった割に抱きしめると折れそうだった彼女を思い出させた。

優しい、やさしい蓮。優しい香澄。心なしか声のトーンも少し似ているかもしれない。二人とも、撫でるような柔らかい声だった。

蓮は梨香の鞄にそっと指を伸ばす。


「貸して」

「え」

「疲れてるんでしょう。俺が持つよ」


いいって。拒否する間もなく梨香の大ぶりな鞄は蓮の腕に抱えられた。香澄より少し背の高い梨香にですら大きすぎる荷物だった。蓮が軽々とそれを抱えているのを見ると、なんだかんだ蓮は男の子なんだなぁと痛感する。

その思考に、なぜか砂を噛むようなそんな思いがした。


「ごめん、ありがとね、蓮」

「いいよ。だって梨香、どうせこの後うちに来るんでしょ」


ま、だから、ちょっとくらい荷物持たせて。その言葉にこくんと頷けば、よし、と満足げに蓮は笑う。その笑顔がまた香澄とだぶった。

梨香の足が少し躊躇いがちに進む。


ーーあたしは、


「梨香、」

「大丈夫」


心配かけてごめんね。

ううんと蓮が首を横に振ると、梨香は少しだけ頰を緩めた。それでも思考は止まらない。


きっと、蓮を、香澄の代わりにーー。


「深山がさ、」


自分の思考に心が冷えた一秒後。

唐突に蓮の唇から零れ落ちた言葉に心臓が跳ねた。深山。

深山香澄。


「……なに」

「あれ、梨香と深山って仲良かったんだよね?」

「そうだけど、香澄がどうしたの?」


平静を装って尋ねる。香澄。なんで今更になって彼女の名前を聞くのだろう。

もう半年も前のことなのに。

ーー半年も前のことに心臓を跳ねさせるあたしが馬鹿なのか。


「いや……まぁなんつーの、深山が最近俺の友達と一緒にいるのよく見かけるんだけど。両想いなのかなー、とか」


上り詰めた体温が全身から引いて、思わず少しだけ身体を抱きしめる。

香澄が?

両想い?


「ほら、俺、深山と昔仲良かったし、いま深山がよく一緒にいるの俺の友達だし、なんつーか……梨香はなんか聞いてたりしねぇかなってさ、」

「蓮、」

「どした」

「なんでそんなに気にするの」


不思議な話ではない。梨香に蓮という彼氏がいるように、香澄に誰か彼氏がいたって全くおかしな話ではない。それどころか、むしろ早々に見切りをつけて先に彼氏を作ったのは梨香の方だ。

あのときは長かった梨香の髪も、ショートボブにしてしまった。


「いや、なんつーか、まぁ。友達には幸せになって欲しいからさ」


照れくさそうな蓮の顔が眩しい、きっと香澄もそんな顔をしている。

濁りきった自分の胸の内とは真逆。

なんで。あたしの香澄、あたしの。違う、あたしのじゃない。でもあの子が好きになるのはあたしだけでいて欲しかった、

続く言葉は必死に飲み込む。


「……蓮は優しいね」


前を見るともうそこはほとんど蓮の家だった。白くて綺麗な家。いまの自分には、少しだけ心が重い。

こうするって決めたはずなのに。


「梨香はいつもそう言うね」

「本当のことだから」


濁りを押し隠して、梨香は恋人の家に足を踏み入れた。




◆ ◆ ◆




香澄の長い髪が揺れる。自慢だったショートボブは、いつしか長い巻き髪に変わっていた。

そろそろ自分も、誰か恋人を作るべきなのかもしれない。


(お幸せにね)


梨香。お幸せに、梨香。

口の奥で呟いた言葉は、恋人の家の中に吸い込まれた梨香には届かない。

それでいい。


ーー私には、梨香を幸せにできない。


少しずつ日が落ちる。綺麗だったオレンジ色は少しくすんだ灰色に侵されかけていた。




◆ ◆ ◆




気がついたら眠りに落ちていた蓮を眺めながら、梨香も目を閉じる。

脳裏に浮かぶのは最後に笑った香澄の顔。


『梨香ごめん、ごめんね、』

『なんで、香澄、なんでもう良いなんていうの、ねぇ、好きだって言ってくれたのは香澄でしょう』

『だって梨香、お願いわかって』


『私には、私たちが幸せになる未来が見えないの』


傷は浅いうちが良いの。

泣きながら笑うしかなかった香澄に、合わせるように梨香も泣きながら笑う。

残酷だ。

せめて片方が男だったらなんて叫んでもなにも変わらない。


『ばいばい、梨香』


またねの約束を、香澄はしなかった。




◆ ◆ ◆




さっき飲み込んだ言葉を、灰色の夜空に向かって吐き出す。


ーー香澄を幸せにするのは、あたしじゃなきゃ嫌なのに。


半年前、もう涙は溢れない。それでも息が詰まった。

なのに、の先は言えなかった。

ちょっとした自分の体験を元に。

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