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陰陽年代記  作者: 嘉村
紅の海戦
9/9

ルージュ島奪還作戦 3

 激励の甲斐あってかバルトら科学開発部は二か月で人工磁気嵐発生装置を作り出した。できるだけ正確に陽の国の領土に磁気嵐を起こすには、首都近郊ではなく大陸南部の沿岸に設置しなければならないとのことだったので重機を手配して輸送の手助けをした。


 「設置は早めに行うが、実験はしばらく待ってもらえないだろうか? 実は卿らが思ったより早く作り上げてしまったおかげで少々予定に狂いが出たのだ。嬉しい狂いなのだが」


 そう言ってバルトに予定表を見せると納得したように頷いた。実験の予定日はルージュ島近海で太陽嵐が起こる五日後に設定した。場所は陽の首都サールグレーン……ではなくその近郊、ヘインズバリーだ。首都を狙うのは戦争法で禁止されている。しかし効果が目視できないため、敵国の大きなニュース情報によってしか結果を知ることができない。そのため、首都ではないが首都に程近く、磁気嵐の影響を受けて大きなニュースになりそうなヘインズバリーを狙うのだ。



 「でも、敵が無能で島を制圧できなかったらどうするの?」

 この友人は相変わらずのんびりとした口調で痛いところを突いてくる。今日はシローの邸宅で呑んでいた。アーティの家は貴族には似つかわしくない三人で住むに丁度よい住宅なのだがシローの家は典型的な親から引き継いだ豪邸といった感じだった。彼曰く、もらったんだから手放す義理もないらしいのだが、管理が大変ではないのだろうかとつくづく疑問に思っている。


 「兵が少ないのに獲られなかったら、ますますこの島の気候を過信すると思うんだけれど。どうなんだろうね」

 「お前の言う通りだな。私が上層部でもそうやって人員を減らすだろう」

 もし陽軍が失敗しても人員を増やす策を考えなければならない。さて、どうするか。

 「お前が軍務省のお偉方に向かってルージュ島にもっと兵を置けと叫んでくれれば動くかな」

 「いや、逆に軍務省からどうしてお前が軍事に関わろうとするんだって叫び返されるよ」


 政治家が軍を用いて反乱や要人暗殺を行う危険性があるために、陰では政治家と軍人の癒着を阻止しようとする動きがある。アーティも再三再四その件については聞かされてきたし心得てはいるのだが、現実にはこのように平和ならざる外交について語り合っているのだ。


 「じゃあ、ボクが島に行けばいいんじゃないかな? そして敵が失敗するにせよ成功するにせよ上院議員がルージュ島滞在中に襲われたって事実ができるよね。そのあとになぜこの島はこんなに兵力が少ないのかって軍務省に叫べばいいよ。解決解決」


 あまりにも軽く言うものなので「そうだな、いい考えだ」と反射的に言ってしまった。しかしよく考えてみると……よく考えなくても次の瞬間には「駄目に決まっているだろう」と厳しく口にした。


 「お前、それは島を占拠された後どうするか考えているのか?」

 「に、逃げるとか?」

 「敵が残忍だったら殺される危険性がある」


 軍人らしい重々しい声になってしまった。シローは一瞬息を飲んだが次の瞬間には「ああー、そうだね。それは困るなあ」と気楽な声を出した。


 「それを契機に攻めればいいんじゃないかな? 友人を殺された! って。ああ、公的にはうちの議員になんてことを! か」

 「ふざけているのか」

 「じゃあやめる?」


 返事に困窮することを言うな、お前は、と吐き捨ててグラスに手をつけたが中身は空だった。これがまったく面識のない者であれば別になんとも思わなかっただろうしシローの言うとおりこれを契機にして攻め込む策を取っただろう。しかし友人を送り出す気にはなれない。贔屓だと言われるかもしれないが。


 「それにさ、軍人っぽくない格好していれば別に殺されないと思うんだよね。一般人を殺したとか軍的には不名誉じゃない? そんなことするとは思えないなあ。捕虜にはなるかもしれないけどすぐ返してくれるでしょ」

 「楽観的だな」

 「陽の国の捕虜になったら旅行とか行ける? なんかすごい滝があるって聞いたんだけど」

 「いや見張り付きで近所限定だろう。捕虜房暮らしだ」


 それはいやだなと苦笑する友人を尻目に代案を考えていたが、酒が回ったせいか何も考えつかなかった。仕方なくその日の二人の飲み会はお開きにし、浮かない顔をして帰路を歩んだ。


 深夜に帰宅したが、今日はあまり眠れそうにもないだろうと感じた。友人の策を採用するかどうかをできるだけ早く決めておきたい。洗面台で顔を洗っていると、軽い足音が聞えてきた。七歳の息子、ミシェルの足音だ。

 寝ないのか、と問うと寝ちゃだめなんだ、と返事がきた。


 「宿題が終わらなくて……」


 ミシェルは昔から勉強が苦手だ。おそらく普通の学校なら普通の成績だったはずである。それなのに貴族の進学校に通わせてしまったのだ。幼い頃からの英才教育が良いものか悪いものかはわからないが、少なくともミシェルにとっては苦痛だろうなとわかってはいる。一時期転校も考えたが、当人が友達がいるから学校を代えたくないと言い張るものでどうしたらいいものかと気に病んでいた。


 「まだ終わってないの」

 「そうか、じゃあ父さんと一緒に宿題するか?」

 「道徳の宿題なんだけど、正解がわかんなくって」

 今の学校には道徳なんて科目があるのかと驚いた。軍人が息子に道徳を教えるだなんて滑稽な話だ。


 「どんな問題なんだ? ちょっと見せてくれ」

 ミシェルはテキストをアーティに差し出した。赤い丸で囲まれている部分が今回の宿題だろうか。テキストには有名な、いわゆるトロッコ問題について記されていた。


 トロッコ問題とは端的に言うと「止まらないトロッコのレールの先には五人がいるが、分岐のスイッチを押すことで起動が変わり、犠牲は別のレールにの上にいる一人に留まる。さて、あなたはスイッチを押すべきか?」という意地の悪い問題だ。スイッチを押さなければ五人を見殺しにした“事故”となり、スイッチを押せば一人殺した“事件”となる。どちらの選択をしても後味が悪い。


 「どっちが正解なの?」


 おそらくこれに正解はないだろう。というより道徳に正解を求めるのもおかしな話だ。

 「ミシェルはどっちが正解だと思う? 好きな方でいいんだ」

 「五人のほう」

 「そうか、なんでそう思ったんだ?」

 「たくさん死ぬから」

 息子の口から思いもよらぬ言葉が出てきて目をむいた。まさかこの短期間で二回も驚くことになろうとは。

 「なんでたくさん死ぬといいと思った?」

 「お父さんの仕事が減るから……」


 だめなのかな、と訴えるような泣きだすような目つきで父の目をまっすぐ見てくる。彼の正直な気持ちは口にした通りだろう。ただし彼の中の倫理が、これを宿題の答えとして提出したら先生から怒られるのではないかという恐れから宿題が終わらないのかもしれない。


 「じゃあ答えはそれを正直に書けばいい。大丈夫だ、それで先生に怒られたらその先生をトロッコのレールの上に置いてやるから」


 こくりと頷きミシェルは自分の部屋に戻った。早く寝ないと寝坊するぞ、と優しく呼びかけ寝室のドアを閉めるのを見送った。


 今考えると先生をトロッコのレールの上に置くというのはいささか残酷ではないかと思ったし、息子がそれを当の先生に対して言ったら親子揃って怒られるな、と苦笑した。父親として正しいことを言ったのかも判断がつかない。本来ならもっと倫理観を教えてしかるべきではないのかという疑念が脳裏を過ったが、生き様も人生も他人の模倣をする自分ごときに倫理観を教える資格があるのかどうかも判断がつかない。生き様の模倣自体を恥じているわけではないのだが、子育てに関しては何を手本としたらいいのかさっぱりわからないなと感じる自分を恥じているのだった。

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