ルージュ島奪還作戦 2
小さなサボテンが置かれている以外に特徴のない執務室でアーティは書類に目を通していた。真面目な性分で一字一句文字を目で追わないと気が済まない。そのため人より時間がかかっている。我ながら不器用だと思うのだがやめられない。
趣味で小説を書き自費出版もするアーティは自分の書いた文章が細かく読まれないことの悲しさを知っている。この間書いた推理小説に「楽しかったけれど犯人がわからなかった」などと感想を送りつけてきた者がいて思わず「何を言ってるんだ」と誰もいない部屋で手紙と会話してしまったものである。確かに少しわかりづらい描写だったかな、と反省しつつも、もう少しちゃんと読めお前は、と読者に対して憤りも感じたことがしばしばある。なので書いてある文字を注意深く読まないことは罪だと思い、以後どのような駄文でも目を滑らせることはなかった。
紙面に集中していると部屋の扉を叩く音が聞こえた。このノックの強さはおそらく副官のシルヴェストルだ。
「ダングルベール大佐、よろしいでしょうか」
そう言いながらデータを机上のモニタに表示させた。『人工磁気嵐誘発装置についての予算案』と見出しが付けられている。
「軍の科学開発部からの案件なのですが、正直予算がかかりすぎます。私の一存では拒否できないので大佐に不認可にしていただいと思いまして」
内容を確認するとゼロが数えきれないほど並んでいる。倹約家で滅多に大金は使わないとはいえ一応貴族の出身であるアーティが見ても眩暈がする数字だった。
「いや、これ、これはどうなんだ。こんな、よくこんな……」
小説家である彼も語彙を失うほどだった。概要を読むと、人工的に磁気嵐を起こす装置を理論上は設計できたが予算が足りずどうにも開発できない。この装置を開発することによって陽の領土内に混乱を引き起こすことができる。不可視の粒子砲を山なりに発生させるこの装置を使用すれば陰の優勢は確実だと記されている。
「さ、三台も作りたいのか。三台……これを三台作るだけで国民百人ほどが充分暮らしていけるのだが」
「一台だと不確実だそうで」
「いや、ダメだダメだ。この我が軍劣勢時にこのような装置を作るなどあってはならん。今の財政を何だと思っているのだ嘆かわしい」
そう言いながらも要項を読み進める。人口磁気嵐を発生させるためには膨大なエネルギーが必要になるため二週間に一度しか使えないこと。そのため連続して使うには三台必要なこと。この星の地上、洋上であればどの地域にでも届くこと。自然現象ではないので予測がしづらく、予測ができても発生の十分前程度だということ。なるほど、これがもっと低コストで開発できればなお良かったのだが。
ふと今朝の自分の独り言を思い出した。太陽嵐ではないが、これはだいたい同じような現象だ。この機器を有用すれば磁気嵐は二度起こせる。どうにかしてこれを安く製造できないものだろうか。装置が無事開発されればこれから奪われるルージュ島を容易く取り返せるだろう。
「シルヴェストル大尉、科学開発部に行くぞ」
「は――え? ですが大佐、先ほどこの装置は作らないと仰りましたよね?」
「話だけでも聞こう。もう少し製作コストを下げられれば予算の件は考える」
狼狽する副官を引き連れて郊外に建てられている科学開発部本部へと急ぎ向かった。
科学開発本部の部長、バルトは黒ぶち眼鏡をかけた痩身の男だった。軍ではなかなか見ないタイプの男だが、科学者には多いのだろうか。
「一台、ですか」
「これからの作戦におおいに役立つ素晴らしい開発だ。この発明が歴史の一ページを作ることになるだろうし、卿は偉大な科学者として後世まで語り継がれるだろう。ただ、まあ、心苦しいことに予算も無尽蔵ではないのだ」
多少美辞麗句を並べすぎたかと思ったが、バルトは素直にはにかんでいる。前線(にはあまり出ないが)で活躍する軍人に賛美されると後方支援の役職に就く者は調子づく。これで予算案だけを見直してくれればよいのだが。
「しかしこれを作るには強力な磁気を発する鉱石がどうしても必要です。この鉱石、市場には多く出回っていなくて貴重でして、そのために予算はあまり下げられないのです。三台分の予算を要求したのは、あの、その鉱石をできるだけ多く買ったら少しだけ単価が下がるんです。わかりますか?」
「わかるに決まっているだろう。市場で十個じゃがいもを買ったら割引されるな。で、それが鉱石の市場でも適用されるのか?」
この言葉になぜかバルトは驚いたようだ。なぜかと言うのも愚問だが。そもそもこの陰軍の重役には代々貴族が就くことが多い。アーティも貴族の出身だ。バルトは平民の出身なのだろう。貴族の常識と平民の常識は少々……いやかなり異なっており、少しでも安く買い求める行為を普通の貴族はしないと彼なりに考えたのかもしれない。確かに未だに昔の華美な生活を引きずる貴族は多いしそういった者は価格を見ずに全部買う。
「それで三台分の鉱石を購入すると、単価が半分ほどになるのです」
「なるほど、お得だな」
「お得ですね」
アーティの口から「お得」などという言葉が出てきたのかバルトは笑い出しそうだった。こういう砕けた冗談がアーティは嫌いではない。むしろ目下の者に対して緊張感を緩和させる効果があるので好んで冗談を口にする。第一印象は真面目そうだとか堅物そうだとか言われるが根はそうでもないのだ。
「ただ、理論上開発はできるとしても実際に開発できる確率は十割ではないのだろう? だとすると余分に鉱石の購入費用を増やすわけにはいかないのだ。失敗して量産が不可能と見られたら費用が無駄になる。まずは一台分の予算を工面するからそれで作ってみてほしい」
「そうですか……」
ため息交じりにそう言ってバルトは肩を落とした。あまりにも目に見えて悲しそうな顔をするのでいたたまれなくなり思わず励ましの言葉が口から突いて出た。
「安心しろ、別に予算を出さないわけではない。私は卿の味方だ。今現在はこのような少ない予算しか出せないが、結果を出したなら予算を増やすよう私から上に掛けあってみる」
それに、と続ける。「次回の作戦でその装置をぜひ使いたいのだ。三か月程度で作ってくれたらパフォーマンスも兼ねて盛大な実験の機会を設けたいと考える」
私は卿の味方だ、というのは今まで何度も使ってきたフレーズだ。この言葉を使うと途端に相手の顔が輝く。このような技術者は現状を見せずただひたすら能力を褒めれば大抵人心掌握ができる。アルトゥール=アンリ・ダングルベールという男は人の心を掴む術に長けている。もっともこれはエドガールに憧れて真似ているだけなのだが。