ルージュ島奪還作戦 1
『これにて私の人生は終わりを迎える。最後にこの詩を後世に残しておこう。――――』
アルトゥール=アンリ・ダングルベール大佐の日記の最後のページにはこう書かれていた。しかし詩らしき詩はどこにもない。まだその詩は完成していないのだ。
アルトゥール……通称アーティの友人が“辞世の句”というものを教えてくれた。この世を去る前に残す詩歌のことらしい。人が一生に一句しか作れない特別な詩だ。その巧緻に問わず後世の人々の胸を打つこの辞世の句を最初に発明した者を尊敬せざるを得ない。
アーティは常に死ぬことを考えている。正確には自分が死んだ後の世界のことを考えている。そう言うと皆からは生きていると良いことがたくさんあると励まされるのだが、別に死にたいわけではない。
陰の国が作られる前は小さな国がたくさんあったらしい。それらを統一したのが陰の国の初代皇帝エドワール=ジャン・ヴォーコルベイユであるが、支配基盤を作ったのは兄のエドガールである。圧倒的な強さで北方全土を支配したエドガールは人望も厚く豪放磊落、出会った者は必ず彼の元で働きたいと思わせる不思議な魅力があったという。しかし唐突に病に倒れ、弟のエドワールが覇業を引き継ぎ陰の国を打ち立てることになった。
歴史の授業でこの話を聞いたとき心が震えるように感じた。それと同時にこの人のように後世まで語り継がれる者になりたいと思った。皇帝という名前よりも、皇帝の覇業のきっかけとなったその兄にとてつもない魅力を感じたのだった。そのときから「自分が死んだらこのように教科書に載るだろうか」「死後に自分の功績を知り感動してくる者があるだろうか」と考えるようになり、気が付いたら常に華々しく死ぬことを考えていた。
詩歌の思索にふけっている最中、軍事基地から連絡が入った。「キール・ズダーノフ少尉の作戦指揮によりルージュ島は占拠された」と。
「誰だ、それは」
その名前だけが予想外だった。来るのであればユージーン・デイルかと思ったのだ。
ルージュ島及び付近の海域は元々別の人間が管轄担当だったが数日前にアーティが担当になったのだ。管轄とはいっても当の本人は首都にいて予算配分をしたり作戦案を出したりするだけなのだが。今までルージュ島はその潮の流れに守られて陽軍が手を出せなかった自然の要塞である。しかしその自然を過信して戦力の補強を怠っていたのだ。この現状に危機感を抱きルージュ島の人員増員を上層部に要請したが受理されなかった。
そのことを友人のシローに話したところ、彼の口から名案が出てきた。
「一回この島が攻められて占拠されたらいいんじゃないかな」
最初にこの言葉を聞いたときは思わず持っていたグラスを落とすところだった。
「そうしたら上層部も自分たちの認識が甘かったってわかるでしょ? そしてその占拠された島をもう一度獲り返せばいいよ。その後人員増強を要請すればいい」
「なるほどな、だが陽にとってもこの島は補給の要になるだろう。つまり敵も人員を島に増やすわけだ。落とすのは難しいだろう」
「それを頑張るのが君だよ」
軍人だからね、と笑いながら言い足した。アーティにとっては専門の軍事だがシローにとっては専門外だ。しかしその専門外の柔軟な発想には敬服する。
「だが敵に攻めさせる機会が見つからんな。今まで攻められても勝手に相手が自滅していた」
「情報流せばいいんじゃない? なんだか弱いぞー、みたいな」
「それで食いつくものか」
そうだよね、と彼は引き下がった。だが発想としては悪くない。
「もう一歩詰めれば良い作戦になるだろう。細かいところは私が考える。今日はありがとう、シロー」
「功を立てたんだから報酬が欲しいな。軍人なんだからそういうところはちゃんとしてるよね?」
「もちろんだ」
冷蔵庫の奥からワインを取り出す。彼の好きな白ワインだ。
「わかってるねアーティ」
シローが人に見せる笑顔は口角が上がっているだけで目は笑っていない。だがアーティにだけは目でも笑う。気のおけない友人であり相棒なのだ。
その日は小難しい話を取り止めにして夜通し呑んだ。シローは何もしなくても勝手にしゃべってくれるので退屈することはない。人が話しているのをただ聞いているのが好きだし、彼もただひらすらしゃべっているのが好きだ。相性がいいのだろう。彼と出会ったのは確か二十年以上前だったと思うのだが、どのようなきっかけで出会いどのように仲良くなったのか忘れてしまった。
翌日のこと。いつものようにタブレットで気象予報を見ていたら数ヵ月後にルージュ島付近で興味深い現象が起こると書かれていた。太陽嵐だ。
太陽嵐について知らなければ現地の者は慌てふためくだろうが、知っていればこれ以上にない好機だ。まあ具体的にどうやって好機にするかは知らないしどうでもいいのだけれど。ルージュ島を攻めるならこの日しかない。
作戦を立てるにあたっての第一段階はこれでクリアしたも同然である。来なかったら来なかったで別の機会を狙えばいいことだ。
次の問題だが、取り返せない。南方北方どちらからでも航空爆撃機で攻めるには遠すぎる距離なのだ。しかし艦で近づくには潮の流れが速すぎる。なので必然的に航空母艦を率いての攻略になるだろう。しかし補給港は盤石な武装をしているため艦載機が撃ち落とされて上陸は困難だ。今までもそうやってこちらが守ってきたのだから陽軍もそうするだろう。
「もう一度太陽嵐が起こせればいいのだが」
と独り言ちていると、出勤時間が近づいてきたので立ち上がった。いつものように妻に「行ってくる」と挨拶し、車に乗って自分の執務室へと向かった。