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陰陽年代記  作者: 嘉村
紅の海戦
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紅の海戦 5

 ユージーン・デイル少将はキールたちが子どもの頃から前線に立っていた歴戦の将である。大柄で厳しく声も尖っているが部下に対しては真摯に向き合うため人望は厚い。ただし人嫌いで深い付き合いというものが苦手なキールは彼のことがあまり好きではなかった。


 デイルには指揮を執った駆逐艦で陰の巨大な戦艦を沈めただとか百隻の敵軍を小規模艦隊で打ち破っただとか様々な逸話がある。記録によると事実らしいので凄腕の提督と言えよう。


 基地内部の少将の執務室に赴くと驚いたような呆れたような顔をされた。


 「怪我をしたから休暇中なのだろうに治ってないうちに職場に来る者があるか」


 「はあ、まあ、はい」


 キールが今日この部屋で発した言葉は後にも先にもこの曖昧な返事だけだった。その後は一切黙っていた。


 クラウディオが先ほど議論した展開を必死に説明すると、人望の厚いデイルは下っ端の話を真面目に聞いてくれた。


 「敵にどのような意図があっても島の兵力を補充させないわけにはいかんのだ。それはわかるだろう?」


 「ええ、ですが私は現在少将のお考えになる“敵の意図”がどのようなものなのかを伺いたいのです」


 丁寧な言葉を話すクラウディオの姿はいつ見ても慣れない。上官に敬語を使うのは当たり前のことなのだが。


 たしかにルージュ島にはどうあがいても人員を割かないわけにはいかない。せっかく得た領地であるし現在のところ列島を除いたら最前線に当たる場所だ。この場所を手放したらもう二度と攻めの要が手に入らないかもしれない。


 「敵の意図としては、この島を取り返すか本当に不要になったかのどちらかだろう。ただし後者の場合は不都合が起きる。捕虜の存在だ」


 不要になった島に上院議員を訪問させるだろうか。普通はさせないだろう。


 「では陰があの島を取り返そうとするのはなぜです? そもそもなぜ簡単に獲られるような手薄な警備だったのでしょうか」


 「それはわからん。どちらにしても矛盾が起きるな。俺だったら取り返す労力を割くくらいなら最初から戦力を補強しておくが、そうしなかった意味もわからない。すまん、最近歳のせいか頭の回転が鈍くてな」


 最後の若者にしか言えないような冗談以外は本気の言だと思われる。歳とは言ってもデイルの年齢は三十いくつだった気がする。ただし上層部にも陰に何か不可解な意図があるという見解をしている者がいたことは収穫だ。これなら何かしらの対策は講じてくれるだろう。


 それからデイルは自分も三日後ルージュ島に赴いて艦隊の指揮を執ること、ここ最近磁気の乱れが酷く予測もつかないため空軍やその他所属の飛行隊の活動を縮小することなどを教えてくれた。現在はベルトーネなどが島に駐在しているがもっと強力な将が欲しいとのことらしい。


 二人は少将の部屋をあとにしようとすると、一言少将は呼びとめて昇進祝いの言葉をかけてくれた。単純なクラウディオは一瞬にして喜びの感情を露わにし、跳ねるような足取りで出ていった。キールの足取りはたいして変わっていなかった。嬉しくないわけではないのだが、こういうことをするから嫌いなのだ。



 一週間後のこと。キールはどんよりとした気分を持ちながら海岸で釣り糸を垂らしていた。引っ越し先を決めようと不動産に入って物件を探していたのだが、どうにも部屋が高い。地元の五倍は家賃が高額である。店員になぜここの町の部屋はこんなにも価格設定が馬鹿げているのか聞いたところ、観光地でもあり商業が盛況なこの綺麗な町に別荘を持ちたがるブルジョワジーは少なくない。その層に向けた価格設定をしているとのこと。もちろん安い部屋はあることにはあるのだが、今住んでいる寮よりも狭い部屋になるので本末転倒だ。どうして海軍が寮を作ったのかがわかった。下っ端の薄給では満足な部屋にすら住めない町だったのだ。


 仕方がないので部屋から竿を持ち出して静かな海岸で釣りをしているのだ。昼から突発的に始めたのでキールにしてはあまり釣れていない。


 遠くから物珍しそうにキールのことを眺めてくる人がいる。確かにこの貿易港付近の海岸で釣りをする者は稀だろうが釣りくらい自由にさせてほしい。潮の流れや気候から考えると今の時期美味しいアジが釣れるんだぞ。アジをフライにして食べたいだろうが。


 心中で反論しながら気がついたが、今日は平日だ。この商業の町で平日の真昼間から釣りをしているのは怪しいのかもしれない。そう言えば町中でこの前浮浪者撲滅運動を開催するといったポスターを見かけた。無職だと思われたのだろうか。心外な。


 誤解されたままだと気分が悪いので一旦竿を固定し話している人々に向かってずけずけと歩いていった。人々、とは言ったが三人程度のものだった。それも全員男性だ。


 あのですね、と口を開きかけたときに気がついたが、一人は知っている顔だった。


 「キール・ソゾー……えーと、ズダーノフ少尉、お久しぶりだね。また会えて嬉しいよボクは」


 キールにしてみればまったく嬉しくなかった。キノだ。口角を上げながら一重まぶたをぱちぱちさせている。しかし会えて嬉しいなら人の名前くらい覚えておいてほしかったものだ。


 「いやあ偶然ここを通りかかってね、もちろん捕虜扱いだから監視付きなんだけれど。どこかで見たような雰囲気の少年を見かけたものだからもしかして君じゃないかと思ってたんだ! ところでそのフィッシングジャケット、驚くほど似合わな……うん、昨日から釣りでも始めたのかな?」


 「……お言葉ですが、私は成人なので少年ではありません。それにこの前中尉に昇進しました。あと、釣りは十年来の趣味です」


 「おっとそれはこちらこそ失礼」


 そう言って軽く手を上げたあとに「え? 成人?」と驚いていた。キールは成人男性にしては背が低く、百六十七センチメートルほどの身長しかなかった。軍人なりに鍛えてはいるものの着痩せする体型で学生だと本人が言えば大抵の人が信じるだろう。


 それからしばらくキノは色々としゃべっていたが聞く気がないので内容はさっぱり覚えていない。自分の顔は見られないが死んだような目をしていたと思う。


 「そうだ、これから一緒に茶でも飲まないかい? ここには友人がいなくてさびしいんだ」


 「遠慮しておきます」


 ぴしゃりと跳ねのけた。その監査の者に話しかけていればいいだろう。だいたい貴族の元議員と自分で話していて面白いことなどないだろうに。本当によくしゃべる人だ。


 「へえ、残念。もうすぐ会えなくなるから最後にって思ったんだけど。まあいいか」


 そう言うとキノは大仰に手を振りながら監視を引き連れ去っていった。こんなにもよく口が動く者の監視は大変だろうな、と思いながら固定された竿の場所に戻ると釣り針に仕掛けられていた餌は食いちぎられていた。まったく、余計な時間を消費してしまった。釣り竿をたたみ、先ほどまでに釣った魚を入れたクーラーボックスを持って狭い寮の部屋へと帰ることにした。


 それからさらに一週間後のことだった。ルージュ島が陰軍の手により落とされたという報が届いたのだ。

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