紅の海戦 4
リングバートは昔から交易が盛んな港町である。白い石と鮮やかな煉瓦がほどよく調和された壁の家々が立ち並び、石畳の道がどこか懐かしさを感じさせる。首都からは遠いが生活に必須な施設はもちろん娯楽の場もそれなりに揃っており暮らしやすい町と言える。もともとはこの町に海軍基地は置かれていなかったが、陽が南大陸を掌握してから陰の進行を防ぐ要として約二十年前に設置された。ノスタルジーな町並みに反して幾何学的で無機質なフォルムのその基地にキールは勤めている。
その鈍い色の基地周辺に兵のための寮が建てられている。残念ながらキールはこの一部屋ひと部屋が小さい寮に住んでいるため大量の釣り具を所持したり水槽を置いて魚を飼ったりなどの生活ができないでいる。ただ暮らしていく分にはまったく問題ないのだが。
先ほど基地で中尉昇進の辞令を受け取り怪我が回復するまでの期間休暇をもらった。クラウディオも先のルージュ島での功績が認められ中尉に昇進、怪我はしていないが少しの休みを得られたようだ。
これで給料も上がるだろう。ようやく時間も取れたのだし休暇中に引っ越し先の物件を探そう。できれば海が見える部屋がいいな……などとぼんやり考えながら机上に無造作に置かれたタブレットを取り上げてスタートボタンを押した。この端末は古いものだが、最新式のものは部屋に主人が帰ってくると自動で空調を付けたり夕飯のメニューを考えてくれたりするらしい。ただし設定が面倒なのでその機能をフルに活用している者はあまり多くないと言われている。
起動ボタンを押してから二分が経ってからようやく画面に光がともった。中古品だとはいえ前回点けたときよりも電源が入るのにずいぶん時間がかかっている。タブレット上のニュースアプリを起動させるとそこには『強力な電磁波が発生』『電子機器の故障相次ぐ 飛行機も』『信号が停止 交通機関マヒ』といった見出しが並んでいた。なるほど、このボロいタブレットがなかなか点かなかったのもそのせいか……などと思ったが、記事をよく読むと首都近郊の話だった。つまりこのタブレットは悪い調子がさらに悪くなっただけだということである。そろそろ買い替え時か。
電磁波について思い当たる節はある。先日起こった太陽嵐だ。太陽嵐はここから遥か上空にある太陽が強力な電磁波を含む太陽風の放出によって発生する。十数年に一度定期的に起こるこの現象は昔はどこで発生するかわからなかったようだが、今では気象庁の電磁波観測により予見できるようになった。
しかし、首都の近くで太陽嵐を予測できず対策が遅れて交通機関が麻痺するというのもおかしな話だ。こういった気象予報は首都を守るためにあるのではないだろうか。この国は中央集権政治を行っているため建前としてはそれを否定しても本音はきっとそうだろう。それなのに本音の目的すら果たせていないのは本当に観測ができなかったということになる。
まあいいか、と独り言をし、ニュースの検索欄に自分の名前を入れてみた。キールとしては『ルージュ島獲得 若手活躍』とか『海軍期待のホープ ズダーノフ』とかそういったものを期待していたのだが、残念ながら酒の話題しか出てこなかった。ルージュ島について検索してみても島の人員、戦力を補強することしか書かれていなかった。
出世欲や名誉欲が別段強いわけではないのだが、せっかく怪我(軽傷だが)をしてまで重要拠点(かどうか疑わしくなってきたが)を獲ったのだからもしかしたら世間でもてはやされているかもしれないと淡い期待を抱く程度には自己顕示欲はあった。人と対話するのは苦手なのに人から認められたいというのは都合がいいな、と思いつつタブレットの電源を落とした。
後日のこと。新居を探そうと不動産屋に立ち寄る途中でクラウディオに出会ったのでその辺りの喫茶店で雑談でもすることにした。人嫌いのキールだが兵学校で同期だったクラウディオ・ジンガレッリとは話していても苦にならない。最初はどちらかというと苦手な部類だったが今では親友と言えるだろう。
「ところで聞いたか?」
「電磁波の話? 俺が大陸に連れきたわけじゃないよ」
「いや、そっちじゃない。……半分合ってる。俺たちが連れてきた捕虜の話」
捕虜、と聞いてキールは苦い顔をした。キノのことだろう。ああいうふうにずけずけと人のことを詮索する者は苦手だ。無意味に脈絡のない質問をぶつけて相手の人となりを暴こうとすれば罰金が取れるというような法を整備してほしいものだ。
「あのよくしゃべるやつ、陰の上院議員だってよ」
それを知り思わず驚きの声を上げた。政治家を捕虜にしたのか俺たちは。大陸の辺境で産まれたと思われる一重まぶたをぱちぱちとさせていたあのおしゃべりな男は政治家だったのか。どうもそういう風体には見えなかった。
「見えないよな政治家には。あれが御上にいるんだからもう陰は終わりだろうぜ」
「いや、まあ、どうだろうね」
無能かどうかはわからないが、記憶を辿るとあの男は敵に銃口を向けられて慌てる素振りも見せなかったような気がする。少なくとも度胸は据わっている。
「上院、上院か。貴族制の陰で上院なら貴族ってことかな」
「そうか、なんでわざわざ貴族のお偉いさんがあんな島にいたんだ」
「流されたのかな」
短い笑いを発しながら「かもな」とクラウディオは吐き捨てた。
「視察か? 辺境の戦線を見に」
「だとしたら警備があまりにも手薄じゃなかった?」
「こんなに堅い自然要塞だから警備が薄くても大丈夫! ってことなら慢心だな」
このルージュ島一連の出来事を考えると頭が痛くなってきた。あまりにも腑に落ちない点が多すぎる。現場に出ていた二人は不可解な敵の行動に頭を抱えているのだが、上層部はどうこの事件をどう捉えているのかわからない。クラウディオの言うとおり敵側の慢心であればいいのだが。
「慢心ってのは冗談で、たぶん意味があるんだろうな」
思考をやめたいので自分を納得させようと慢心という意見に頷いたのだが、その言葉を発した本人が引き続き話題を戻した。
「お前と話してたら気になってきた。今から少将に意見を伺いに行こうと思うんだが一緒に行くか?」
少佐じゃなくて、と口角を上げながら付け足した。
クラウディオが言っているのはデイル少将のことだろう。若手育成に励み、自身も鍛練を欠かさない『進歩のデイル』だ。キール個人としては良い人なのだろうとは思いつつも軍事にかける思いが強すぎて苦手に感じる。体育会系の雰囲気が得意でないのだ。軍人のくせに。
キールと違い人と接するのが得意なクラウディオは上官とも何人か気の置けない仲となっているらしい。手柄を搾取されても相談する相手がいない自分とは違って生きやすいだろうな、とキールは思った。
「こんなに問題点があるのにあの方も気付いてなかったら俺が少将になった方がいいね。行くよ」
そう言うと席を立ち、鈍い色の基地へと向かった。引っ越しをしようという考えはとうに脳の奥に引っ込んでいた。