五話:ジルヴァラさん家で勝手に決まるあれやそれ
ほいほい人についていくもんではないとは思う。思うが、この場所で頼りになる人物はいなかった。
ブルールさんの笑顔と勢いに頷き、半ばやけくそな気持ちで彼とセルカさんについていく。その先にあったのは大きな屋敷だった。
「えーと、ここは」
「我が家へようこそ!」
私の引き気味の笑みに満面の笑みを返す兄妹。わかってはいたがセレブだった。
なんでも地元の名家らしい。そういえばあの酔っ払い共もお嬢さんとか彼女のことを呼んでいたっけ。
何でそんな人物があんな場所に、と思ったが、ブルールさん出かけ、二手に別れてショッピングしてたところを引きずり込まれたそうな。護衛でもつれていきなさいよ……。
「お帰りなさいませ、旦那様、お嬢様」
「うん、今日は客人が二人。部屋を用意してあげて」
「かしこまりました」
危機感の無さにあきれていると、ザ・執事と言った風情の壮年の男性がきっちりと腰をおったお辞儀。
私は立ち尽くすばかりである。ホールのシャンデリアとか、階段とか、御屋敷、というにはシンプルだがちょいちょいお金持ち感がある。
「旦那様って呼ぶんだったら、二人の親はどう呼ばれるの? 大旦那様?」
「そうかも。あんまり帰ってこないから聞かないけどね」
アイリスさんのなんとなーく口にしただけだろう質問に苦笑交じりで答えるブルールさん。その内容にややこしい事情を察知した。これ、詳しく聞いてもろくなことがないパターンだ。
彼女もさすがにそこら辺の事情は察知できたのか、ふーんと興味なさげに相槌をうっただけだった。
「夕飯までは時間があるね、僕は今からいろいろとすることがあるから、セルカ。お願いできるかい?」
「はい」
頷くセルカさん。妹に何かを任せたお兄さんは自室らしき方面へと向かっていった。
「お荷物お預かりいたします」
「客間の方にご案内いたします」
お兄さんがいなくなったとたん現れるメイド。老メイドからピチピチメイドまでいる。ミニスカメイドじゃない本格メイドは素晴らしい。できればあのロングスカートの下から重火器なんか取り出して欲しいところだけれど、それは流石に現実的ではない。
「ああ、部屋の準備ができるまで私の部屋にお通しするから、お茶はそっちに」
「そうでございますか。ご案内は」
「それもいらないわ」
ぺこりと一礼して、リュックをもったメイドさんがすすす……と下がっていく。音もなく歩く姿は実は彼女たちは忍者説を推したいところだ。
「こっちよ」
白と黒の服装が遠ざかっているのを見ているとセルカさんの声がかかる。お兄様がいなくなった途端なんだか口調がフランクになったような気がする。この人も猫をかぶってる系か。
私達は視線を戻し、彼女の先導で邸内を歩くことになった。
入った時にも思ったが、豪奢、と言った感じではない。目に痛いキラキラしたものはシャンデリアぐらいしかないのだ。
廊下に一二枚絵が飾ってあったり、お花が活けてあったりする。額はつややかな黒。ツボもきれいに磨かれ精緻な模様。……値段は怖くて聞けない。
階段の手すりも手になじむ木材だった。隅っこを見てもほこり一つもなくて丁寧な掃除がされているのが判る。
「これこそセレブリティ……」
「疲れそうな家だね」
ぼそりとつぶやいた言葉にアイリスさんの特になんの感情もない感想。この人にものに感動する心は残っているのだろうかと少し心配になった。
「どうぞ」
二階。階段を上り右にいった先の廊下のある扉の前で彼女が立ち止り、ドアを開けた。すぐに開けられる、という事はちゃんと掃除がなされ、隠さなければいけない荷物がないということだ。品行方正とはこの事だろうか。いや、私の部屋が汚かっただけだった。
「し、失礼しまーす」
部屋に入る。少し甘いにおいがした。セルカさんの方を向くと、そういえば同じ匂いがする気がする。アロマか香水か、こっちの石鹸の香りなのか。
「天蓋付きベッドマジで使う人いるんだ」
アイリスさんの言葉に見ると、確かに天蓋付のベッド。薄青なイメージだ。一人で寝るには大きすぎるような気がするが……こんなもんなんだろうか。
大きなクローゼットとタンスは白。それから大きな窓があった。窓っていうか、ほぼ壁というか。朝になったらメイドさんが「お嬢様、朝でございます」って言いながらシャッとカーテンを開きそうな感じだ。
一人部屋にしてはかなり広い。ベッドの反対の方向には机が二つ。一つは辞書っぽいのがおいてあったし一人がけの椅子があったので勉強机なんだろう。
「そちらへどうぞ」
ローテーブルにソファ。私達はそこに案内され、促されるままに座った。
そのタイミングを見計らったかのようにノックの音。入ってきたのはメイドさん達。ティーポットに、クッキーみたいな菓子が盛られた皿がある。
それらを机の上に置いたメイドさん達は一人を残していなくなった。残ったのは三十代くらいのメイドさんである。
そのメイドさんの手によって、とぽとぽとお茶が注がれた。白いティーカップにはきれいな赤茶色の液体が満ちていく。
「アサンドラハーブと、クロトノリ草をブレンドしたハーブティーでございます」
す、と差し出した後はそのメイドさんは窓とは反対側の壁にそって直立不動である。すごく居心地が悪い。
「ええと、」
「メーナは優秀なメイドなのよ」
セルカさんの笑みである。違う、優秀そうなのはわかるがそこじゃない。
「お気になさらず」
「いや、無理っしょ」
一礼するメイド……メーナさんにずばりというアイリスさん。ここは彼女のそういうところが助かる。私も同意して、一応のフォロー。
「何分、メイドがいる生活を経験したことがないもので」
「あら、そうなの……じゃあ、メーナ」
「はい」
セルカさんの呼んだ名前に何の意味が込められていたのかは知らないが、メーナさんはもう一度礼をして部屋を出て行った。……これはあれだな、扉前に立ってるやつだな。
「せっかくメーナが入れたお茶だから、冷めないうちにどうぞ」
「あ、じゃあ、いただきます」
「いただきます?」
首を傾げられた。こっちにはいただきますを言う習慣がないのかもしれない。……まあ、いいか。
まず匂い。甘いけれど、甘ったるいって感じはしない。口をつける。なんかの果物っぽいような甘さだ。後味は結構すーっと消えていく。
まあ、端的に言えばおいしい。
HRから何も飲んでなかったのも相まって一気に飲んでしまった。お風呂につかった後みたいにじんわりと全身がぽかぽかする。良い気分だ。……ハーブティーって言ってたけど、合法だよね?
「アサンドラハーブには疲れを取る効果があるのよ。他国から戻ってきて、さぞ大変だったでしょう?」
「ああ……まあ、そうですね」
他国どころか世界が違うんだけどね、文字通り。言う事でもないからあいまいに頷いておかわりを注がさせてもらう。確かにこれは疲れが取れそう。こっちの世界でハーブティーについて研究してみたいと一瞬思う程度にはおいしかったし。
隣でアイリスさんはというと、クッキーらしきものに手を伸ばしていた。見た目はココアクッキーかな。一口かじって、彼女は首をかしげた。
「んー……?」
もぐもぐもぐ。食べ進めるもその顔は疑問形である。食べてるってことはまずいわけじゃないんだろうけど。まずかったら多分こいつは「大河さんが好きそうな味だよね」って全部丸投げしてくる。そういう人間だ。
私も一つ手にとってかじった。
「うーん……」
私の顔も多分疑問形だ。予想通りまずくはなかった。うまいか、と聞かれると首をかしげる。
ちょっとコーヒーっぽい味だ。ブラックの。んで、缶コーヒーでもないし、ちゃんと手順を踏んだ喫茶店とかのコーヒー……って感じでもない。どことなく薬っぽいような感じもする。これもハーブを使ってるんだろうか。それから広がるシナモンっぽい味と、ほんのりした甘味。
別段別個バラバラで感じるわけでもなく、いっしょくたになってまずいわけでもなく、そこそこおいしい。けど、やっぱりなんだか首をかしげてしまう味に仕上がっているのだ。生地かな。クッキーよりもちょっと硬い感じがする。ただ、なんだろう。このクセになる感じ。首をかしげながらも次の一枚に手が伸びる。
「おいしいでしょう」
バキリ。セルカさんの形のよい歯がクッキーもどきをへし折る。その問いにもあいまいに頷いて、私達はしばらく無言のお茶会を繰り広げた。
クッキーが大方減った頃、セルカさんが口を開いた。
「ところで、これからなのだけど」
「あー……ブルールさん? が、オススメがあるって言ってましたね」
「ええ。……アグランシュ学園に入学する気はない?」
「アグランシュ学園?」
何それ、というアイリスさんの顔がこちらを向く。
「ほら、途中で話したでしょ。首都に大きな学園があるって」
「あー。それがそのアグランシュ学園?」
納得した彼女に、セルカさんが頷く。
「スエロ大陸にする五つの国から学生が集まる、大陸一の学校なの。一年から六年まであってね、いろんな人がいるわ。自宅からでも通えるのだけど、そこには寮もあるからどうかなって」
「でもお高いんでしょう?」
「いいえ、五大陸がそれぞれ一部ずつ出資しているの。それから、卒業生の中には国ごとで官僚になっている方もおられて、そういう方々が援助してくださっているのよ。さらに試験結果によって免除額が決められているの」
大陸運営の学校。国立どころの話ではない。それから、試験結果によって……というのは特待生みたいなもんだろう。すごいな。
「その基準は?」
「全額免除と半額免除、それから通常、かしら」
「その試験で筆記試験?」
「それと実技よ」
私達は顔を見合わせて苦い顔をした。筆記試験の内容が全く予想もつかないからである。確かに私は知識はあの幼女にアドミの力の一部として渡された。
だがそれを活用できるかどうかはまた別である。数学赤点ギリギリの自分に期待してはいけない。アイリスさんに至ってはなんの前情報もない。知ってるのは五か国のだいたいの位置とだいたいの特色、それからお金の単位だけだった。
実技は、大丈夫だろう。という何かしらの確信がある。あの途中の喧嘩に割って入った限りでは元よりかなり良い運動神経と、魔法があるはずだ。
「成績などでAからEクラスに分かれるの。Aクラス、その中でも特に優秀な生徒には通常四人部屋のところを、一人部屋が与えられるのよ。私も寮に入ってたらそうなんだけど……」
「へー、ところで、その試験ってどんな問題が出るんですかね?」
「今までならったところとかかしら?」
その習った事がどんな事か知らないんだよなあ。セルカさんのさりげない自慢ぽい話はスルーして尋ねてみればなんとも役に立たないお返事。彼女が悪いわけじゃないけど。
しかし、Aクラスか……。興味はあるけど、彼女と同じクラスというのはとても気をつかいそうだ。なんか面倒事がおきそうな予感もするし。じゃあ他のクラス、という事になる。
となると、別段筆記試験の勉強をしなくてもいい気がしてきた。これがすごく成績悪かったところでデメリットはお金だけである。
「……ちなみに、入学金とか、授業料とか、そういうのってどれくらいなんですかね」
「入学金は……確か制服、教科書……諸々含めて一紅四金銑。授業料は一年で一金銑だったかしら」
「大河さん」
「ええっと、紅は紅金銑ってお金のことで、入学金はだいたい十四万。授業料は一万」
セルカさんの答えにひそひそと打合せする私達。高校の金額なんて私達が払った事があるわけじゃないから安いのかどうなのか判別はつかなかった。公立くらいか?
私たちの手元には四金八銀銑。……授業料が一金銑である事を考えるとすごい額だ。あの御者、テッラさんは何者なんだ、という疑問が浮かび上がるがとりあえず後回し。
半額免除を狙ったとする。どちらにしろ二人いるのだから一紅四金銑が必要になる。となると残りは五金二銀銑。
この手持ちの金がもう一セットあったら入学は問題なかったのだけど……。
「……入学金とか授業料とかって滞納したら大変なことになるんですかね?」
「いいえ、家庭の事情で払えない子もいるしね。全て払い終えるまで卒業ができなくなるだけよ。逃亡した場合は大陸中に話が回るし……。そうなると未払いのまま逃げたって、どこかで働いたらその一部は学園が徴収することになるわ」
「あ、そうなんだ」
「広く募集して、多くの人材を集めて、優秀な人間を見つけては育て上げ各国に戻して寄付してもらうってのが学校のやり口だもの」
私は安堵のため息をついた。かなり学園の門は広く開かれているらしい。だからこそのマンモス校か。大陸すべての国から金を集めているってのが、そういうところで役に立つんだなあ。
「じゃあ、学園を受けてみようかな」
「だね、公園で寝泊まりやだし」
アイリスさんの同意が得られたのでその方向でいくことになった。
「よかった、そう言ってもらえると思って、もうお兄様が話をまわしてるのよ」
「仕事が早いね!?」
いろいろ学ぶにはやっぱり学校大事だよとか思ってたら、満面の笑みのセルカさんである。
これ、拒否権なかった奴じゃないか。
まるで一枚の絵画のような笑顔と、学園を受けるという言質をとられたような状態に、私達が反論する理由も言葉もなく、小さな溜息だけが口からでるのであった。