一話:幼女=カミサマ(自称)
「起きろ……」
「……んー」
どこかから、声が聞こえる。
どこからだろう。暗いくらい、天井から……。響くような、落ち着くような。
少しだけ落ち着く気分にさせる、そんな声だ。起きてなんて言うくせにまるで寝かしつけてくるような、そんな声……。
遠い遠い意識の外から呼ばれているような……。
「おきろーリンリンー」
「その名前で呼ぶなッ!」
「おはよっす」
あ、これ思いの他近くから聞こえてるやつだ。
思わず声が発する内容に飛び起きれば片手をあげるアイリスさんの姿がそこにあった。
寝起きでぼやける視界を瞬きでクリアにすればやっと起きたかといわんばかりのあきれ顔だ。
「ヨダレ出てたよ」
「嘘!?」
「嘘」
「あのねぇ……」
ごしごしと口周りをこする私と対照に淡々と白状する友人。なんでそんな無意味な嘘を……と、アイリスさんにまた溜め息をつきながら私はあたりを見回した。
何も、見えない。
何も、存在しない。
真っ白な空間だった。
部屋、という感じではない。私達だけがポツリといるそこは地面すらもわからなくて、まるでどこかに浮いているような感覚を覚える。
「ここは?」
「知るわけないでしょ」
「だよねー」
質問をばっさりと切り捨てられる。わかっていた事なので、まずはここから得られる事を探してみることにした。
そうして情報交換や調査をしてみて分かったのは六つ。
一つ目。私達は帰り道に魔方陣にひきずりこまれた。二人とも覚えてるってことは、記憶がなくなったわけでもないようだ。
二つ目。この場所は見覚えない場所。どこまで行っても真っ白な空間に見覚えある方が怖いけど。もちろん帰り道なんかではないし、お互いの頬を思いっきりつねったが夢ではない。頬が痛い。
三つ目。ここには私達しかいない。周りに他に人どころか物すら見当たらない。どこまで歩いても何もないから本当に歩いているのかさえ分からなくなってくる。
四つ目。私達に異常なし。性転換してるとか小さくなってるとか大人になってるとかもないし、制服のままだ。鏡を見たが、相変わらず私の髪は耳の下ほどまでの黒髪、特に特徴のない顔立ちだった。アイリスさんは言わずもがな、見た目ばかりは美少女だった。
五つ目。持ち物はなくなっていない。教科書やいらないその他諸々が大量に入ったリュックだとか、ポケットの飴玉ですら無くなったものはない。
六つ目。ケータイは圏外。これはまあ、予想してたけど。
「……とりあえず、なんじゃこりゃあ! とか言ってみればいい?」
「それ、お腹に怪我を負った時のセリフでは……って、アイリスさん落ち着いてるね、将来やっぱ大物になるんじゃない?」
「やったー」
「誉めてないし、せめてそういう時ぐらい棒読みやめて」
打開策は見つからず、いるのは私達二人だけ。これからすべき指針も何もない状況でできることといえばいつも通りの軽口しかなかった。
クスクス。
元いた場所に座り込んでひとまず落ち着こうとそんなやりとりをしていると、どこからか笑い声が聞こえてくる。女性……いや、女の子の声だ。小学校低学年くらいだろうか。訳の分からない状況で聞こえる無邪気な声。ジャパニーズホラーの怖さを感じる。
「漫才みたいな二人じゃのう」
「うぎゃぁっ!?」
声がふっとかかって、振り向けば真っ赤な瞳ににやりと笑う顔。思わず声を上げた。ものすごく近い。いつの間にか背後にいた幼女のドアップだ。すうっと幼女が後ろに下がる。
……その姿は別に血まみれでも、青白くもなかったし、部屋も無意味に明るい真っ白な部屋だから離れてから改めて見ると怖くはない。
「漫才じゃねーし」
いや、怖くない理由としてはふてぶてしく答えるアイリスさんの存在も大きい。幽霊だろうが付き従えてしまいそうな貫録が見える。
こういう時ばかりは頼もしい友人であった。
「やはり面白いのう」
そんな彼女にも、幼女はからころと笑うばかり。離れたのは良いものの、立ち上がった私達と視線が同じってことは、明らかに浮いている。物理的に。
「えっと、じゃあとりあえず聞いていい? 何にもない空間に突然あらわれたって事は、ただの幼女じゃないんでしょ? 何者なの?」
もうなんていうか驚いて取り乱すタイミングを逃してしまったので、気をとりなおして話を進めようと口を開いた。黒いゴスロリと黒いおかっぱ、明らかな和顔。赤い目が空間的にもその組み合わせ自体も合っていない幼女へとだ。
幼女は質問にしばらく唸ってこう答えた。
「カミサマ(自称)じゃ」
「かっこ自称かっことじる?」
「うむ。かっこ自称かっことじるなカミサマじゃ」
「何ソレ」
アイリスさんの反応は極めて普通だ。私も首をかしげる。
カミサマって名乗る幼女の時点でかなり胡散臭いが、そこに自分で(自称)をつけることによって、胡散臭いというより「何言ってんだこいつ」という感想が先に立つ。
しかし、幼女はそんな私達にはお構いなしに腕組みして得意顔だ。
「まぁお前たちが戸惑うのも無理なかろうよ。いきなりこのような場所に連れてこられたのじゃからの。すまぬな」
「いや、戸惑ってるのはそこじゃないけど」
ゲシュタルト崩壊しそうな自称についてだけど。
そんな私の心中とは裏腹に、幼女は話を続ける。
「いや……しかし汝まで連れてきてしまうとは……ほんに、すまぬなぁ」
申し訳なさそうとも本気では思ってなさそうな顔。
だけど、そこでようやく頭がまわりはじめた。
道にあらわれた魔方陣。
ひきずりこまれた先の異空間。
考えてみたけどこの要素は小説とかでありがちな異世界トリップ物ではないのか?
魔王討伐の為にチカラを貸す勇者とかそういう類の。もしくは何かの間違いで呼び出されてしまったので元の世界に帰ろうと奮闘する系の。
……そう考えるとなあんだ。と気が抜けた。
こういう事の役回りは絶対私ではない。確信にも似た気持ちだ。
そういう小説の軸になりそうなのはどちらかといえばアイリスさんだもの。
美男ばかりのパーティとか逆ハー状態になったりとか、お姉さまと慕う妹分ができたりとか……それで各地で問題を引き起こしながらそれをちゃんと解決して行き……っていうやつ。面倒くさがりな勇者が、それでもなんだかんだで世界を救ってって。ギャグなんかありつつも、自分が好きなようにやってたら流れで、とか。似合うじゃないか。
じゃあ私はなんだろう、と考えると巻き込まれ転生という言葉が浮かんだ。
主人公のたまたま側にいたから転送させられたのではないのか?
そこまで考えて大きなため息がでた。
……やっぱり私はこういう運命なんだ。周りが濃いキャラだからそれに紛れるしかないんだ。巻き込まれるしかないんだ。
そう思えたのは一瞬だった。次にカミサマ(自称)が口を開いた時、そんな勝手な事を思っている場合じゃあなかったと理解したのだ。
「ともかくよく来てくれたのう! ……鈴!」
……うん? 聞き間違いかもしれない。
「……今、なんて?」
「よく来てくれたのう、鈴と」
「……つまりアイリスさんの方が巻き込まれ」
「うむ。そこな女子が一緒だとは思わぬでなぁ」
……えーっと? え?
思考がフリーズしたまま進まない。つまり、私が呼ばれて、アイリスさんが一緒に帰ってるとは思わなくて、それで?
「えーカミサマ(自称)なら大河さんがいつも私と帰宅しとくって事ぐらい調べといてよー」
「すまぬすまぬ」
「そこなの!? 気にするとこそこなの!?」
思わず叫んだ。
これって 外国人風に高らかに陽気に笑いあってすむ問題なのだろうか。巻き込まれた本人と巻き込んだ本人なのに。
どこから情報を整理していいのかわかんなくなって、結局身近なところをつっこむしかなくなる。私は頭が良い方じゃないし、何より本気でアイリスさんが主人公側だと思っていたもんだから。
「ほんにすまぬよ……我の調査不足で迷惑かけてしもうた」
そんな私はおいといて、しょぼん、とした顔をつくるカミサマ(自称)にしょうがないよと言うアイリスさん。
「ちょ、ちょっとまって何二人で和やかな感じで終わらせようとしてるの」
「なるようになるって」
何故かアイリスさんの適応力が高い。いや、人の好き嫌いが激しい彼女がうまく猫をかぶれるのはそういうところにあるのだろうとは思うのだけれど。
ぐっとこちらにサムズアップされても、困る。
「いやいや、あいりす……アヤメ? とやら。汝は不慮の事故というやつじゃ。今ならくーりんぐおふがきくでな。戻るか?」
平仮名発音するくらいなら言わなきゃいいのに。
そんな事を考えながら私はぼんやり思っていた。
アイリスさんは元の場所に戻るんだろうなあって。
彼女は面倒事が嫌いだから。
……それに、彼女は巻き込まれただけだ。
そう考えると全然アイリスさんが戻らないなんて選択肢を選ぶ姿が思い浮かばなかった。
まあ、なんだかんだで一番の友人だったけど、最後にこんな風に私のせいで迷惑かけることになるなんてなあ。
一歩引いて考える。
確かに、異世界ものなんかよんで行ってみたいなんて思うことは一度や二度じゃないくらいあった。けど実際にしてみるとこんなもんなのか。
脇役だった私の人生。もし行く先がさらに別の世界だったなら、どんな風に過ごさせてもらえるんだろう。
赤ちゃんから転生? この見た目そのまま? チート能力は?
……何にせよ、そういう何かがなければ私に主人公染みた事など期待出来そうにないのだろう、と。一人でやっていけるのだろうかと。
そう考え込んでいたら思わぬ発言を聞き逃すところだった。
「いや、大河さんと一緒がいいなー」
このセリフ自体はそう驚いたものではなかった。今までに聞きあきた台詞だ。
班決めの時も。教科選択の時も。色んな場面でこれを聞いた。面倒くさがり屋な彼女らしい他人任せである。
……今まではそれでよかったかもしれない。けれど、今回は違う。
「何言ってんの! アイリスさんは戻りなよ! 分かってる!?」
肩をつかんで怒鳴る。
教科を決めたりする時とはわけが違う。これから一か月や二か月では済まないくらい長いことになるのがなんとなくわかってる!
私で分かって彼女が気が付かないなんて事はないだろうに! 何を考えてるんだコイツは! いつもほんと理解できない人だけど、それでもこんなに読めなかった時はなかった。
「あ、ちょっと肩つかまないでよ。後、間近で怒鳴らないで。ツバちるから」
「……」
私の叫びに返ってきたのはこの言葉。
改めて、コイツと何で友人やってんだろう、と思うと同時に無性に腹が立ってくる。
私は! あんたのの事を思って言ったのに! 悪いと思ったから言ったのに!
握りしめたこぶしが震える。
「いつもさ、こっちを心配してついてきてくれるっての、分かってるよ。アイリスさんが面倒くさがりだからってのも分かってる。それで同じにしよって言ってんの、全部分かってる……分かってた!」
うつむいて、小さくつぶやく。それでも彼女はなんの反応もしない。だから、もうカッとなって叫んだ。
「……でもさ、アイリスさん、嫌な事しないじゃん。自分で考えられるじゃん。重要な時は自分で決めて、間違えたことなんてないじゃん! ……今回は! アイリスさんの嫌いな面倒事ありそうだよ!? 私きっと何にもできないよ!? なのになんで!」
「だって向こうに戻っても大河さんいないんでしょ?」
は? 何それ。
無表情のまま小首を傾げて彼女の口から出てきたのはそんな言葉だった。
思わずぽかんとしてしまう。
私の間抜け面は放っておいて、うーんとうなりながら続ける言葉を探しているようだった。
「私だって考えたけどさー、うん、やっぱいないと、つまんないと思う。こっちにいるって知ってるのにさ、さすがに見捨てるのも大河さんかわいそうかなーって」
お前それ、あんたではなく好きな男の子に言われたいタイプのやつ。今いないけど!
そういうデレはもっと違う場面で発揮してほしかったし!
しかし悪意なく、策略もなく、あっさりという彼女に力が抜ける。
もうコイツわけわかんない。
「確かに嫌なことはしない主義だよ。だからこっち選んだの。だって戻っても大河さんみたく荷物持ってくれる人いないし、頑張れとか押し付けがましく言わない人もいないし、趣味あわなくても居心地いい人いないし」
指折り数えながらついていくための理由を挙げていくアイリスさん。
……最初の荷物持ち判定で結構台無しなんだけど。
そうツッコみたいが彼女の話は続く。
「家族とも離れられるし、楽しそうだし、っていうか一人戻った方が面倒ありそうだし。きっと何も出来ないっていってたけど結構お人よしだもん。なんだかんだで大河さんは助けてくれるだろうし……こっちの方が断然。ねえ?」
「ど、同意を求められても」
そんな、一人暮らしみたいなノリでいいのかお前は。そんで、こっちが助ける事前提なのか。
色々言いたい事はあった。
しかし、さも当然だ、と言わんばかりの態度に私は溜め息をつくしか道は残っていなかった。
彼女が話を素直に聞くような人なら、知り合った時から今までに苦労なんて文字はなかったはずだ。
「それにしてもさっきの大河さんのこぶしふるわせながらの演説は笑った」
「人の折角の決心を笑うあんたはやっぱり悪魔だよ」
……この人の心配をするだけ無駄だった。私は新たに認識を上書きし、そして幼女に向き直る。幼女もまたこちらに真紅の目をひた合わせ、一つ頷いた。