プロローグ:はじまりは突然に
「えー、最近物騒な事件が続いている。皆下校時刻になったらすぐに帰るように。それから一人にはならないように。以上」
担任のその言葉に私は無茶を言うなあと、不謹慎だと思われないようにあくびをかみ殺した。
一人にならないようにって言われても、近所に友達がいなければどうしたらいいんだろうか。
日直の号令に立ち上がり、気を付け、礼。あっざっしたーと抜けた声もまばらに皆は教室を出ていく。すぐに帰るなんて高校生が守るわけもなく、部活に寄り道、それから噂。色んな話が耳を通り抜けて行った。
某月某日。
場所はと聞かれたなら日本上のどこかで、夕日がほの差すこの時刻。
早くHRが終わったらしい生徒の、野球部の暑苦しい掛け声と吹奏楽部の練習が聞こえ始めている。
「アイリスさーん。かえろーよ」
「かえるよー」
皆移動が速いなぁ。他の生徒が早々に出て行ってしまった教室。私は隣の席で荷物を詰めている友人に声をかけた。やる気のない返事をするのを手持無沙汰に眺めている。
友人―――アイリスさんは見慣れていても一瞬見惚れそうなほどの美少女である。夕日のオレンジに照らされてなお白い肌に、一歩間違えればきついと言われそうな切れ長の、それでも大きな目、赤い口に高い鼻梁。窓から吹き込む風に揺られる長いストレートの黒髪がとても絵になる。
「大河さん。ん」
「はいはい。持てば良いのね?」
……折角の大きな瞳も死んでいるし、そのきれいな口から到底離れてるとは思えないけだるげな声でぐいぐいとマフラーを押し付けてこなければ、だけど。
私ももう慣れたもんで素直に受け取る。やりとりを無駄に重ねるよりあっさりと従ってしまった方が早くことが進むのだ。
……別に、パシリではない。れっきとした友人である。
私、平々凡々が売りの大河鈴とこの美少女アイリスさんこと滝ノ井采明は何の因果か友人である。
なぜアイリスさんってあだ名なのかといえば采明……あやめから、菖蒲、そしてアイリス、とまぁそういう訳だ。
マフラーを受け取った後は私も立ち上がる。それを見たアイリスさんがぱしっと自分の手を合わせて感激ポーズ。
「わー、ありがとー大河さんは優しいなぁ」
「……あのね、その分かりやすい棒読みするならさっさと鞄に教材をつめて! このまま待ってたら日が暮れてしまうわ!」
私はため息をついた。本当に彼女はいろいろと……もったいない人だ。
例えば……彼女のスペックをあげよう。見た目は先も言ったけど美少女。それから成績は優秀。元から頭良いのに加えて、ちゃんと勉強もする……けどそれを表に出さない隠れ努力型。
まさに立てば芍薬、座れば牡丹といった風情……なんだけど、まあ勿体ないっていうのは性格の話になる。
大きな黒目がちの瞳はさっきから死んだ魚のようであるし、口を開けば無気力、時折漏れ出る舌打ち。それから猫背。歩く姿だけは百合の花っていうか、風に揺れる柳に竹? いや、そんなしなやかに風流なものではない。寝不足の人だ。
つまり、典型的な「黙って座って微笑んでれば美人」ってやつ。
「……でも、人受けは良いんだよなあ……」
「なに?」
「アイリスさんってなんか残念って話」
「うわ、大河さんに言われたくない」
「残念って言われるほど私もともと期待値ないから」
しかし、その残念ってのは友人内部での話である。彼女、必要な時の外面は頗る良好。愛想笑いも頼れる姉御風もやろうと思えばできる。それに憧れる後輩がお姉様……なんて呼んでるのを聞いたときは二度見した。歩く姿や多少死んだ目も浮世離れとか変わっててかっこいいとか、ひとまず遠巻きに憧れている分にはマイナスにならないらしい。美人って得だなあ。
「そーいや、さっきのホームルームの物騒な事件って、どう考えても山谷だよね」
「めずらしく聞いてたんだ、話」
準備が終わったらしくリュックを背負ったアイリスさんにマフラーを返してやりながら私達は人気が消えた廊下を歩く。
「ん~先生の言ってたことならまあ、だろうね。いなくなったとなりの山谷の事でしょ」
「あのイケメンの?」
「あのイケメンの」
となりの山谷って何だかジ○リのタイトルにありそうだよね。
自分で言っておきながらそんな事を思いつつ、彼女の言葉に頷いた。
隣のクラス、つまり私達の高校の二年二組に在籍している山谷 東治郎。
彼の行方が先週からわからないという。
誘拐にしては何にも要求されてないらしいし、誰か女の家に行ってるって訳でもなさそうだ。友人の家に行ってるならとっくの昔に解決している話だし、どこかに出かけてて事故にあったような報告も届かない。巻き込まれていそうな事件の噂もない。
神隠しのように彼は消えてしまった……らしい。
物騒な事件、って先生が言ってるのはあくまで脅し。あまりに情報がないので何かしら厄介な事に巻き込まれてるかもしれないっていう推測からだろう。そうやって脅しておけば学生を直ぐに帰らせるための言い分が学校には出来る。……クラスメイトの様子から見てあまり効果はないみたいだけど。
「まあ、事件に巻き込まれてるかもって言う方が、誘拐や遊びあるいているよりよっぽど現実味あるね」
「確かに。山谷がそういうのするようには誰も思わないだろうし」
アイリスさんの言葉に頷く。そう思う理由は彼の性格にあった。
圧倒的王道主人公。
彼を説明しようとすればその言葉だけで済む。
イケメン。背は高く、運動神経抜群。イケメン。所謂一級フラグ建築士。正義感が強い。悪しきをくじき、弱きをたすける、っていうのが信条。イケメン。大切なので三回言った。イケメン爆発しろ! との怨嗟の声もままあるが、さすがにそれで行方不明っていうのは現実味がなさすぎるかな。
山谷列伝でベタなものがあるといえばこんな感じか。
横断歩道で困っているおばあさんがいれば助けるし、雨の日に捨てられている猫は気に掛ける。子供の風船がひっかかってたらとってやり、女の子が絡まれたら助けに向かう。そうやって救われた女の子とかが周りに集まってもその好意には気づかない。まさにどこかから抜け出てきたような性格だ。
「山谷って確か大河さんの幼馴染だったでしょ? 心配じゃないの?」
そういえばヤツには幼馴染の女の子がいるって属性もあったな。まあ私なんだけど。顔がさらに険しくなるのが分かった。最早反射である。
「確かに危ないねって、普通の人間としての感想はあるけど幼馴染だからっていう特別な心配はナシ!」
「心あたりとかは?」
「それ、警察とかにも聞かれたよ。けど、あるわけないじゃん。良く一緒にいたのなんて幼稚園や小学校の話。高校まで一緒になるとは思ってなかったし。……あいつの所為で私の人生は大概暗黒だよ……知ってるくせに」
「すねてるねぇ」
「すねてますよ」
幼馴染。他人から聞くとなんと魅力的な言葉か。でもそれは相手による。近くの家で窓を開けたらいて小さいころに結婚の約束なんかして……っていうのは現実ではそういない。いたとして、本当にずっと仲がいいのか? そうじゃない人たちだってたくさんいるわけだ。
あいつの嫌いなところをあげたら限がない。いや、たぶんあいつそのものの存在が苦手だからやることなすことが嫌いになるんだ。わかってる。
たとえば「リンリン」って呼んできたこと。私がパンダが好きってのも相まって「パンダみたいじゃない?」なんてのんきに笑った。そのせいでどれだけからかわれたか。今では反射的に拒否反応が出るようになってしまった。
それから一番嫌なところ。それは、先に言った「鈍感主人公気質」である。
私もあいつもそんな気なんかないのに、あいつが私に良く話しかけ、しかも呼ぶときは親しげな「リンリン」。それに勘違いした東治郎ハーレムから嫌がらせ受けるのは解せる話ではないのだ。
あいつは私が幼馴染みなのと、先に述べたように主人公気質なのが相まって、コミュ障気味で友人の少ない私に『あくまで善意で』『一人ぼっちはさみしいもんな』って事で声をかけてただけなのだ、ということはわかる。わからなくはない。ああ、普通であればありがたい話だ。
だけど……。
話しかけられれば「は? 幼馴染かなんか知んないけど、調子のってんじゃねーよ」と言われ、私興味ないですって避ければ「せっかく彼が話しかけてくれてんのに無視とか調子のってんじゃねーよ」と言われ。そんなに私は調子乗ってるように思われるのかと叫びたかった。
……そして、調子に乗ってナマイキなやつ認定された私が過ごした日々は少しくらい予想がつくと思う。言うなら「女子は怖い」だ。
そういう嫌がらせが嫌で、一念発起して勉強した私は遠くの中学校へ来た。というのに奴はスポーツ推薦でここに受かってやがった。
しかし中高一貫校を選んでしまったし、割と近隣の状況は気に入っていて、あらためて高校で受験する気もなく、そのままずるずると同じ学校である。中学に入ってしばらくはまだ嫌がらせもあったけど、向こうが離れていくのにしたがって落ち着いてきたし。
だが、奴の幼馴染というだけでそういう敵対心を持たれるのが嫌で、私は小学生高学年あたりまでにはあいつの事が嫌いになり、イケメンと言う人種に恐怖心さえ抱くようになり……そして、その存在そのものが嫌いになってしまった。
今では明らかなキラキライケメンを見てしまったり近づいたりしてしまったら鳥肌が立つアレルギー体質になってしまった。テレビがほとんど敵である。イケメンアイドル若手イケメン俳優なんかでてくると鳥肌が反射的にたってもうまともに内容がはいってこない。まあ、王道の王子様フェイス系統が一番苦手なのであって、他は割とましなんだけど、それでも日常娯楽に支障がある。
だから冷たいと思われるかもしれないが、正直事件とかに巻き込まれてなきゃいいんだけど、さすがに知り合いが死んだとか大けがしたとかは目覚め悪いし、ぐらいにしか思えないのだ。一度しみついた敵対心はなかなか抜けないものである。
ただ、このパンダの髪飾りは……。
私はそっと前髪をとめているそれに手をやった。
それに関するまだ純粋だった頃の、麗しい思い出を浮上させないように首をふり、私は話題を戻す。
「ま、山谷のがもし誘拐だとしたらアイリスさん気をつけなよー? 黙ってれば美人なんだから」
「はいはい。そういう黙ってればっていうのいらないんだけど。一言多い」
「アイリスさんに言われたくない言葉第一位……」
「え~ひどい。ま、一応大河さんも気をつけなよ」
「あははは、私にゃそんな心配もないでしょ」
「それもそうだね」
「肯定されたはされたで嫌だな……」
駅までの道。この中途半端な時間に細い路地を歩くものもいなかった。
いたって普通の。いつも通りの帰り道だった。
そこをそんな風に冗談めかして歩いているときの事になる。
「えっ」
図らずも声がハモる。
地面がうす緑色に光ったのだった。
思わず目を細めて視線を向ければ、漫画とかでみるような奇怪な文字と幾何学模様が浮かび上がっている。
「魔方陣……?」
避けようにも足元にそれは広がっていた。もう、右足がその中へと踏み出している。
呟いた言葉とともに体が下へ引っ張られた。深い沼に飛び込んでしまったかのようにずぶりと。
足は確実に道路にめりこんでいくのに、感覚はエレベーターが到着するときのような臓腑が浮かび上がる感覚。
「ひっぱられてるねー」
「なんでそんなに落ち着いてるんのぁぁぁぁあ!?」
相変わらずのローテンションのまま、無表情のまま、地面に吸い込まれていくアイリスさんに怒鳴ったところで、一段とガクン、と引っ張られる感覚がして、私の悲鳴と意識はフェードアウトしていった。