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「おい」
唐突に声をかけられ、俺は顔を上げる。
目の前を歩いていた女性が、いつの間にか振り返り、俺を見ていた。
「なんですか、高橋さん」
俺は不躾な視線を突きつける彼女に、多少の萎縮を覚えながら返事をする。
「なんであんな、クソみたいな仕事しかねーんだよ」
彼女は呆れを通り越した、嫌悪さえ伺える口調で、乱暴な言葉を俺にぶつける。
「まずまずなのも、多少あったじゃいないですか」
俺は肩を竦めながら、なだめるようにそう言ったが、彼女に納得した様子は無い。
「私は人殺しがしたいんだよ」
なに言ってんだこの女……
「バカな事言わないでください」
「あ? バカって言ったかテメー」
ウンザリだ
俺はその女性から目線を逸し、無理矢理会話を打ち切った。
「無視すんなよクソ。任役ってのは、あんなつまんねー事が仕事なのかよ」
任役、それが俺たちの仕事。
簡単に言えば「便利屋」。上部組織の「商会」の管理の下、「倫理規約」という枠組みの中で様々な仕事をこなす。
便利屋と言えば聞こえは良いが、本質は商会の私兵に過ぎない。
商会に戦力を持たせたくない「警邏」と、武力でのし上がってきたがすっかり疲弊してしまった「商会」、双方が長い長い討論と数多の妥協を経て、ようやく行き着いた落としどころ、それがこの任役。
はっきり言って、かなり歪な役職だ。
治安の管理者である警邏、流通の監督者である商会。そう上手く分離できれば、それに越した事はないのだが――
「賞金首狩りとか、そういうのはやんねーのか?」
不意な彼女の問いかけで、俺の思考は中断された。
「狩りですか? 誰を」
「今話題のなんだっけ……あー『落とし子』だっけ? あの辺とか」
またバカな事を……
「やりませんよ、絶対に」
「何でだよ」
「ああいうのは、もっと体力のある事務所の、経験豊富な任役の仕事です。自分達みたいな、弱小事務所の手に負える仕事じゃない」
「手に負えない?」
「情報網とか、後ろ盾とか、そういうのはウチには無いんですよ」
「クソみてぇな理由だな」
「何とでも言ってください」
彼女は不満気に鼻を鳴らす。
――高橋さん、俺は彼女の事をそう呼んでいる。
さん付けなのは、別に彼女が年上というわけでも、彼女が立場上先輩筋にあたる人物というわけでもなく。むしろ五つも年下で、もっといえば彼女は「事務所に属して一ヶ月経ってない」という新人中の新人なのだ。
外見に威圧感があるわけでもない。身長は130程しか無いし、顔立ちも小鹿の様なクリクリとした目が印象深い、典型的な可愛い少女だ。何故かいつも付け髭をつけているが。
じゃあどうして「さん付け」なんてしてるのかと言えば……どこから説明すれば良いのかな……簡単に言えば、苦手なのだ。
俺は彼女の事が大変苦手なのだ。俺の中で彼女は、生涯に渡って絶対に関わりたく無いタイプの人間だから、それが理由だ。
閑話休題
「なんかさー、凄い事になってんだろ?」
妙に勿体ぶった口調で、高橋は喋る。
「何がですか?」
「落とし子の懸賞金」
まだその話を続けるのかよ……
「えぇ、すごい勢いで上がってましたね」
「いま幾らぐらいなんだ」
「確か一千万ぐらいだったかと」
「マジかよ」
彼女は両手を上げ、大袈裟に驚きを表現する。
「そんなにお金が欲しいんですか?」
「そーじゃなくってさ。虚しくなんねー? 方や八桁の大仕事をしてる任役、でも私達は十万ぽっちの集金。同じ任役なのに」
お前情けなくないの? そう言って高橋は、見下した様な笑みを躊躇なく向けてきた。
俺はため息を押し殺し、非難するような目線で返す。
「なんだよ。なんか言い返せよヘタレ……ん?」
俺が思わず言い返そうとしたその時、彼女は突如俺から目を反らした。
「どうしました?」
尋ねながら、高橋の視線を追う。
彼女は横の、暗く細い路地を見ていた。
その路地の突き当りには、一組の男女がいる。
なんだか揉めている様子だ。
「あれ、アイツじゃねーか?」
高橋の指差すその男は、細身の女性の胸ぐらを掴み、何か怒鳴っている。
「あぁ『篠崎』さんですね」
篠崎、今回のお仕事の相手。
「ラッキーじゃん、ねぐらに行く手間が省けた」
そう言って彼女は、意気揚々と篠崎の方へ向かって行く。
……一緒にいる細身の女性はなんだ? 大丈夫か?
俺もやや気後れしながら、後に続く。
「よぉおおおう! しぃのざきぃ!」
高橋の声に反応し、篠崎はこちらを向く。
驚愕、焦燥、邪見、それらが入り混じった、なんとも豊かな表情を、彼は瞬時に浮かべた。
「なんだよッ! なにしに来たんだよッ!」
男の悲鳴の様な声が、路地に響く。
「集金ですよ。十万程回収しに来ました」
俺はとりあえず説明をする。
「十万? なんの話だ」
「商会が負担金を出し渋ってんだよ、てめー切り離されただろ」
そう言って高橋はケタケタと笑う。
「何言ってんだよお前ら、何言ってんだよッ!」
……あぁすっごい動揺してる、面倒くさいな。
「理由はわかりませんが、貴方は商会から平和喪失処分を受けた模様です。つきましては前回の依頼にて『商会負担金』として差し引かれていた分の十万円分を――
「お前ら! お前ら商会にチクったのか!?」
篠崎は錯乱した様子で喚き、細身の女性が驚き震えている。
「知るかよ。どーでもいいから早く金払えよ」
「……巫山戯るな、人をコケにするのもいい加減にしろよッ」
篠崎は怒りに任せて女を投げ捨て、高橋と向き合う。
「いいの? 殺すよ」
高橋は不敵な笑みを浮かべながら、ゆっくりと身構えた。
「お、おい」
俺は諌めようと、彼女の肩に触れる。
次の瞬間、篠崎が素早く俺たちとの間合いを詰め、高橋に殴りかかった
右のストレート、正確に高橋の頭へ
だが彼女は数センチ体を落とし、拳を潜り抜け篠崎の懐に入る
空を切る篠崎の右腕が、細い高橋の腕に絡め取られる
篠崎は慌てて体制を立て直そうと、右足に重心を落ち着かせようとする
高橋はその足を蹴り払い、彼を地面に引き倒す
「う、ガッ」
篠崎は背中を踏みつけ固定され、取られた右腕が捻り曲げられた
「やめてくれ! お前こんな事してただで済むと……」
彼女は膝を支点に、勢い良く篠崎の腕を――
鈍い音、骨が折れた
悲鳴
「ただで済むんだよ、てめー審議室に行けねーだろ? 行ったらバラすぞ、てめーが娼婦に何をしたか」
誰が示談にしてやったと思ってんだカス、高橋はそう吐き捨て蹴り飛ばす。
絶叫
「ゆ、許してくれ、頼む。金は払うから」
「……気に入らねぇ」
高橋は篠崎に馬乗りになると、後頭部を地面に叩き込む。
「高橋さん。その辺にしましょう」
見るに耐えかねた俺は口を挟む。
「あぁ?」
「それ以上やったら、死んでしまいます」
「……つまらねぇ」
彼女は何やらブツブツ呟くと、篠崎から離れる。
「篠崎さん? 大丈夫ですか?」
俺は倒れたままの彼に声をかけるが、反応は無い。
「気絶してるぞそいつ」
高橋は手際良く篠崎のジャケットから、大きなサイフを抜き取ると、中を確認する。
「十四万、結構持ってんじゃねーか。迷惑料だ、全部頂くぞ」
中身を抜かれたサイフが投げ捨てられる。
「やりすぎですよ、高橋さん」
思わず苦言を呈す。
「あぁ?」
「なにもこんな……」
「うるせーよ」
彼女は煩わしげに目を反らし、さっさと路地から出ていく。
もう無茶苦茶だ
俺はため息をつき、軽く頭を振って、なんとか気を取り直す。
そこでふと、路地の隅に蹲る細身の女性の姿が目に入った。
あぁ、篠崎と揉めてた……
「大丈夫ですか?」
俺はその女性にやさしく声をかける。
彼女はずっと小さく縮こまっていたようだ。
余程乱暴にされたのだろう、服がかなり傷んでいる。
「安心してください、貴方に危害を加える気はありませんよ」
いかにも虚弱体質な女性だ。針金細工の様に脆そうな体、肌の色は土毛色に斑で、浅黒く縮れた髪の量はとんでもなく多く、顔色は伺えない。
「おおい!! 何してんだ!! 早く帰るぞ、ヌードバーに連れてってやる!」
路地の外から高橋の大声が聞こえてくる。
「では自分はこれで。気をつけてくださいね」
俺はそう言い残し立ち去ろうとした。
「あ……の」
だが細身の女性は、消え入りそうな声で俺を呼び止めた。
「はい?」
「あの……あなたは、任役……ですか?」
「はい?」
え? なんだ?
予想外の質問に俺はたじろぐ。
「あの……依頼したいことが、あります」
おどろどろしい髪の合間から、儚げな瞳が縋るように俺を見ていた。