真剣勝負(3)
すべてを詰め終えた頃、誰かが階段を駆け下りてくる足音が聞こえた。手すり越しにその人物が顔を出す。
「天沢さん?」
「結城くん」
私の顔を確認し、急いで駆け下りてきたのは、生徒会長だった。
結城充――彼もまた、上位の成績保持者だ。勉強も運動もできて優しく、皆からの人気者。それだけなら荒川と変わらないけど、唯一違うのはそれを鼻にかけない所だった。私も荒川も、心のどこかで自分の成績に対して誇りを持っている。しかし、結城くんにはそれが見かけられないのだ。だから、クラスは違っても私は彼に一目置いていた。
意外な人物の登場に、私も荒川も目を丸くしていると、結城が言った。
「天沢さん、大丈夫? すごい音が聞こえてきたけど」
「あ、うん。ちょっと転んだだけだから。ありがとう」
結城くんは、まるで荒川など視界に入っていないかのように、私に手を差し伸べた。生徒会長なだけあって、その物腰たるや紳士さながらだ。さすが、同級生とは思えない。
怪我なんてしていないから本当に大丈夫なんだけど、私は遠慮がちに結城くんの手を取った。結城くんは優しく引っ張って私を立ち上がらせると、「ああ、君もいたんだね」というような視線を荒川に向けた。
「ちょっとぶつかっただけだよ」
咎めるような結城くんの視線に、荒川はバツが悪そうに顔を背けた。
それは少し違う。ぶつかったのは確かだけど、荒川は私を助けようとしただけだ。何も悪くない。
そんな言葉が喉元まで出掛かったが、それより先に結城くんが箱を持ち上げた。怪訝そうに眉を顰める。
「これ、授業で使うやつだよね?」
「あの、それは、私が教室まで運ぶように担任に頼まれたの」
「ああ」
納得するようにそう零すと、結城くんは良いことでも思いついたみたいに言った。
「これ持つよ。一人だと重いとだろうし」
「え、いいよ。すぐそこだから」
「いいって。こんなに重いの、男でも大変だから。一応転んだんだから、無理しないほうがいいよ」
「……じゃあ。ありがとう」
「いいえ」
ふと笑いかけられる。その瞬間、どき、と鼓動が速まった。熱が顔に集中する。
結城くんとは、中学でも何度かクラスが同じになったことがある。つまり、私と同じ内部生だ。今はクラスが離れてしまったけど、同じクラスだったあのときから既に、私みたいに目立たない生徒にも気を遣ってくれていた。生徒会長だから優しいんじゃない。彼は本物の善意でやっている。荒川が猫を被っているのに対し、結城くんの振る舞いは自然だ。
それが分かるから、私は結城くんのことが好きだった。勉強もできて、スポーツもできて、しかも気配りが上手い。これぞ優等生の鑑だと思う。どこかの誰かさんとは大違いだ。結城くんに素直に頼れたのは、付き合いが長いからだけど、こういった理由もあるからだった。
結城くんと二人で教室へ向かう。ふと、視線を感じたから振り返ると、荒川が怖いくらい無表情で私を見ていた。
「天沢さん、大丈夫だった?」
荒川が見えなくなったのを見計らって、結城くんが静かに口を開いた。階段から滑ったとはいえ、荒川のおかげで私は見るからに無傷だ。
「私は全然大丈夫。怪我もないし」
「そうじゃなくて。あ、いや、それもだけど。さっきあいつと言い争ってるみたいだったからさ」
「あれは……私が悪かったの。荒川くんが持ってくれるって言ったのを、私が拒否したから」
「そうだったんだ。そりゃあ、こんな大きな荷物じゃ手伝いたくもなるけど」
「あいつも結構いいところがあるんだな」と意外そうに結城くんが呟く。やっぱり、他人からは親切に見えるんだ。本当は猫被りなのに。不満に思っていたときだった。
「荒川っていつも自分第一なところがあるからさ。さっきも強引に見えたし」
結城くんもそう思う!? と喉元まで出かかった。やっぱり、見ている人はちゃんと見ているんだ。外見や外っ面に惑わされない人がいると分かって、私は嬉しくなった。あの結城くんが私と同じ意見なのだ。嬉しくないはずがない。
しかし、私の内心とは裏腹に、結城くんは不服そうな顔をしていた。
「最近、変な噂が流れてるから心配なんだ」
「変な噂?」
「荒川が天沢さんに勝負をしかけて、天沢さんもやる気になっているって」
言葉に詰まった。あながち嘘ではないから困る。というか、本当にその通りだ。
私が応えられずにいるのを、認めたと受け取ったのか、結城くんは独り言のように呟いた。
「べつに、二位でもいいと思うけどな、俺は」
「えっ?」
「順位の話。一位でも二位でもさ、天沢さんは天沢さんだよ」
少し照れたように顔を逸らした。それを見て、きゅう〜ん、と胸が苦しくなる。
ありがとう、結城くん。もう少し早くにその言葉が聞きたかったな。私はもう、今更になって負けるわけにはいかない。賭けまでしたんだから。そこにはプライドだって懸かっている。絶対に負けるわけにはいかないんだ。今回も、そしてこれからも。