真剣勝負(2)
あれから数週間が経ち、そろそろ試験で大事な範囲が発表される頃。荒川が順調に勉強を進ませているなか、私はというと、また先生から雑用を押し付けられていた。日直の仕事で日誌を取りに行くと、ついでだからと荷物を運ぶように言われたのだ。日直ならもう一人いるのに、なんでまた私に押し付けるのか。今度こそは必ず、何かしら言い訳をして断ってやる。あの担任、私が逆らわないと思っているんだ。
「重い……」
ふらふらとした足取りで、なんとか荷物を持ち直していると、ふと荷物が軽くなった。頭上から降ってきた声に固まる。
「また押し付けられてるんだ? 可哀相だから助けてやるよ」
この苛つく言い方に、ハスキーボイス。無駄に良い声なのが無性に腹が立つ。顔を見なくても声だけで誰だか分かるようになってしまった。荒川隆司だ。
頼んでもいないのに偉そうに。
私は手を差し出して言った。
「いらない。返して」
「可愛くねぇなぁ」
呆れるを通り越して、うんざりした様子で言われる。
可愛くなくて結構。荒川に可愛いと思われるくらいなら、死んだほうがましだ。
しかし、私の拒絶に対し、荒川は返すどころか荷物を持ったまま、すたすたと勝手に歩き出した。
「ちょっと待ってよ!」
追いつくのがやっとなほど、足早に歩いていく荒川。どうしてそこまで私に構うのかが分からない。
構わないでほしいというのが、私の正直な気持ちだ。だけど、自分を嫌っていると分かっている相手に優しくするなんて、荒川は何を考えているんだろう。私なら絶対にそんなことしない。必死に追いつきながら、疑問に思っていたことを訊いた。
「どうして私に優しくするの?」
「嫌がらせだよ」
「嫌がらせ?」
予想外の答えに目を見開く。どうして優しくすることが嫌がらせになるの?
私の考えていたことが分かったのか、荒川は不敵な笑みを浮かべて言った。
「評判が落ちるし、周りから分かるような嫌がらせはしない。幸い俺に構われるのが嫌みたいだからさ、天沢サンは」
「……」
思わず言葉を失う。
嫌がらせのために親切にする振りまでするのか。やっぱり自分中心なんだ。心配するのはいつも自分への評価。どこまで自分大好きなの、この人は。
「もういい、返して。今度こそ本当に自分で運ぶから。ここまでどうもありがとう」
ちょっとでも本当はいい人なのかも、と思った自分が馬鹿だった。
階段の踊場で箱を取り返そうとすると、荒川が私の手の届かない位置まで箱を持ち上げた。私も意地になってそれを取り返そうと、階段に登って腕を伸ばす。
「早く返してってば!」
「なんだよ人がせっかく持ってやるって言ってんのに」
「いらない。頼んでない」
「どうせあとちょっとなんだから頼れよ」
「誰があんたなんかに……って、うわ」
箱に気を取られていたせいで、足下が階段であることを忘れていた。ずるっと足が滑る感じがした。しまったと思ったけどもう遅い。
「ひゃ……!?」
「おい!!」
目を瞑って覚悟したその瞬間。力強い大きな声と共に、腕を引っ張られた。大きな物音がして、その場に倒れ込む。
次に目を開けたとき、視界に飛び込んできたのは他でもない、荒川の顔だった。端正な顔立ちはあの頃のまま、少しだけ大人びた眼が私を射抜く。
知らなかった。荒川の瞳って意外と茶色いんだ。
数秒の間。それよりも、どうして荒川がこんなに近くにいるの?
密着する身体に、腰に回された大きな手。吐息がかかるほど近い。
私が階段で滑ったせいで、荒川が馬乗りにされているのだと理解した瞬間――。
「ご、ごめ……!」
声にならない声をあげ、慌て飛び退く。
荒川といえば、何が起こったのか理解できない様子で呆然としていた。
びっくりしたのはこっちだ。まさか助けられるとは思ってもみなかった。心臓が止まるかと思った。未だに鼓動がおさまらないのは、あまりの出来事に驚いているせいだ、そうに決まっている。心の中で、早口になりながら言い訳をする。
ちなみに、箱の中の荷物が散乱しているのは、私を支えきれなかったらしい。恥ずかしい……。
「ありがとう」
「……あ、ああ」
助けてくれたのは間違いない。恥ずかしさを噛み殺しながら礼を言うも、荒川はどこか上の空だった。さっきからなんか変だけど、もしかして頭でも打ったんだろうか。
「あの、本当にごめん。大丈夫?」
心配て声を掛けると、「うん」と荒川は我に返ったように、箱の中の荷物を集め始めた。早朝の人通り少ない廊下とは言え、この音だ。絶対に誰か来るだろう。その前に片付けないと。私は荒川と一緒にその辺りに散らばっている物を、箱に直していった。