小休止
「それじゃあ今日の授業はここまで」
チャイムとともにみんながガタガタと音をたてて帰る準備をする。
もちろん私も。
コートを着て、マフラーを巻き、リュックサックを背負った。
左手にこまごまとした手荷物をもち、右手で自転車の鍵をいじる。
階段をおりてゆき、警備員のおじさんに挨拶をしてから自転車置き場に向う。
私は半ば投げ入れるように手荷物を自転車のカゴに乗せた。
ガチャガチャと鍵を開けて自転車をひく。
皆ががやがやと楽しそうに帰るのを横目に、しばらく道路の片隅にじっと立ち尽くしていた。
(さて、これからどうしようか。)
家に帰らなければならないのだが、なんとなく、素直に家路をゆくのは嫌な気がした。
自転車の団体がうるさい。
(…とりあえず、今日はこっちの踏み切りを使うか。)
一人になりたい。
騒々しい連中の合間をすり抜けていつもと違う道を行った。
初めて通る踏み切り。
赤いランプを光らせてうるさい音をたてていた。そこにさっきのうるさい連中が溜まり出す。
(なんだよ…あんたらもこっちの踏み切り使うのか。)
煩わしく思う気持ちが少し顔に出たのが自分でもわかった。
やがて踏み切りがあき、連中はのろのろと大声でしゃべりながら踏み切りをこえ、坂を登ってゆく。
私も後から遅れて踏み切りを渡った。
そして同じように坂を登る。
(道が一筋違うだけで、こんなにも街並みが変わるものなんだな。)
そのまま坂道をこぎ続けた。
夜の9時半。
見知らぬ商店街にさしかかり、通りをざっと見渡してみても、ほとんどの店がシャッターを下ろしている。果物屋の看板が闇夜にうっすらと浮かぶだけだ。
いつのまにか連中は他の道をいったようで声がしない。
たまに他の自転車が私を追い抜いて行く以外は、人通りもなく静かだった。
そのうち四つ角に行き着いた。
もちろん知らない街の知らない道である。
私は直感で道を選んで突き進んだ。
(何をやってるんだろう私は…)
うっすら感情が頭のてっぺんまでのぼってくる。
(さっさと帰って勉強しなきゃならないのに…)
ふと空を見上げた。
今日は三日月らしく、細い光がどんよりとした空の中でただ一人主張していた。
しばらく月を見つめ、辺りを見回す。
(そういや、ここはどこだっけな。)
このまま迷って帰れなくなったらどうしようという考えが束の間頭をよぎり、消えていった。
どうでもいいことだった。
私はまた自転車をこぎ進めていった。
夜の閑静な町をのろのろと進むと、なんだかいろいろなものを払拭できたような気がして多少心地よかった。
どんなことをしても、心に強く根付いた不安は取れやしないが。
進んでゆくと大通りに出た。
いつも車で外出するときに通る見慣れた大通り。
しかし自転車での道は心得ていなかった。
また直感で進んでゆく。
先ほどまでとは打って変わって騒がしい。
でもさっきの連中の騒がしさとは違い、なんとなく落ち着ける騒がしさだった。
誰も自分のことなど気に留めない。
ドライバーたちは目の前の道を安全に走ることしか考えていないのだから。
私はふうとため息をついた。
(そろそろタイムオーバーだ。)
あまり時間がかかると母さんが心配する。
また私は一人国道沿いの歩道を自転車で走った。
もちろん直感で選んだ道を。
引き返すのだけはいやだったのだ。
ひたすらこぎつづけた。
曲がって、坂を登って。
ゆるやかなカーブを回るとカンカンカン、と踏み切りの音がした。
まさかと思いながら進むと、そこにあったのは最初に渡った踏み切りだった。
さっきと同じ調子でカンカンと唸り、赤いランプを灯している。
思わずふっと笑い声が出た。
「なあんだ。」
のぼりの電車がゴオッと勢いよく走り出してゆくのを見届けると、私はようやく素直になって、いつもの帰り道へとペダルを漕いだ。
家につき、自転車をとめる。
鍵もかけた。
ポケットから携帯を取り出し、時間を見る。
午後10時。
「なあんだ…。」
たった、たった30分だったのだ。
携帯を閉じ、夜空を見上げた。
強く光る三日月。
その向こうに、満月が見えたような気がした。