アリジゴク
汚い話なので、後悔するかもしれない人はバック推奨します。
「トイレ? なにそれ」
その言葉を聞いて、俺は唖然とした。いや、血の気が引いて冷や汗を垂らした。
干枯らびた荒野に、俺の汗の雫がスッと染みこんでいくのが見え、更に便意が増した。
俺の乗っていた飛行機が墜落したのは昨日のこと。生き残ったのは俺ともうひとりの日本人だけだった。飛行機はバラバラ。でも救助隊はまだ来ない。幸い、骨折もせずに済んだのでなんとか歩けることは歩ける。それはもうひとりの日本人も同じだ。が、しかし。
ここは一体どこなのだろう。
延々と続く砂漠。ひび割れた大地。日差しはとにかく強い。アフリカのどこかだろうかと思った時もあった。だがそれもやはりどこかで自分を納得させるだけの妄想だった。ひび割れた地面の下には毒々しい色の沼。地平線の彼方から見えた月は緑色。そして四角。雲が高速特急のようにビュンビュン流れていく。もう何がなんだか分からない。というか雲がたまに地面すれすれまで降りてくる。夢だったならばこんなに夢のある夢はないと思ったのも束の間。地面すれすれまで降りてきて走ってきた雲の塊と正面衝突し、全身がびしょぬれになった。
服が濡れて体も重い。それが原因だったのだろう。いつの間にか俺は、腹を下していた。時々波が襲ってきては冷や汗を流す。どこかにトイレは無いだろうかと隣にいる日本人に聞いたその時、今度は背筋に悪寒が走った。
「といれ? なにそれ」
よく見てみると、その日本人も日本人らしい顔をしていたが体格は細すぎるし片手の指も十本はある。爪はなく、所々カビが生えているその手を上に向けて、外人みたいにおちゃめに“わかんないや”ってやってるのが妙にムカつく。そうだ、そもそも俺が乗っていた飛行機に東洋人は俺一人だけだった。なんで気が付かなかったのだろう。こいつ、現地人だ。でもこいつ、なんで日本語できるんだろう。
「ねえ、お前なんで日本語できるの?」
「え? 日本語? あ、これ日本語っていうの。へぇ。餌がよく喋ってるから覚えちゃってさ」
ん?
餌?
餌って?
え、もしかして……日本人が主食なの?
え、嘘でしょ?
「えっ? ええ? え?」
後ずさりして、腹に力を入れないように慎重に配慮しながら逃げ足を急ぐ。果てしなく続く荒野に、逃げ場とトイレを求めてさまよう。いや、どちらかというと、トイレと言うなの逃げ場だ。逃げ場と言うなの本質的なトイレだ。
俺がもしも日本人じゃなかったら、どこでも野糞ができたのかもしれない。日本のトイレ文化が発達しているからこそ、トイレ以外で用をたすことができなくなってしまったのだ。理性が本能を超えてしまったのだ。寝たいのに寝られないのと大体一緒だ。
万華鏡のように同じパターンの景色が通り過ぎていく。どこまで走ればトイレと言うなのオアシスがあるのだろう。自分の顔を自分で見ることはできないが、きっと生まれてすぐの赤ん坊みたいにくしゃくしゃな表情をしているだろう。歯を食いしばって歯茎が押しつぶされているような気がしてならないほど力んでいる。腹で力むことが出来ない今、代わりに犠牲になるのは顎だった。
そして俺は、やっとのことでオアシスを見つけた。乗っていた飛行機の胴体部分。つまり、機内トイレがある部分だ。救われた。俺は救われたのだ。つま先歩きで中へと入る。
明かりは無い。だが外からの陽の光がちょうど中を照らしてくれているおかげでなんとかゴールまで辿り着けそうだ。俺は自分の腹に「トイレは我慢すればするほど後が気持ちいいはずだ」と言い聞かせながら、かかと立ちでトイレを探しだした。
そして、見つけた。燦燦と輝く機内トイレを。
そこからの動作はまるで工場の作業用ロボットと同じ早さで作業するような本物の職人さんのような物凄い素早さでドアを開け、ズボンを下ろし、腹に一気に力を入れた。
冷や汗が、便器にそって流れていった。
と、同時に、砂がどんどん割れた窓から入ってきた。また状況が飲み込めないままその場に立ちすくんだ。いや、座りすくんでいた。そして気付いたのだ。
これが奴らの罠だったのだと。




