九
俺は無意識に懐に手を伸ばしていた。
指先が、ひやりとした鋼鉄の感触を伝えてきた。
あっ! 俺は弁天丸の拳銃を持ち歩いていたんだ! すっかり、忘れていた!
両手に拳銃を構え、天井を狙う。視覚を赤外線モードにして、天井の構造を探った。たちまち、他の三人の体温が感知され、ぼんやりとした映像となって見えていた。
天井を見上げると、隙間が微かに明るく光っている。部屋の照明が、赤外線を発しているのだ。俺の目は、撥ね上げ蓋を留めている蝶番を探していた。
よく、刑事ドラマで、扉の鍵を銃弾で壊すシーンがあるが、プロは蝶番を狙う。その方が、確実に扉を壊せるからだ。
弁天丸の持ち歩いていた拳銃は、口径の大きな、手に持てる大砲とでも言える長大な銃身になっている。
俺は銃器については詳しくない。何しろ、江戸の【遊客】だからな。しかし、それでも、こんなもので撃たれたら、確実に即死だろうな、とは、判断できる。
「それ、弁天丸の拳銃ね!」
晶が、俺と同じように、赤外線モードにしているのだろう。こっちを向いて、口を開いた。
赤外線にしているので、表情の細かいニュアンスは判らない。俺が構えているのを見て、慌てて両耳を塞ぐ。
「撃つぞ! 耳を塞いでいろっ!」
俺の言葉に、吉弥と玄之介も、慌てて両耳を手で塞いだ。
渾身の力を込め、銃爪に指先を掛ける。
焦らぬよう、ゆっくりと、確実に……。
どかーん! と狭い落し穴に、拳銃の轟音が響き渡る。ぱっと銃身の先端から、オレンジ色の炎が長く伸びた。反動で、俺は後ろに引っくり返る。
ざばり、と俺は水の中に仰向けに倒れる。水量は、意外と早く俺たちの胸まで達していた。一瞬、俺の頭が水面の下に沈む。
がばごぼげべ……! と、俺は水をしたたかに飲み込み、無我夢中で立ち上がった。
ぶるん、と頭を振り、上を見上げる。
光だ!
天井の、照明が眩しく目に飛び込んだ。
撥ね上げ蓋は、斜めに傾いで、落し穴に落ち込んでいる。三人が、眩しさに、目をパチパチと瞬いていた。
水はどんどん嵩を増し、俺たちはぷかぷか水面に浮かびながら持ち上がる。もし、蓋が閉まったままなら、このまま四人の土左衛門のできあがりだった。
床に達し、俺たちは必死になって這い上がった。
ぎくり、と俺たちは床に目を落とす。
【暗闇検校】が仰向けに倒れている。
身体中から、夥しい血が流れている。近寄ると、肩口から斜めに、見事に斬り下げられていた。
吉弥が、破れかぶれに振り被った刀が、【暗闇検校】を斃したのだ!
振り返ると吉弥は、唇をへの字にして、怖い顔を作っていた。いくら敵とはいえ、殺人を犯したのだ。目覚めは悪かろう。
吉弥は、腰の刀を鞘ごと、引き抜いた。がらん、と床に投げ出す。
「吉弥、お前、それを……?」
「要らないよ! こんな刀……。持ってたら、騒動の元だ!」
吉弥は吐き捨てるように、答えた。
俺は頷いた。確かに、【遊客】の気迫を打ち消し、増幅させる刀など、江戸に存在したら、何が起きるか、判ったものではない。
玄之介が周りを見て、慌てて叫んだ。
「鞍家殿! 水は、まだ増えておりますぞ!」
玄之介の言葉通り、水量は益々増えていた。装置を操作する【暗闇検校】が倒されたままなので、水の取り込みを中止できないのだ。
水は、川から引き入れているはずだから、このままでは【暗闇検校】のアジトは、完全に水没する。
「逃げよう! ちょうど良い。【暗闇検校】もろとも、ここは水に沈めてしまおう!」
俺は装置に向けて、拳銃を次々と打ち込んでいく。全弾が装置に吸い込まれ、撃鉄ががちっと落ちて空撃ちする。総て撃ちつくしたのだ。念のためである。
どこか、装置の急所を直撃したらしく、恐ろしいほどの火花が上がった。朦々と煙が充満する。
役目を終えた拳銃を、すでにひたひたと辺りを浸している水面に、ポイと投げ込む。ちゃぷん、と音を立て、拳銃はあっという間に見えなくなった。
仰向けに倒れた【暗闇検校】の死体は、ぷかぷかと力なく水面を漂っていた。
俺たちは、全力で階段を駆け上がり、廃寺に戻っていった。最後にちらりと振り返ると、【暗闇検校】の秘密の場所は、完全に水に沈み、もう、跡形もなかった。