十
玄之介と吉弥は「はっ!」とお互いの顔を見合わせた。同時に頷き合い、各々の武器を構える。俺もトンファを構えた。
ぶつぶつと口の中で、プログラムを起動させる暗証を唱えている多門に向かって、飛び掛る。
振り被ったトンファが、多門に命中する寸前、多門はぱっと両目を見開いた。
途端に、俺の身体は、何かの力を全身に受け、後方に跳ね飛ばされる。
「ぐあっ!」
「うむっ!」
玄之介と、吉弥も、透明な膜に激突したように、宙を飛ばされ、壁にしたたかに背中を打ちつけた。
多門は勝利を確信し、高らかに笑い声を上げた。
「先ほどは、結界を広げすぎて失敗した。今度は、そうはいかん! 結界の密度を高めれば、威力は倍増する! さあ、自らの不遜の罪を後悔するんだな!」
見る見る多門の姿が変貌していく。ギリシャ彫刻の、神々に似た、逞しい姿である。
さっと多門の指が上がった。
がくん、と俺の身体に、数十トンの重石が圧し掛かる。
俺は必死になって、手にした銃を持ち上げ、銃爪に掛けた指先に力を込めた。
ずがーん! と恐ろしい銃声があって、俺の手にきつい反動が伝わる。ぷん、と硝煙の匂いが鼻を突く。
多門は手の平を挙げている。多門の手の平に、俺の発射した銃弾がへばり付いていた。
ちいーん、と床に、銃弾が転がる。俺の銃を無効にする手間を省き、多門は自分の周りにバリアを張っていたのだ。
どて、と大袈裟な音を立て、玄之介が床に俯せになった。吉弥がその隣に、巨体を投げ出す。二人とも、床に接着したように藻掻いている。
多門の重力操作である! 俺たちは、通常の数倍の重力に絡め捕られている。
ちらりと振り返ると、晶ががくがくと膝を震わせている。しかし、まだ倒れていない。
俺は必死になって、手足を足掻かせ、多門に近づこうとした。ところが、近づけば近づくほど、重力は強まってゆく。
どうやら、重力は多門を中心に強まっているようだ。多門は結界を操っているため、平気で立っていられる。
「死……ね……え……!」
多門が轟くような大声を上げた。多門の声は、奇妙に間延びして聞こえている。
俺は霞む視界に、多門を見上げた。多門の姿は、ぼんやりと滲んで見えていた。
変だ!
多門の動きが、ひどく鈍い。ゆっくりと動いて、まるでスローモーションを見ているようだ。しかも、多門の周囲だけ、影が落ちているように、暗い。
多門の顔が驚愕に歪む。
「い……か……ん……!」
唇がゆっくりと動き、途切れ途切れの声が零れている。多門の姿は、球形の暗闇に閉じ込められてしまった!
瞬間、凝固した多門の姿がちらと見えたが、球形の暗闇が押し包む。
「ど、どうなったので御座る?」
玄之介がゆっくりと顔を上げる。恐る恐る、立ち上がる。俺も立ち上がった。ぜいぜいと喘いで、吉弥も巨体をむっくりと持ち上げる。
いつの間にか、俺たちを捉えていた重力は消え去っていた。もう、普通に立っていられる。
その間にも、多門を押し包んだ真っ黒な球体は収縮を続けている。
吉弥が呟いた。
「あまりに重力を集中させすぎたのさ! 多門を中心に、重力は集まっていた。遂には、光すら脱出できないほど、重力が増していた。多門は、自分で仕掛けた罠に捕えられた」
玄之介は「光が脱出できないほどの重力……」と呟き、驚きにポカンと口を開ける。
さっと俺を見て、尋ねかける。
「で、では、あの真っ黒な球体は?」
俺は頷いた。もう、俺にも真相は理解できる。
「そうだ、光すら脱出できない重力とは、ブラック・ホールそのものだ! あれは、多門が創り出したブラック・ホールだ!」
言っている間にも、極小のブラック・ホールはどんどん収縮を続けていた。これほどの小ささでは、ブラック・ホールは存在を続けられない。直径はもう目に見えないほどに縮まって、一瞬の閃光を放って消えてしまう。
極小のブラック・ホールは、量子論によると〝蒸発〟してしまう。ホーキングの予想が、今、俺たちの目の前で起こったのだ。
俺はふらふらと、天守閣の窓に身を凭れかけた。眼下に、江戸の町が広がっている。
あちこちで悪党が放った火が燃え上がり、風に乗って喚き声が聞こえてくる。多門は消え去ったが、命令は生きている。火盗改と、町奉行が手を組み、掃討作戦を続けている。
俺は、三人を振り返った。
「行こう! 多門の封印は消え去った! いよいよ【暗闇検校】の正体を暴く!」
晶は俺の表情を見て、尋ねる。
「あんた、相手の正体の見当がついているの?」
俺は強く頷く。
「ああ。判っている!」
吉弥と玄之介は、驚きに仰け反った。
用心深く、吉弥が口を開く。
「本当に、判ったのかえ?」
俺はにやっと笑おうとした。が、うまくいかなかった。俺は、苦い笑いを浮かべていたろう。とうとう判明した【暗闇検校】の正体は、俺にとっては苦渋そのものだった。




