七
多門によって創り出された弁天丸のコピーは、俺たち【遊客】と同等の能力どころか、遥かに凌駕する実力だった。
無言で刀を素早く繰り出し、右、左、正面と振り回す。恐ろしい速度で切っ先が旋回し、俺たちは防戦するだけで、精一杯だった。
速い!
自分の身長より長い刀を振り回しているのに、まるで重みを感じさせない。弁天丸にとっては、玩具の刀を振り回しているのと同じなのだ。
軽々と扱っている弁天丸の筋肉は、見かけと大違いで、信じられない爆発的な力を秘めている。
ただ、コピーの弁天丸は、一切、剣術の基本を修得していないのが、救いだ。無茶苦茶に振り回すだけで、剣術の動作からは懸け離れている。
しかし力任せではあるが、嘘のような腕力が、長大な刀を小刀ほどの軽さにしているのだ。
吉弥と玄之介二人が、弁天丸一人に、きりきり舞いさせられている。
吉弥は弁天丸と同じ長大な刀を両手に構え、玄之介は十手を使って、弁天丸の攻撃を防いでいた。
晶は、吉弥と玄之介の背後に控え、隙を狙っているが、あまり役に立ってはいない。
俺は目標を多門一人に絞った。
喚き声を上げ、多門に向かってトンファを振り被る。把手を握り、トンファの先を多門に突き出した。
多門はまったく防ぐ様子はなく、棒立ちになって待ち構えるだけだ。ニヤニヤと、意地の悪そうな笑いを浮かべている。
俺は、いきなり全身から、力が抜けているのを感じていた。
何だ! 俺の手足は、出し抜けに糖蜜の中に突っ込んだように、重くなる。一歩、前へ出るのさえ、渾身の力を振り絞る必要があった。
重い! 見えない蜘蛛の糸に絡み捕られたように、俺は脱力感に襲われていた。
もはや、立っているのさえ、やっとだ。
「ほう」と、多門は唇を窄める。
「あっさり倒れるかと思ったが、意外としぶといな、二郎三郎君! 何が起きたか、知りたいだろう?」
俺は必死になって喘いでいた。一歩、一歩が太股までタールに浸かっているようだ。頭が物凄く重い。首から、数十トンの重石がぶら下がっているようだ……。
俺の懐から拳銃が床に落下する。床に落ちた拳銃は、ぴしゃんと物凄い音を立てた。たった一尺ほどの落下なのに、まるで数丈もの高さから落ちたように、素早い落下だった。
はっ、と俺は頓悟した。
何と、多門は、俺の周りだけ、重力を強めていたのだ! 脱力感は、そのせいだ。
俺の目を見て、多門は頷いた。
「その通りだよ。貴様の身体は、五倍の重力が掛かっている。背中に、五人分の重みを乗せている感想は、どうだね?」
くい、と多門は指を立て、落下した拳銃を指さす。
拳銃がふわりと、多門が指先を引っ掛けたかのように、宙に浮いた。ふわふわと拳銃は宙を漂い、そのまま多門の手の中に納まった。
多門は拳銃を捻くり、大仰に顔を顰めて見せた。
「このような武器を持ち込むとは、弁天丸とか申す悪党、どこから手に入れたのか? 後でじっくりと吟味いたそう……」
てんで多門の奴、支配者気取りだ。
がくり! と、とうとう膝が重みに耐え切れず、折れ曲がった。俺は慌てて、手にしたトンファを杖にする。もし、このまま重みに負けて、がっくり膝を突いたら、確実に骨折する。
たった数十センチの落下は、今の状態では数十メートルから飛び降りた、同じ衝撃を膝に伝える。骨折どころの騒ぎではない。
何とか、全身の力を振り絞り、怪我をしないよう、俺は膝をついた。ただ、それだけの動作に、俺は全身から汗を迸らせていた。
俺の惨状を見て、晶が走り寄って来た。
「ねえ! 大丈夫?」
「来るなっ!」
俺は大声で叫んだが、遅かった。多門の仕掛けた、局所的な重力勾配に、晶も囚われてしまう。急激な重みに、晶はすとん、と尻餅をつく。
「きゃっ!」
ぺたんと尻をつき、立ち上がろうとする。だが、足掻くだけで、一寸も、持ち上がらない。晶は何が起きているか理解できず、ただ両目を見開いているだけだ。
「立つな! 怪我をするぞ!」
俺の忠告に、晶はがくがくと頷いた。尻餅をついただけで、充分に異常を感じている。恐らく、酷い打撲を感じているのだ。
多門は「ほっほっほっほっ……」と上機嫌に、梟のような笑い声を上げた。
「貴様は、俺を嫌っていたなあ……。いや、それを言うなら、江戸創設に関わった、総てのメンバーから、俺は嫌われていた。しかし、俺は耐えた! 耐えて、耐えて、耐え抜いて、いつか俺がこの江戸の支配者になる日を夢見ていたのだ! 礼を言うよ。お前が創設の際、果たした役割のせいで、江戸は俺の思う理想の仮想現実となった……」
晶は、どうにかこうにか、首を挙げ、多門を睨む。
「この人が果たした役割って、何よ!」
俺は多門を睨みつけた。頼む! 口に出すな! 俺の果たした役割など、聞かせて貰いたくはない!
しかし多門は、すらすらと答えてしまう。
「聞きたいか? よし、教えてやろう。いいか、我々の創設した江戸は、仮想現実に幾つもある江戸のうち、最も人気がある。なぜか、判るかね?」
晶は魅入られたように、多門を見詰めている。多門は、俺たちを捕えているという自信に、うずうずと笑いを浮かべながら喋り続けた。
俺はちらりと、戦っている吉弥と、玄之介を見やる。二人とも、多門の呼び出した弁天丸に、悪戦苦闘していた。ぎりぎりで弁天丸の攻撃を受け流しているが、押し捲られているのは明らかだ。ただ、俺の「チャンスを待て!」という言葉をあてにして、必死になって踏み止まっているのだ。
多門は余裕綽々に、話を続けた。
「それは江戸のNPCが、実に人間らしい性格を持ち合わせているからだ。他の仮想現実のNPCは、まるで人形のように、決まり切った受け答えしかできない。こちらのNPCは、生き生きとしていると、【遊客】たちには、専らの評判なのだよ!」
多門の口調は誇らしげで、自信に溢れている。多門の瞳が煌いた。
「なぜか、判るかね? そこで今にも倒れそうな二郎三郎のお陰だよ」
俺は言葉も出せず、ただ多門の顔を睨みつけているだけだ。何か喋ると、それだけで全身に圧し掛かっている重みに、挫けそうになる。