五
多門は〝ゴースト〟になろうとしている!
現在、江戸にいる多数の【遊客】を巻き添えにしてまで、敢行するつもりなのだ。
仮想現実が一般的になって、接続した間に本体が死亡すると、仮想現実に残された仮想人格は〝ゴースト〟と呼ばれるようになる。二度と、現実世界に復帰はできない。だが、本人の記憶、経験は持ち合わせている。
病気や、老衰で、死が確実な場合は、医師の立会いの下、本人の仮想人格を仮想現実にコピーする手段が認められている。ただし、法律的には仮想現実のNPCと同じ扱いになり、財産などは現実世界で生きている親族へ遺産分与される。
それとは別に、自ら安楽死を選び、仮想現実にのみ生きようとする人々が現れた。生きている間、叶えられない望みを仮想現実に託し、後は知らないとばかり、はた迷惑としか言いようのない死に方を選ぶのだ。完全に自殺であり、卑怯な死に方である。
医師の立会いの下行われる〝ゴースト〟は、完全に合法なので、システム上から、常にデータが上書きされるから、仮想人格はいつまでも同じ若さを保てる。が、自殺した場合〝ゴースト〟には、その特典が適用されない。〝ロスト〟した仮想人格と同じだから、年齢を重ね、仮想現実で病気にもなる。大変、危険な賭けである。
しかし荏子田多門は、江戸創設メンバーであるから、プログラムに手を加え、上書き処理を自分に適用しているのだろう。何もかも、計算づくなのだ。
「お前一人で決行するつもりなのか?」
多門は俺の質問に、ゆっくりと頭を振った。
「いいや、俺の提案に賛同してくれた全員とだ。俺が大老になれば、連中はこの江戸で、直参旗本に加わり、江戸を共同支配する約束になっている」
何と、集団自殺を敢行するつもりなのだ!
多門は自信満々に続けた。
「もうすぐ、江戸の完全封鎖が完了する。そうなれば、もう、この江戸に現実世界からのアクセスは、完璧に遮断される。誰にも煩わされず、俺たちは江戸の暮らしを満喫できるのだ! 俺はこの江戸で、理想の生活を手に入れられるんだ!」
玄之介が怒りの声を上げた。
「理想の生活だと? お主の理想の生活とは、何だ!」
くいっ、と多門は玄之介を睨んだ。
「ふん! お前は確か、松原玄之介とか名乗る【遊客】だな。東京都肝煎りの江戸で、侍になれず、俺たちの江戸へやってきた負け犬の一人じゃないか! そんな負け犬なんぞと対等に話すのは、御免蒙るな!」
多門の指摘に、玄之介はたちまち、真っ赤になった。多門は相変わらず、他人の弱みを握るのは得意中の得意である。
多門は次いで、吉弥を指さした。
「そこの巨漢デブ芸者は、吉弥、あるいは吉奴と名乗っていたな。何でも、現実世界では女になりたくて、こっちの江戸に女の仮想人格でやって来たはいいが、間抜けにも〝ロスト〟してしまい、ブクブク河馬みてえに太って、そんな姿になってしまったらしい。どうだ、俺と取り引きしないか?」
吉弥は益々、怖い顔になった。口がぐっとへの字に歪み、眉間に深々と皴が寄る。
そんな吉弥の表情にお構いなしで、多門は話し掛けた。
「俺が完全支配を実現すれば、【遊客】のデータを簡単に書き換えられる。お前を、なりたかった女の姿に変更するのも、訳はない。どうだ? 誰もが振り返る、女らしい女になりたくはないか? 俺に協力すれば、変身させてやれるぞ!」
吉弥は、多門の言葉に、文字通り、ぐらついた。踏みしめた両足が落ち着きなく動き、刀の柄に掛かった右手が、ふらふらと彷徨う。
多門は誘いかけるような目つきになる。
「本物の女になりたかろう……。さあ、儂の邪魔をする、鞍家二郎三郎を倒せ! そうすれば、すぐにでも、お前の願いを叶えてやろう!」
俺は吉弥に向き直った。
吉弥は真っ赤な顔で、俺を睨んでいる。弁天丸が持っていた、長大な刀を、今にも抜き放とうとする。
「きええええいっ!」
出し抜けに、吉弥は刀を抜き放ち、頭の上に振り被った!
そのまま、見事な跳躍を見せ、一跳びで、多門の卓に刀を振り下ろす。
ずんばらりん! と、吉弥の刀が宙を薙ぎ払う!
がちっ! と、切っ先が床を噛む。
吉弥は驚きに、ぜいぜいと喘いでいた。
刀は、何も触れていない。卓に振り下ろした刀は、ただ空を切っただけだった。卓は、現実の物ではなかったのだ! 中空に投影された、映像なのだ。