四
他の三人が呆然と見詰めている中、俺は拳銃を宙に翳し、銃爪に指先を掛ける。
ぐわあーんっ、と構えている俺のほうが吃驚するような、派手な音が響き渡る。
ぴっ! と拳銃を擬している真っ白な闇の一角が、罅割れた!
ぴぴぴぴ……! と、罅割れは見る見る広がり、遂に目の前の空間が、真っ二つに引き裂かれる!
気がつくと、俺たちは広々とした広間に立っていた。天井は恐ろしく高く、十丈はありそうだ。
また、壁までも、同じくらいの遠さで、明らかに天守閣の最上階とは思えない。こんな広さの空間が、天守の最上階に存在は絶対に不可能である!
広間の真ん中に、丸い卓があった。卓に視線を落としているのは、荏子田多門である。
贅沢な絹の着物に、同じく絹の羽織、袴姿で、多門は物思いに耽るように、微動だにせずに卓を見詰めている。
何をああ、熱心に見詰めているのだろう?
俺は多門の卓に視線を移した。
卓には、江戸の町並みが、精緻な模型となって再現されていた。縮尺は相当に大きそうで、卓のほぼ全部を占めている。
模型は江戸の総ての町屋、大名屋敷、寺社、蔵など、通りの細かい部分まで再現されている。
やがて多門が、静かに顔を上げた。
ギリシャ彫刻を思わせる、神々しい顔。広い肩幅、百八十センチはありそうな、逞しい長身。暑苦しいほどの美男子である。
「やれやれ、鞍家二郎三郎。お前が銃を手にしていたとは、意外だった。お前さんは、他人を殺すような武器は持ち歩かない主義だと聞いていたがね。あの銃撃で、お前さんたちを閉じ込めていた結界が、あっさり破れてしまった」
多門の口調は平静で、怒りの感情は微塵も含まれていない。一日の天候を話し合っているように、日常的な口調だった。
俺もまた、平静な口調を強いて保って、多門に話し掛ける。
「この拳銃は、弁天丸が持っていたやつだ。お前、弁天丸を殺したな?」
多門は苦々しげな表情を浮かべた。神々しいほどの美男顔が歪み、その下から下卑た本性がちらりと覗く。
「悪党ではないか! たかが悪党の一人、死んだから、って何だ! お前さんだって、今まで散々、江戸で悪党退治をしてきたんじゃないのか?」
俺は肩を竦めた。
「まあな! 今日の俺は、江戸最大の悪党を退治するためやって来た」
多門は、ちょっと、顎を上げた。
「江戸最大の悪党? ほう、誰を悪党と、お前は主張するのかな?」
俺は手にした拳銃の銃口を、多門に向ける。
「お前だ、多門! お前、江戸全域を封鎖したな? なぜ封鎖する? 理由を言え!」
多門は物凄い笑い顔になった。唇の両端がきゅっと吊り上がり、鼻の脇に深々と皴が穿たれる。両目は爛々と輝き、眉がぐっと跳ね上がった。
悪魔の笑みだ。
「理由? 江戸の総てを、俺の物にするためだ! 今日から江戸は、正しく、俺の所有物だ! 俺は江戸の支配者なのだ!」
俺は、かっとなって叫んだ。怒りで、銃口がぶるぶると震える。
「今すぐ、江戸の封鎖を解け! 江戸には、何も知らない【遊客】が多数いるんだぞ。全員、このままでは〝ロスト〟してしまう」
うふうふ……と、多門は密やかな笑い声を上げる。
「済まないが、江戸にいる【遊客】には〝ロスト〟の運命を甘んじて受けて貰う。江戸は、もう二度と、外界と接触はしない! 今日から、完全な独立状態になったのだ!」
俺の胸に疑問が広がる。多門の絶対的な自信は、どこから来るのだろう?
「多門。お前も〝ロスト〟してしまうんだぞ。それでも良いのか?」
多門は深々と頷いた。
「そうだ! 俺の目的は〝ロスト〟だ。〝ロスト〟こそが、究極の救いなのだ! 俺の目的を理解した【遊客】たちの支持により、俺は今日から、大老に就任する!」
俺は驚きに仰け反った。
「大老! 誰がお前に投票したんだ?」
江戸幕府には五名の老中が常在し、江戸のありとあらゆる行政を〝国務大臣〟として取り仕切る。
しかし、特別な場合に限り、【遊客】の投票によって、大老が定められる。大老は絶対的な権力を持ち、いわば江戸を治める大統領のような役割だ。もちろん、この仮想現実の江戸においてであり、史実とは大違いだが。
多門は、得々と俺に向かって説明する。
「この江戸から締め出された【遊客】たちさ。俺は、各関所に残っている記録を集めて、江戸から所払いになった【遊客】たちのデータを収集した。再び江戸入りする見返りに、俺が大老に就任できるように、投票して貰った。大老の権限を持って、江戸の封鎖に踏み切った訳だ」
俺は首を捻った。
「判らん。なぜ、好きこのんで〝ロスト〟が決まっている封鎖をする?」
多門はニヤニヤと、無言で笑っているだけだった。
俺の胸に、信じられない〝ある考え〟が湧き上がって来た。俺は目を見開き、多門をじっと見詰めた。
「まさか……。多門! まさか、あれを実行するつもりなのか?」
多門は、ゆっくりと頷く。
「そうだ。俺は〝ゴースト・ダイブ〟を決行するつもりなんだ!」
俺の全身に、どっと冷たい汗が噴き出した。
晶が恐る恐る、俺に尋ね掛けた。
「〝ゴースト・ダイブ〟って、何よ?」
吉弥はぐっと口を引き結び、仁王のような表情になっている。吉弥もまた、多門の呟いた〝ゴースト・ダイブ〟という言葉を、完全に承知しているのだ。
俺は晶に向かって説明した。
「もし、仮想現実に接続している間、本体が死亡したら、どうなる?」
晶はぽかん、と口を開いた。
「本体が死亡……って、何を言っているの? そうなったら、仮想現実の仮想人格はコピーされたまま、戻れなくなって……」
晶は「あっ!」と小さく叫んで、自分の口を手で抑えた。俺は頷いた。
「そうだ。もし接続した間に、本体が死亡したら、仮想人格が唯一の本人となる。コピーが本物とされるんだ。つまり、仮想現実で生きる幽霊……ゴーストだよ。仮想現実に接続している間、安楽死装置を使って自殺するのを〝ゴースト・ダイブ〟という」