三
一歩、一歩、俺たちは階段を登って行く。張り詰めた緊張感が、ぴりぴりと肌を刺すようだ。
階段の登り口が、いやに明るい。天守閣の最上階は、それまで通過して来た天守とは、別の構造をしているようだ。
俺のすぐ目の前を、吉弥がやや腰を屈め、用心深く登って行く。腰に捻じ込んだ弁天丸の長大な刀の柄に手を掛け、いつでも抜き打ちできる構えを取っている。
多門はすでに、俺たちの接近を気付いている。弁天丸を殺したのが、証拠だ。
それにしても弁天丸は、どういう殺され方をしたのだろう? 普通に考えれば、刀でばっさり斬り殺されたと思える。が、俯せになっていたので、斬り口は判らない。
だいたい、多門が剣術の達人、などという噂は、聞いていない。
多門は江戸創設メンバーで、どちらかというと支配者側の人間だ。自分で手を汚す仕事は、嫌がってやらない。俺は最初から、江戸でのヒーローとしての生活をするつもりだったから、北辰一刀流を修得している。仮想人格をデザインするときに、特殊技能として、インストールすれば、誰でも即、剣術の達人になれるのだ。
階段を登りきった吉弥が、ぎくりと立ち止まった。見上げると、吉弥の両目は、驚きに一杯に見開かれている。いつもは一本の線のようだった両目が、今は何とか黒目がはっきり判るほど、開かれている。
「どうした?」
俺は声を掛けつつ、急ぎ足になった。
顔を上げ、辺りを見回し、驚きに立ち竦む。
俺も思わず「おおっ!」と、声を上げていた。
「何があるの?」
背後から登って来た晶が、俺の背後で立ち止まる。晶もまた、俺と同じように驚きに、足を止める。
たんたんたん、とリズミカルに階段を登って来た玄之介は、あんぐりと顎が外れそうなほどに口を開け、棒立ちになった。まじまじと両目を見開き、辺りを見回す。
「こ、これはいったい……?」
後は言葉にならず、もぐもぐと自分の驚きを咀嚼している。
階段を登り切ったそこには、信じられない光景が広がっていた。
いや、正確に表現すると、何もなかった……。
正真正銘、何も存在しない。
あるのは、真っ白な光だけ。光源がどこにあるのか判らないが、一様な、べったりとした白い光が満ち溢れている。白い闇、と形容したほうがいいかもしれない。
俺は天守閣の最上階に、何を期待していたのだろう? 江戸に結界を作り出すための、最新式の装置? それとも、多門が俺たちを出迎えるための仰々しくも、おどろおどろしい儀式の場?
そのいずれの予測も、天守閣の最上階は裏切っている。
不思議なのは、ちゃんと上下の感覚はあって、足下は固い床を感じている。後ろを振り返ると、俺たちが上がってきた階段の入口が見えて……。
もう、存在しない!
いつの間にか、階段の入口そのものが消え去っていた。べったりとした白い光が、どこまでも続いている。
吉弥、晶、玄之介はお互いの顔を、きょろきょろと見合わせている。
「ど、どうなったので御座る? 階段は、どこへ消えたので御座ろう」
玄之介は、顔中に脂汗を噴き出させ、ごくりと唾を呑み込んだ。
晶は眉を顰めた。
「あたしたち、帰れなくなっちゃった!」
俺はぐっと歯を食い縛った。息を吸い込み、大声を上げる。
「多門! 出て来い!」
俺の声は、白い闇に吸い込まれた。
白い闇は、完全に反響を吸収し、思い切り怒鳴っても、実に頼りない。お互いの声は、どこか遠くから聞こえるようで、すぐ間近にいるのに、無限の彼方から聞こえてくるようである。
俺は懐を探った。指先に、ひやりとした硬質の感触が伝わる。
ぐっと、懐から俺は弁天丸の拳銃を取り出した。灰鉄色の、重々しい鋼鉄の光沢が、ずしりとした重みを手に加える。禍々しいほどの、重量感である。
どう、という考えがあった訳ではなかった。ただ、この不気味な沈黙を破りたかっただけだった。