七
水責めだ! 検校の奴、俺を溺れさせるつもりなのだ!
逃げなくては……。
俺は必死になって、周りの壁を手探りしていた。
明かりのあった時に確認していた通り、何の手懸りもない。手は、すべすべした表面を虚しく撫でるだけだった。
水は、すでに俺の胸まで達している!
が、俺には最後の手段があった!
俺は目を閉じ、暗闇で、ある暗号を思い浮かべた。緊急脱出のための、暗証である。
俺の視界に、仮想現実接続装置の、ウインドウが開く。ウインドウに「仮想現実の接続を切断して、現実に目覚めますか?」と表示が浮かび、「はい」「いいえ」の選択肢が出現する。
俺は、にんまりと、闇の中で笑いを浮かべた。
これがあるため、俺は江戸で〝抜け参りの二郎三郎〟という称号を得ているのだ。どんな危急に直面しても、俺は悠々と仮想現実から逃げ出し、現実に目覚める特技を持つ。
俺は選択肢の「はい」を選んだ。ところが……。
何も起きない!
相変わらず、俺は落とし穴に閉じ込められたまま、押し寄せる水に、全身を浸している。もう、水面は首まで達している!
──はっはっは……!
検校の高笑いが、闇に響いていた。
「今、お前さんは、仮想現実の接続を断ち、目覚めようとしていたな? 無理無理! 廃寺の地下は、結界になっておる。あんたたち、【遊客】が、出現するのも、脱出するのも不可能なのだ! お前さんは死ぬのだ! この地下でな……!」
水面は口許まで達していた。俺は必死になって水面をばちゃばちゃと掻き分け、立ち泳ぎを続けていた。
いずれ、水面が上がって、俺の頭は、撥ね上げ蓋に着くだろう。その後は、上がってくる水面に、完全に没してしまい、溺れるだけだ。俺は途切れ途切れに、検校に向かって叫んでいた。
「俺を殺しても……無駄だぞ! 俺の本体は……、現実で眠っているだけだ……。今、俺が死ねば……、本体は……現実で目覚め、また同じ対決の繰り返しになる……」
検校は物憂げな返事をした。
「左様……。確かに、お前さんは、五体無事で目覚めるだろう。が、ここ数日間の、江戸での記憶は失われる。確かにあんたは、自分が江戸で死んだのは判る。しかし、理由までは判らないだろう。再び、儂の目の前に現れるまでは、時間の余裕が生まれるのでね。ま、それまで、気長に待つさ。あんたが又ぞろ、のこのこ間抜け面を下げてくるのをね」
最後の部分は、もうはっきりとは聞き取れなくなっていた。すでに水面は、落とし穴のほとんどを占め、俺の身体は、水中にぷかぷかと漂っているだけだ。
微かな空間に、俺は必死に鼻を突き出し、最後の足掻きに、酸素の残滓を、貪るように吸い込んでいた。
がばり……と、完全に水中に俺の身体は没していた。もう、一息の空気すら、存在しない。俺は、ぐっと息を堪え、蓋の裏側をがりがりと爪先で抉っていた。
頭が、がんがんと割れるように痛んだ。肺が酸素を求め、爆発するように膨らんでいる。ごおごおと耳の中で、血液が轟いているのを感じて、遂に俺は水中で口を開いていた。
どっと俺の口に、水が溢れ、肺に冷たい水が、わっとばかりに侵入した。
意識が遠ざかり、なぜか俺の耳に、検校の高笑いが木霊していた。
俺は、死んだ。