一
天守閣は、再建途上の姿で、暗闇にどっしりと存在を誇示していた。竹櫓が周囲に組まれ、建材があちこちに置かれたまんまだが、ほぼ完成直前である。
「明かりが……!」
晶が驚きの声を上げる。
天守閣の内部から、煌々とした明かりが洩れていた。江戸で使われている、油や、蝋燭の明かりではない。明らかに電気的な照明だ。
油や蝋燭の明かりは、燃焼によるものだから、どうしても仄かに瞬いたり、揺らいだりする。が、天守閣内部からの光は、一切、揺らいだり、瞬いたりはしない。強烈な光芒を周囲に放っていた。
入口は大きく開け放たれ、俺たちを待ち構えているようだった。入口に立ち止まり、俺たちは顔を見合わせた。
このまま、突っ込むべきか、どうか?
吉弥の顔を見上げた晶は、躊躇いがちに声を掛ける。
「あのう……吉弥姐さん……?」
呼び掛けられ、吉弥は吃驚したように晶を見た。
「なんだえ?」
晶はモジモジしながら、吉弥の顔を凝視して言葉を続けた。
「あの、もし間違ってたら御免なさい。吉弥姐さんの顔……」
吉弥は、むっとしたように答える。
「あちしの顔に、何か付いているのかえ?」
晶は「うん」と頷いた。
言われて、吉弥は慌てて自分の顔を手の平で撫でる。
じょりっ! と音がする。
吉弥の両目が飛び出んばかりに、見開かれる。
俺は呟いた。
「吉弥、お前、髭が……!」
「いやだ──っ!」
吉弥は大声を上げ、蹲る。
「見ないでおくれよ! ああ、どうしよう……始まっちまった!」
晶は、目顔で俺に尋ねている。俺は解説してやった。
「〝ロスト〟のせいだ。仮想人格は、本来の身体を基本にデザインされている。たとえ性別を変えても、本来のセルフ・イメージが影響して、いずれは本当の性別に戻ってしまう。吉弥は女の仮想人格で接続していたんだが、本当は男だ。〝ロスト〟したまま、長い年月を仮想現実で過ごしていたんで、本来の性別が表に出てきたんだ」
晶は、ぱくぱくと、何度か口を開いたり閉じたりしていたが、やっと声を上げた。
「じゃ、じゃあ……吉弥姐さんは男になっちゃうの?」
「止めておくれっ!」
吉弥はじたばたと、足踏みする。
「あちしは、女! 男なんかじゃないっ! そんなの、あちしは、現実世界へ捨てて来たんだ……!」
最後は呻き声になる。俺は首を振りながら、声を掛けた。
「諦めろ、吉弥。いずれこうなるとは、判っていたんだろう?」
「そりゃそうだけどさ……。あちしだけは、違うと思っていたんだ……」
吉弥は、べそを掻いていた。玄之介は、笑って良いのか、同情すべきか、迷っているようで、複雑な表情を浮かべている。
俺は吉弥の感情を切り捨てるように、背筋を伸ばし、一歩さっと前へ出た。
「さあ、お城に踏み込むぞ!」
手を挙げ、思い切り吉弥のずんぐりとした肩を叩く。
「どうする、お前はここで、メソメソしているつもりか? 俺は先へ行くぜ」
吉弥は、むっつりと頷いた。
「行くよ……。このままじゃ、もう一人のあちしが可哀想だ……。あいつだけは、あちしがなりたかった姿のまんま、過ごさせてやりたい……!」
俺たちは用心深く、天守台に通じる斜路を登って、入口に近づいた。
入口の扉は大きく開け放たれ、内部から白々とした明かりが眩しい。明かりは提灯や、龕灯などに偽装しているが、江戸市中ではまず見られない強い光で、電気の照明である。
内部に踏み込むと、新築特有の木材の香りが鼻をつく。どの柱も、床も、ぴかぴかに磨き上げられ、非現実的ともいえる清潔さを保っている。床を見下ろすと、あまりに磨きたてられているので、顔が映るのではないかと思われた。
弁天丸は、すでに先回りしているはずだ。
もう、天守まで達しているのか?
江戸城の天守閣は、五層五階になっている。天井は思い切り高く、贅沢な格子天井になっている。漆、金箔が充分に施され、欄間の浮き彫りは実に丁寧な仕事を見せている。江戸にいる、腕自慢の職人が、入念な仕事をしたのだろう。
階段を上がり、一階、一階、緊張しながら登っていく。
俺は罠を感じていた。
よそよそしいほどに人の気配の感じられない天守閣内部に、執念深い悪意が孕んでいるのを、俺はひしひしと感じていた。