十
刀を構えたまま、堂上はジロリと弁天丸を睨みつける。物凄い視線だ! 視線だけで、弁天丸を捻じ伏せようという迫力である。
が、弁天丸は、まるで平気だ。堂上の凝視に、平然と耐えていた。
堂上は不審の表情を浮かべた。押し殺したような、声を上げる。
「誰だ、お前……」
俺は思い当たった。堂上は、弁天丸が【遊客】ではないと判断して、気迫を発動させたのだ。普通なら、今の一瞥で、弁天丸は腰を抜かし、唯々諾々となったはずである。
弁天丸は、にたっと笑い、俺を見やる。
「そこの鞍家二郎三郎の旦那とは、ちょっとした顔見知りでね。訳あって、おいらもお城に踏み込もうって、算段だ! そこをどいてくれないかね、【遊客】の旦那!」
「何おう──っ!」
堂上は何か言いかけたが、それは最後まで言葉にできなかった。弁天丸がいきなり「そうか、通してはくれそうにないな!」と叫ぶと、懐に手を入れた。
懐から抜き出したのは、拳銃だった!
回転弾装式拳銃である。
いったい、こんな代物、どこから持ち出した? 連発式の、回転弾装式拳銃など、この大江戸では絶対に持ち込めないはずの御禁制品である!
銃口を見詰め、仰天している堂上に、弁天丸は表情を変えず、銃爪を引いた!
ばんっ! と風船が弾けるような呆気ない音と共に、銃口から火花が散る。
ぽつり、と堂上の額に穴が空いた。たら──、と血が噴き出し、堂上は全身を痙攣させるような妙な動きで、ばったりと仰向けに倒れる。
一瞬で、堂上は絶命していた。
弁天丸は「ふっ」と気障な仕草で銃口の煙を吹くと、拳銃を帯に捻じ込んだ。
「きい──っ!」
息を吸い込む音と共に、お蝶が甲高い悲鳴を上げる。悲鳴は更に高まり、遂にはお蝶は、ぱくぱくと口を開いているだけだった。
が、確実にお蝶は悲鳴を上げ続けている。お蝶は、超音波で悲鳴を上げているのだ。それが証拠に、お城の瓦が、かたかたと震動を始め、ぴしっと罅割れてしまう。
弁天丸はじろっ、とお蝶を睨む。
「煩いっ! 静かにしやがれっ!」
ぴた、とお蝶は口を閉じた。両目が、信じられないものを見た衝撃に、虚ろになっていた。
俺だって信じられなかった。
江戸NPCの悪党が、何と【遊客】を殺したのだ。しかも、銃撃で!
厳密に言えば、これは殺人ではない。仮想現実において、【遊客】を殺すのは不可能だ。たとえ、仮想人格を殺せても、本人は記憶を失くすだけで、一瞬後には現実世界で目覚めるだけだ。
玄之介は、本界坊を捕縛するのを、すっかり忘れてしまっている。ぼんやりと縄を持つだけで、本界坊の手足はそのままだ。
お蝶は、わっとばかりに、本界坊に縋りつく。
「嘘よ……嘘に決まってる……! こんなの、絶対、信じられない……」
子供のように泣き叫んでいた。本界坊は真っ青な顔のまま、ゆっくりと立ち上がる。すでに腰は怯えのため、引かれていた。
弁天丸は屹然と、抱き合っているお蝶と、本界坊を睨みつけた。
「そこの二人! 何か、文句があるか?」
指先はいつでも抜けるよう、銃把に掛かっている。お蝶と、本界坊の二人は、すっかり怖気づき、わたわたとした動きで、その場から逃げ出していく。
弁天丸は俺に顔を向けた。表情は、晴れやかで、ついさっき、殺人を犯したとは信じられない。
「さあ、いつまで愚図愚図していねえで、さっさとお城に踏み込むぜ!」
悠然と歩き出す。
俺は弁天丸の背中を見詰め、声を張り上げた。
「待て! これは、何の冗談だ?」
弁天丸の足が止まり、くるりと俺に振り向いた。
「冗談? 何を言ってるんだね、伊呂波の旦那!」
俺はさっと、晶、玄之介、吉弥の三人に目をやった。
全員、今の出来事に、すっかり仰天している。思考が停止しているようだ。
無理もない。俺だって、何がどうなっているか、さっぱり事情が判っていないのだ。
俺は弁天丸に詰問する。
「お前の目的を教えろ! 江戸城に、何の用がある?」
弁天丸は肩を竦める。
「あんたと同じさ! 荏子田多門とかいう、老中が仕出かした始末をつけるためだ! 何としても、江戸の封鎖を解かなければならねえんだ!」
俺は呆然と首を振る。
「訳が判らない……。お前は【暗闇検校】を裏切るつもりか?」
弁天丸の両目が見開かれる。唇が、皮肉そうな笑みに歪んだ。
「おいおい、誰が【暗闇検校】様だって?」
俺は一歩、踏み込んだ。弁天丸に指を突きつけ、絶叫した。
「とぼけるな! 荏子田多門が【暗闇検校】なんだろう?」
「あっはっはっはっはっ!」
弁天丸は上体を仰け反らせ、天を仰いで思い切り笑い声を上げた。
「え、荏子田多門が、【暗闇検校】だって! ばっ、馬鹿を言うな!」
爆笑し、笑い過ぎて涙を零している。
俺は愕然となっていた。
弁天丸は嘘を言っていない。それは、はっきりと判る。弁天丸がなぜか【遊客】と同等の能力を持ったとしても、俺に嘘をつくのは不可能だ。なぜなら、俺たち【遊客】は、江戸NPCの言葉に含まれる嘘を、即座に感知できる。
俺の荏子田多門が【暗闇検校】ではないかという指摘を、弁天丸は完全に否定した。否定の言葉に、嘘は一欠片も含まれていない。
となると、俺の推理は根底から間違っているのだ。
いったい【暗闇検校】とは、そもそも何者なのだ?