九
俺の声に救われたように、玄之介は一端、一旦押し返す素振りをして、さっと十手を掬い返す。きいーんっ、と十手と刃が絡み合って、金属音を立てた。
堂上は返す刃を、玄之介に目掛け、振り払う。さっと玄之介は、刃を寸前で躱した。
ぶんっ、と空を切る堂上の刃が、俺の頭髪を二、三本はらりと切り払う。
恐ろしいほどの早業だ! やはり、三人では堂上が一番の使い手である。
【遊客】は底なしの体力と、獣並みの敏捷さを誇るが、やはり場数を踏んでいないと、満足に戦えない。
本界坊とお蝶は、確かに素晴らしい潜在力を持っているのだろう。だが、戦闘そのものは、あまり経験していないと見える。
本界坊は俺の放ったトンファの一撃に、顔色を蒼褪めさせている。肩が大きく上下し、剃り上げた頭から大量に発汗している。俺の一撃は、脛を痛打していたのだろう。片足を軽く上げ、苦痛に眉を顰めていた。
ひゅう、ひゅう……と鞭が空を切る。そろり、そろりと、女忍者のお蝶が、晶に近寄っている。
どうやら、同じ女忍者同士、敵に決めたようだ。晶も、得意のヌンチャクを構え、お蝶の攻撃に身構えている。
晶の背後には、吉弥がどっしりと構えていた。吉弥は武器を持っていない。が、その巨体があれば、充分にも思える。
じりじりと横移動しながら、堂上は俺に襲い掛かる隙を狙っていた。
俺は焦りを感じていた。この江戸で【遊客】として暮らして長いが、これほどの相手に立ち向かうのは、初めてである。俺の技量で、勝てるだろうか?
気合が充実し、堂上はさっと刀を振り被る。
「えや──っ!」
鋭い気迫とともに、堂上の刃が半円を描く。俺はトンファで受け止める。
がき──んっ!
衝撃に、俺の腕は痺れていた。受け止めた瞬間、目の前に打ち合う火花が散って、鼻の奥に鉄が焦げる匂いがした。
が、トンファは、堂上の日本刀を完璧に受け止めていた!
さすが刀鍛冶が鍛えた武器だけはある。形は違うが、俺のトンファは、日本刀と同じ鍛え方をしているのだ。
堂上の攻撃は、一度だけでない。トンファが受け止めた瞬間、さっと横に滑らせ、俺の胴を狙ってくる。俺はもう一本のトンファで、ぎりぎりに防御する。
堂上の顔にも、焦りが浮かんでいる。
奴は、知っている。日本刀が、このように数度の打ち合いを続ければ、確実に折れるのを。
俺の見たところ、堂上の刀は身が厚く、相当に打ち合いに強そうだ。それでも、所詮は日本刀である。いずれ刃綻びがして、役に立たなくなるはずだ。
さっと堂上は後ろに下がり、刀を構え直した。
俺と堂上が睨み合っている間、晶と玄之介は戦いを続けていた。
晶の相手は、お蝶。玄之介の相手は、本界坊である。
お蝶は、長い鞭を円を描いて振り回し、晶に迫っている。晶は懐に飛び込む隙を狙っているが、お蝶の揮う鞭が許さない。吉弥は晶に助太刀するため、身構えているが、中々動けそうにない。
本界坊は、俺の痛打から回復して、棒を構えて玄之介に迫っている。
刀に比べ、棒はあまり恐ろしい武器に見えないが、とんでもない! 長さ、重さなど、ある意味、刀に比べて格段の攻撃力を持つ武器だ。それに、折れにくい。
お蝶が先に動いた! ひゅっ、と鋭い音を立て、鞭の先を晶に向ける。晶は手にしたヌンチャクを、さっと振った。
きりきりきり! と、晶のヌンチャクに、お蝶の鞭が絡みつく! 晶と、お蝶は、歯を食い縛り、引っ張り合いになった。
「うおーっ!」と雄叫びを上げ、吉弥が両手を振り上げ、地響きを立てて走り出す。目指すは、お蝶。体当たりをかまさんと、一直線だ。
一方、玄之介と本界坊も動き出した!
本界坊が地面を蹴り、棒を振り被って玄之介に襲い掛かる! ぶーん、と音を立て、棒が半円を描いた。
玄之介の頭蓋に当たる寸前、十手が棒を受け止める! 玄之介は十手を捻じって、本界坊の棒を横に逸らす。
玄之介の腕が、本界坊の腕を掴む。瞬間、小具足の技で、玄之介は本界坊の足を払っていた!
ずっでんどうと、本界坊は地面に倒れこむ。
やった! さすが与力の職を選んだだけはある。玄之介は柔術の技も習得しているのだろう。玄之介はさっと懐から捕り物用の縄を引っ張り出すと、くるくると手際よく本界坊の手足を縛り出した。
お蝶は吉弥の吶喊攻撃を受け、思わず手にした鞭を離した。
どすん、と吉弥の大きな肩が、お蝶の細い身体を突き飛ばす。小型トラックが衝突したかのように、女忍者は空中を舞い飛んで、塀に激突した。
「うぎゃっ!」と悲鳴を上げ、お蝶はぐったりとなった。
二人の味方が呆気なく戦闘不能になって、堂上の顔に焦りが浮かぶ。俺は話しかけていた。
「どうした、堂上の旦那。あの二人はもう、役立たずだぜ! 諦めたらどうだ?」
堂上は「へっ!」と笑った。
「俺は、あいつらなど、当てにはしておらん! それより、お前こそ、どうなんだ。そろそろ、時間切れじゃないのか?」
言われて、俺は思い出した。このままでは〝ロスト〟してしまう。仮想現実で七十二時間──つまり三日間──過ごすと、装置は強制的に使用者を仮想現実から切断させるのだ。俺はこちらにきてから、ずっと接続したままだから、堂上の指摘通り、もうすぐ強制切断されるだろう!
そうか! 堂上の役目は、俺を追い払うのではなく、足止めさせるだけなんだ。だから、無理をして深追いする必要はない。こうして、のんびり勝負を長引かせるだけで、目的は達せられる。
畜生! どうすればいいんだ!
俺の顔に焦りが出たのだろう。堂上は勝利感たっぷりに、嫌味な笑いを浮かべた。
一か八か、最後の賭けに出ようとした刹那、聞き覚えのある声が背後から聞こえた。
「どうした、伊呂波の旦那。それじゃ、いつまで経っても、荏子田多門の下へは辿り着けねえぜ! 俺が手伝ってやろうか?」
堂上の顔に、驚きが浮かぶ。
俺は背後を振り返った。
ひょろりとした姿の、悪党が一人、唇ににやにや笑いを浮かべて立っていた。
肩に担いでいるのは、どう見ても実戦的とは言いがたい、巨大な刀である。女物の着物を、だらしなく羽織っている。
「江戸城に踏み込むつもりなら、俺の助けが要るんじゃないのか?」
弁天丸だった。