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電脳遊客  作者: 万卜人
第八回 老中荏子田多門の陰謀の巻
57/87

 留吉の住まいは、芝増上寺裏にあった。ごみごみとした裏通りを抜け、文字通りの裏長屋が、その住まいである。

 玄之介の案内で、長屋の腰高障子に向かって訪いを告げると、胡乱うろん気な様子で、五十がらみの、婦人が顔を出す。

「留吉は、わっちのせがれだが、あんたは?」

 妙な訛りがある。どこの生まれだろう。

 髪の毛は、かなり白髪が目立つ。引っ込んだ奥目の、あまり人付き合いが得意とは思えない女だ。

 俺が名前を告げるなり、女の表情が一変した。たちまち、激怒の表情になる。眉が狭まり、両目がくわっ、と見開かれた。


「お前さんかえ! 留吉を夜中、あっちこっち引っ張りまわしたのは! わっちの倅は、お前のせいで殺されたんだ!」


 指を差し、猛然と俺に向かって飛び懸かる。胸倉を掴まれ、俺は堪らず仰け反った。

「ま、待て! あんたの息子を夜中に連れ出したのは、俺の兄貴だ。俺の兄貴も、殺されたんだ!」

 成覚寺で長屋の連中にした同じ言い訳を、留吉の母にする。母親は、俺の胸倉から手を離した。


「あんたの兄さん?」

「そ、そうだ……」


 玄之介が助け舟を出した。

「左様で御座る。この鞍家殿の兄上が、水死体で発見され申した。その後、兄上は、そちの息子、留吉を雇ったという事実が判明いたし、こうしてお調べに参ったので御座る」

 ぐっと近寄り「お上の御用である!」と重々しく付け加える。たちまち、母親は気弱になって、おどおどとした態度になる。


「へえ……」


 じろじろと横目で、俺の全身を頭の天辺から、爪先まで眺める。下唇を突き出し、疑い深そうに話し掛けた。

「それにしちゃ、あんたの様子は、留吉を誘ったお侍そっくりだね」

 俺は、またまた苦しい言い訳をした。

「双子だからな。俺たちは、見かけも、着物も、まったく同じにしていたんだ」

 話し掛けながら、視線に力を込める。俺の凝視に、母親は目を逸らせた。


 ガクリと肩を落とす。


「そうかえ……、あんたも災難だったね」

 信じたらしい。今の瞬間、俺は気迫能力を使ってはいない。

 今の騒ぎで、長屋の連中が「何事か?」とばかりに、外に飛び出してきた。


「お上の御用である! 先日、死体で発見された、留吉のお調べをしておる!」と玄之介が、両手を挙げ、大声で告げる。

 長屋の連中は「お上の御用」に、目を逸らせた。ぞろぞろと、自分の住処に戻って行った。

 玄之介はお上の御用を務めるため、留吉の母親に、もう一人の俺が雇った際の前後を尋ねている。生憎、新しく判明した事実は全然なかった。

「それじゃ、済まなかったな。あんたの倅が成仏するのを祈っているよ」

 俺は、懐を探った。

「俺が兄貴に代わって、金を支払っておく。取っておいてくれ」

 俺が差し出した小判を見て、母親の表情が貪欲なものに変わった。

 さっと、驚くほど素早い動きで、俺の手の平から小判を引っ攫うと、大急ぎで着物の胸許へ隠す。

「これだけかい? 倅の命は、小判一枚だけなのかい!」

 玄之介が顔をしかめ、大声を上げた。

「小判一枚とは、破格ではないか! 欲を掻くものではないぞ!」

 母親はびくりと身を震わせた。恨みがましい目付きで、俺を睨むと、ぴしゃりと音を立て、腰高障子を閉める。障子の向こうから「もう用はないだろう? 帰っておくれ!」と叫び声が聞こえた。


 俺は晶を振り向いた。


 ずっと晶は無言で、俺たちの遣り取りを見守っていたのだ。

「どうだい、満足か?」

 晶はプイ、と顔を横にした。怒ったように、大股になると、さっさと長屋を後にする。

 俺は早足になると、晶の横に並んだ。

「何をそんなに、ぷりぷりしてやがる?」

 晶は鋭い目付きで、俺を睨み返した。

「あのね、どうして悪党なんか、江戸の町に必要なのかって、聞きたいの!」

「そりゃ……」

 俺は絶句した。もごもごと、言い訳口調になる。

「この江戸にやって来る【遊客】の連中は、時代劇のヒーローになりたいからだ。前にも説明したよな? ヒーローが活躍するには、悪党が必要だ。だから、この江戸には、ヒーローに退治されるべく、悪党がいる。簡単な理屈じゃないか?」

 晶は、ぶんぶんと、何度も首を振った。

「その悪党がいて、一番迷惑しているのは、江戸の町人じゃないの? 皆、この江戸で普通に暮らしているのに、あんたたちが悪党を作り出したから、ああやって殺されたり、酷い目に遭わされたりするんじゃないの?」

 俺は呆気に取られていた。

「江戸の町人が迷惑? だって、奴らはNPCだぜ! つまり、コンピューターが、仮想現実で動かす、プログラムに過ぎない。本当の、人間じゃないんだ!」

 晶は立ち止まった。両手を腰にやり、ちょっと小首を傾げる。

「本当にそう思うの? 本当に、江戸のNPCは、単なるプログラムのデータに過ぎないって、本気で思っているの?」

 晶の追及に、俺は黙り込んでしまった。

 理屈から言えば、晶の主張は完全に間違っている。が、俺は、晶の思い込みを、完膚なきまでに論破できる自信がなかった。


 俺たちは黙り込んで、高輪の大木戸を目指した。雷蔵の教えてくれた廃寺は、大木戸の向こうの、人寂しい葦原にある。

 大木戸に着いた俺たちを、驚きが待っていた。


 何と、大木戸が閉められていたのである。

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