十一
俺は吉弥の肩越しに、渡し場を見た。
遥かに遠く、渡し場がぽつんと見え、桟橋に舟が舫っている。
舟の船頭は、こちらを見て、慌てて立ち上がった。騒ぎを目にし、どうしようかと迷っている風情だ。やがて決意したのか、艪を手にした。
いかん! あいつ、一人だけ逃げ出すつもりだ!
俺は全身の力を込め、叫んだ。
「動くんじゃねえ! そのまま留まれ!」
俺の叫び声は、最大級に響いていた。【遊客】は恐ろしいほどの肺活量を誇り、思い切り叫ぶと、火薬の爆発音くらいの音声は、軽く出るのだ。
ぎくり、と船頭が動きを止めた。
しめた! 俺の気迫が効いた!
はっ、と気付くと、人足の足も止まっていた。全員、俺たちに襲い掛かる姿勢のまま、石像のように凝固している。
そうか!【遊客】の気迫は、人足にも効いている!
じりじりと人足たちが俺の声に立ち直り、再び攻撃をしようと近づく。俺はあらん限りの気力を込め、叫ぶ。
「動くんじゃねえっ!」
びくり、と人足たちは足を止める。
玄之介、晶の二人も、近づく人足を猛烈な気力で睨みつけ、寄せ付けない。
俺たちは、足止めされている人足たちを掻き分けながら、桟橋へと急いだ。
その時、人足たちの間から、喚き声が聞こえた。
「何してやがるっ! とっとと、あいつらを殺さねえかっ!」
声の主を探すと、だらりとした女物の着物を身につけた、ひょろりとした痩身の男が目に入った。相変わらず、長大な、見掛け倒しの刀を肩に担いでいる。
弁天丸だ!
俺と玄之介の目が合った。
「あいつ……!」
俺の言葉に、玄之介は慌しく頷く。
「左様で御座る! あやつ、このような場所に来ていたので御座るな!」
俺は身につけた【遊客】としての総ての気力を総動員して、弁天丸を睨みつけた。俺の視線は、レーザー・ビームのように、弁天丸の両目を直撃していた。
弁天丸と、俺の視線が、かち合った!
一瞬にして、弁天丸の顔色が変わった。すっと、血の気が引いて、がくりと腰が折れ、くたくたと膝から力が抜ける。
気絶するかと思ったら、意外にも立ち直った。ぐっと両足を踏ん張り、薄ら笑いを浮かべている。
「よお……。ちょこまか、ちょこまかと、五月蠅い動きをするじゃねえか! 鞍家二郎三郎さんよ……!」
声は震えているが、それでも俺の気迫に抵抗している。ひくひくと唇の端が痙攣し、両目に殺意が漲る。
俺は仰天していた。
どうしたというのだ? なぜ、俺の気迫が効かない?
じろり、と弁天丸は、付近にいた人足を睨みつけ、さっと俺を指さす。
「さあ! あいつらを殺せ! 命令だ!」
弁天丸の言葉に、突き飛ばされるようにして、人足たちは俺たちに殺到する。
俺たちは向かって来る人足たちを、何とか退け、後退した。
俺の心は、嵐のように乱れている。
訳が判らず、ただ向かって来る人足たちを退けるだけで手一杯だ。
なぜ弁天丸に、俺の気迫が効かない?
しかも、弁天丸は、人足を自分の思うがままに操っている。人足たちが一瞬にして変貌したのは、どうやら弁天丸の仕業のようだ。
俺たちは全速力で桟橋に突進し、舟にどうにかこうにか、辿り着いた。俺は苛々しながら、船頭に命令する。
「舟を出せ! 早くっ!」
「へいっ!」と船頭は大声を上げ、艪を握りしめ、全力で漕ぎ出した。
「ちっ! 仕損じた……!」
岸に、弁天丸が悔しそうに立っている。俺は艫に座り、弁天丸を睨みつける。
普通なら、これで弁天丸は意志の力を喪失するはずだ。が、平気で俺の凝視に耐えている。
俺の頭に、天啓のように閃きが浮かぶ。
まるで弁天丸は、【遊客】じゃないか!
まさか?




