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電脳遊客  作者: 万卜人
第七回 悪党弁天丸の追跡の巻
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 俺たちは、偏屈な同心に案内されて、人足寄場へと向かった。同心は、晶と吉弥を見て「女人禁制で御座る……」と言いかけたが、吉弥がぎろっと、細い目を一杯に見開いて睨みつけると、言葉を失った。


 もちろん、吉弥は〝ロスト〟したとはいえ、歴とした【遊客】である。俺と同じく、江戸NPCには強烈な気迫カリスマを発揮する。


 人足寄場には、常時数百名の人足──要するに囚人──が暮らしている。比較的軽い刑を受けた罪人や、無宿人などが集められ、社会的な再出発の機会を与えられている。軽い刑とはいえ、江戸の刑罰は、現代日本に比べると、かなり重い。


 罪人の社会的な更生の機会を与えるというところは、今の刑務所と同じ考え方である。

 だが、人足寄場にはあって、現代の刑務所にないものがある。それは囚人に対する道徳教育である。儒学者が定期的に訪問し、囚人たちに対し、論語などを判りやすく教えたという。

 刑期は平均三年ほどで、出所者はそれまで寄場で得た手当てを受け取り、新しく商売を始めるなり、百姓となるなり、再出発の機会を与えられた。もっとも、総てが上手く行くとは限らないのは、今の刑務所と同じである。


 囚人たちが暮らす小屋がずらりと並び、あちこちではもっこを使って石や土を運ぶ人足がいたり、あるいは鋸、鉋を使って木材を加工している人足がいる。

 縄をって、草履わらじを編んでいる者がいる。のみを使って、木材を彫っている者もいる。様々な職人仕事が、俺たちの眼前で展開していた。総て、手に職をつけさせるための、職業訓練だ。


 その間を、鋭い目で監視しているのは、同心たちである。同心たちは、侍としての威厳で臨み、囚人たちに対してよからぬ考えを抱かせないよう、ずしりとした存在感を放っていた。


 太陽は中天に差し掛かり、寄場では人足たちが、暑さにだらだらと全身から汗を噴き出させていた。

 俺は心の中で「悪党走査」を使った。

 江戸時代の刑務所であるから、目の前にいる総てが悪党かというと、それは違う。

 悪党生成プログラムにより、悪党は生まれる。存在を始めた瞬間、その悪党は、完全な成人男女として活動し始める。普通の江戸町人としての、幼年期や、成長の記憶の一切を持たず、存在を始めた瞬間から、悪党は悪党らしい行動を始めるのだ。

 性格、知能、外見など、様々な項目がランダムに組み合わされ、生まれ出る悪党たちは、たいていは内的な衝動に駆られ、悪事を重ねる。更生の可能性など皆無であり、行き着く先は、ほとんどが【消去刑】か、軽くとも遠島である。


 人足寄場にやってくるのは、普通の背景を持つ、江戸町人である。普通の人間でも、悪事に手を染めるのは当たり前だ。違いは、悪党には一欠片も存在しない、更生の可能性である。

 寄場を歩く俺たちに、囚人たちの視線が突き刺さった。全員、例外なく、俺の背後を歩いている晶に注目している。

 剥き出しの太股、上に着ているのは袖無しの羽織で、肩から先が露出している。胸元は大きく開き、谷間がバッチリと見えている。どう考えても、男だけの寄場では、刺激的に過ぎる眺めである。


 まあ、晶はこれでも【遊客】だから、寄場の男たちが不埒な考えを持って近づいてきても、一人、二人なら軽くあしらえるだろう。問題は、一斉に、多数が押し寄せた場合だ。

「俺たちから離れるなよ」

 晶に注意すると、ぎくしゃくと、発条ばね仕掛けの絡繰からくり人形のように頷いた。顔色は真っ青で、男たちの発散する欲望を、敏感に感じ取っているようだ。

 吉弥は、のんびりとした様子で、のしのしと歩いている。吉弥に向けられる視線は、当たり前だが唯の一つも存在しない。

 俺は慎重に歩を進めながら、辺りに【遊客】特有の気迫を発散させていた。〝寄らば斬るぞ!〟という警告で、別の言い方なら、殺気である。

 晶に向かって歩きかける囚人を発見すると、俺はぎろっ、と鋭い視線を送ってやる。俺の視線を受け止めると、囚人はすとんと腰を降ろし、視線を逸らす。俺の両目は、囚人たちにはレーザー光線を放っているように見えているだろう。


 俺の心に、一つのポインターが示されていた。悪党を指示している。この人足寄場に、唯一人だけ存在する、悪党である。


 寄場からぽつん、と離れた場所に、小さな小屋が建っている。小屋を作る材料は、明らかに有り合わせの、ごたごたとした木材で、今にも引っくり返りそうな、危なっかしい格好で、ちんまりと佇んでいる。

 入口はむしろを架けただけの粗末な造りで、俺はそれをまくって、上体を潜り込ませた。

「居るかね?」

 声を掛けると、中から太い唸り声のような返事が聞こえる。目が慣れないので、室内は真っ暗にしか見えない。

「どなたかな?」

「俺だ、鞍家二郎三郎。またの名を〝抜け参りの二郎三郎〟。あるいは、伊呂波いろはの旦那と呼ぶ奴もいる」

「ほほっ! 珍しい客人だ!」


 嬉しげな声がして、ようやく俺の目は、暗さに慣れてきた。


 入口を含めて、二畳ほどの室内には、うずたかく様々な書類が置かれている。手製らしき棚には、幾枚もの反古ほご紙が丁寧に箱に入れられ、壁の一面には、無数の紙が貼られ、細かな書き込みがあった。

 それらの書類に埋もれるように、一人の老人が丁寧に硯で墨を磨りながら、細い筆で手元の紙に、何か書き込んでいた。


 老人の年齢は、さっぱり見当がつかない。もしかしたら百歳を越しているのではと思わせる風貌で、大きな鉢開きの頭をしていて、頭髪は一本も生えていない。

 肌の色はなめし革のような茶色で、手足は幼児のように細く、身体つきは驚くほど小柄だ。どこもかしこも皴だらけで、生きている木乃伊ミイラという形容がぴったりである。

 老人は鼻に眼鏡を架けている。しかも眼鏡は一対だけでなく、鼻に架けている一つと、額の上にもう一組。片方の目には、時計職人がつけているような拡大鏡をつけている。

 老人の眉──眉の形に皮膚が動いてそれと判る──が上がって、片方の目に密着していた拡大鏡が離れた。しげしげと老人は俺を見て、分別臭く頷く。


「ふむ、確かに、その顔は鞍家二郎三郎! 何用で儂を訪ねて来たのかな?」

 老人は、俺の背後をすかし見た。

「お前さん、一人ではなさそうだの。ここは、狭いゆえ、あんたらが入ると迷惑じゃわい! 場所を変えようかの……」


 立ち上がると細い杖を手にし、よちよちとした歩きで出入口に近寄ってきた。

 俺が道を空けてやると、外へ出て、立ち止まった。

 目の前に晶が立っている。

 老人の身長は、晶の腰あたりに、やっと届く程度である。老人は興味深そうに、晶を見上げる。


「これは、お美しい……ひなには稀と言うべきか……。眼福、眼福!」

 老人の賛辞に、晶は頬を染めた。


 玄之介が、俺に向かって口を開いた。

「鞍家殿、このお方は?」

 用心深く、丁重な口調になっている。

「俺が言った、話が判る悪党の一人さ。地獄耳の雷蔵ってのが、通り名だ!」


 玄之介の顔が、驚きに弾けた。

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