三
石川島人足寄場は、火付盗賊改方頭としてあまりに有名な、長谷川平蔵宣以が設立した無宿人、犯罪者の更生設備である。今の刑務所と同じく、収容者は社会復帰のため、様々な職業を経験し、出所の際は、ちゃんとそれまで働いた手当てを受け取る。正式名称は加役方人足寄場。
現在の地名で言えば、中央区佃島にあたり、「島」の名前で判るように、石川島には渡し船が出ている。
渡し船を利用する客はあまりおらず、辺りは閑散としていた。
俺たちが渡し船に乗り込むと、船頭はむっつりとそれまで口に咥えていた煙管の灰を、ぽんと叩いて水面に落とすと、無言で腰にしまいこみ、立ち上がった。
「四人かね?」
塩枯れた声で聞いてくる。俺が頷くと、黙って艪を漕ぎ始める。
きいー……きいー……という艪を漕ぐ単調な音を聞きながら、俺たちも黙って座っていた。
風はあまりなく、ただ、かんかんと照りつける日差しだけが眩しい。
沈黙に耐え切れなくなったのか、晶が玄之介に話し掛けてきた。
「ねえ、玄之介さん。一度、聞いておきたかったんだけど?」
もし俺なら「女は今のところ足りてるよ」とか何とか混ぜ返すところである。
だが、玄之介はあくまで几帳面に、晶に向き直った。
「何で御座ろう?」
「どうして、この江戸に来る気になったの?」
玄之介は、晶の素朴すぎる疑問に、面食らった様子だった。
「どうして、と申されても、返答に困り申すな! それがしは、江戸時代に生まれたかったと言えば、お判りになられますかな?」
晶は、ぶんぶん、と勢い良く首を振る。
「判んない。だから、どうして、幾つもある仮想現実の江戸のうち、この江戸に住む気になったのか、って聞いてるのよ!」
玄之介は、しばらく視線を空に向け、熟考していた。
あくまで、四角四面に、真面目に返答するつもりらしい。やがて、頭の中に返事が纏まったと見え、口を開いた。
「先日、鞍家殿に看破されたように、拙者は東京都肝煎りの、最も時代考証を重視した江戸で、百姓として生活しておった。生活の大部分は、畑を耕す毎日で、時折、暇を見つけては、市中に遊ぶ、そんな日々を暮らしておりました。しかし……」
玄之介の瞳が、苦悩に曇った。
「鞍家殿の仰る通り、あの江戸は、あまりに窮屈で、町人たちも、それがしにはどうにも生き生きと生活しているようには、思えなんだ。まるで、毎日が、江戸時代再現のための、台本通りの芝居で御座った。そのうち、この江戸の噂を聞きつけたので御座る」
玄之介は、にやっと笑った。今まで見せなかった、奇妙な笑い顔だった。
「時代考証を無視しているに拘わらず奇妙にもこの江戸は、仮想現実で、一番、【遊客】の訪問が多いと、評判で御座った。拙者は正真正銘の江戸で暮らしたいと、それだけを念頭に置いておりましたが、この江戸の評判は聞き捨てならんと、確かめに参ったので御座る。いずれ、拙者の夢の実現に役立つかと……」
晶は、好奇心を刺激された様子だった。両目が一杯に見開かれている。
「夢? 夢って、何?」
玄之介は微かに照れ、視線を逸らした。小さく、返答をする。
「それは……いつか、拙者も、仮想現実に江戸を再現したいという夢で御座る。もし拙者の夢が実現した暁には、この江戸で暮らした体験が役に立つと、考えておるので御座る」
「へえ……」
晶は、玄之介の意外な告白に、すっかり感心した様子だった。手を挙げ、ぱんと音高く玄之介の肩を叩く。
「できるわよ! あんたなら!」
おいおい、晶。お前の前にいるのは、火盗改の、与力だぞ。つまりは、上役だ。そんな気軽な調子でいいのかね?
しかし、玄之介は、晶の励ましに嬉しそうに頬を染めている。
ちぇっ! 呑気なもんだぜ。




