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電脳遊客  作者: 万卜人
第七回 悪党弁天丸の追跡の巻
45/87

 雨は朝になっても降り止まず、根気良く江戸の町を濡らしている。

 俺のいるのは、二階の六畳ほどの座敷である。二階の欄干から、裏通りがよく見渡せる。

 目の下には傘が幾つも開いて、人々が行き交っている。あちこちの家からは、炊ぎの煙が棚引き、子供たちがばたばたと騒々しく走り回っている音が聞こえてくる。


「で、伊呂波の旦那。弁天丸って悪党を、雨で見失ったのかえ? 旦那に似合わぬ、ドジだねえ……!」

 背後から「けけけけけ」という、弾けるような笑い声が聞こえ、俺は苦り切って顔を声の主に捻じ向けた。

 どっしりとした肉塊が、手持ち無沙汰に、煙草盆に煙管の雁首を叩き付け、灰をぷっと吹き出している。


 吉弥である。


 俺は、晶と玄之介の二人と共に、吉弥の家へ転がり込んだのである。

 吉弥はこう見えても、江戸では中々の顔で、品川と深川に家を持っている。もっとも、元々が【遊客】だから、金はたっぷりあるので、自宅を二軒を持つのも、余裕でできる。

 結構、吉弥は江戸では顔が広い。顔が物理的にでかい、というのも含めてだが。

 俺はそんな趣味はない。棲家は、品川の〝のたくり長屋〟一つで充分だ。


 弁天丸を見失い、探索の拠点として、俺たちは、深川の吉弥の自宅に転がり込んだ。

 なぜなら江戸の悪党は、深川や、吉原、浅草など、岡場所や、遊郭のある場所に集中しているからだ。もしかしたら、弁天丸も、この辺りに潜伏している可能性がある。

 晶は夜が明けると、どこかへ勝手に出かけてしまった。玄之介は俺と付き合うつもりか、二階からじっと、階下の裏通りを丹念に監視している。

 江戸の悪党を「悪党走査」で探っていると、悪党たちはじっとして、動かない。さすがに、朝のうちからせっせと働いているようでは、悪党とは言えないだろう。


 雨はようやく、昼前になって降り止み、どんよりと垂れ込めた雲は、驚くほど早々と晴天に席を譲って、あたりは夏の熱気に包まれた。

 こちらの江戸には、蚊や南京虫、しらみのみなどの不快生物の類が、一匹すらも存在しないのが助かる。

 俺たちは、江戸を再現する際に、吸血性の不快生物を持ち込まない決定を下した。従って、こちらの江戸には、夏の風物詩になる蚊遣りや、蚊張りなどは存在しない。単に、無闇矢鱈と暑いだけだ。


 吉弥が「腹が減ったから」と、小女に命じて鮨の出前を頼んだ。

 もっとも、吉弥は四六時中、常に腹を空かせているようなものだ。出前の鮨は、巨大な丸盆で運ばれてきた。何と、直径三尺はある!

 あまりにでかすぎ、盆は二人掛かりで二階へ運ばれてくる。

 吉弥は早速、むんずと両手で数個の鮨を摘み上げると、大きく口を開け、まるで早食い競争の挑戦者のごとく、押し込むように食べ始める。見ているだけで、こちらの胸が胸焼けの胃酸で一杯になって、俺は目を背けた。


「あれは、晶殿では御座らんか?」

 玄之介が、身を乗り出すように指さした。

 視線を向けると、確かに晶の、三里先からでも歴然と見て取れる、派手な出で立ちが目に飛び込んでくる。

 晶は、まだ濡れている路面を、ぴょいぴょいと軽快な動きで走ってくる。

 雨が降ると、江戸の道路は泥濘ぬかるみになるが、晶は固い地面を選んで、泥に足を取られぬよう走っていた。どこで見つけたのか、足下は泥を避けるために日和下駄を履いている。

 後頭部の馬尻尾髷ポニー・テールが、走るたび、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

 晶は興奮のためか、顔を真っ赤に染めている。目はキラキラと輝き、口許には笑みすら零れている。


 何をあんなに興奮しているのだろう?


 晶は俺のいる二階に顔を向け、大声を張り上げた。

「すっごーい! あんたの言ったとおりだわ! 江戸にあんなの、あったなんて。やっぱり、観に行って良かったわあ!」

 俺は叫び返した。

「何を観に行ったんだ?」

 晶は大きく両手を振り回した。

「アニメよ! ほら、あの江戸写し絵ってのを、観に行ったの!」


 俺は、ずるっと、欄干にもたれていた身体をずり落としてしまう。

 この娘……! てっきり悪党の探索に出かけたのかと思っていたら、江戸のアニメ──写し絵を見物に行ってたんだとお! つくづく、晶は真性のオタ女だ!

 玄之介を見ると、あっちも同じ思いなのか、げっそりとした表情である。

 吉弥は「がはははは!」と爆笑し、引っくり返って笑っていた。ばんばん、と大きな手の平で畳を叩き、笑いすぎて涙を流している。


 俺は怒りを堪え、立ち上がる。玄之介に顔を向け、声を掛けた。

「行こう! 弁天丸を探す!」

 玄之介は眉を開いた。

「で、いずこへ参りますのか? 何か、当てでも御座るのか?」

 俺は強く、首を振る。

「そんな当てなんか、欠片もねえ!」

 俺の返答に、玄之介は顔を顰めた。

「当てもなく歩き回るとは、いやはや何とも無計画としか言いようが御座らんな!」

 俺は無言で二階の座敷から、階下へ降りる階段に向かう。背後で、慌てて玄之介が立ち上がる気配がする。

「鞍家殿、お待ちあれ! 何も、そのようにお腹立ちにならなくとも……」

 俺は階段を降りて、見下ろしている玄之介を振り仰いだ。

「腹を立ててなんか、いねえよ! 相手は悪党だ! 悪党は、悪党の仲間ってのが相場だ。だから……」

 俺の説明に、玄之介は愁眉を開いた。

「成る程……。それならば、手近の悪党を捕まえて……! それなら、判り申す!」

 階段を降りかけた玄之介の背後に、吉弥の巨体がぬっと姿を表す。どすどすと足音を立て降りてくる吉弥に、俺は目で疑問を投げ掛ける。

 吉弥は歯をせせりながら、のんびりと声を上げた。

「あちしも付き合うよ! 伊呂波の旦那は、あちしの目の届かない所じゃ、危なっかしいお人だからね!」


 俺は、たじたじとなった。


「よ、よせ! それだけは御免蒙る!」

 吉弥は、にたーっ、と物凄い笑みを浮かべた。じろりと俺を睨み据えると、もう一度、口を開く。

「従いて行くったら、従いて行くよ!」

 玄関からけろけろと、晶が顔を真っ赤にして笑い転げている。

「良いじゃないの! 吉弥姐さんって、何か、とっても頼りになりそうだもん!」


 俺はガックリと肩を落とした。

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