三
豆蔵らしき小柄な男と、弁天丸の二人は、まるっきり辺りを警戒する様子もなく、のんびりとした表情で、小屋に近づいていく。時折、何か冗談を言い合っているのか、天を仰いで笑い声を上げた。
呑気なものだ。
俺は源五郎の横に戻っていた。
源五郎は厳しい表情になり、すっくと立ち上がると、手にした篠竹の指揮棒を握りしめる。配下の与力、同心、手先たちは、源五郎の下知や今かと、緊張を漲らせていた。
「源五郎……」
俺は源五郎に、そっと声を掛けた。源五郎は、俺をちらとも目にせず、真っ直ぐ前を見たまま、口の端で囁き返した。
「何じゃ? 用があるなら、手早く申せ!」
「あの豆蔵らしき男が連れている奴……あれが、弁天丸だ!」
源五郎は、きっと俺を見た。
「何と! それでは、お主を水死体にした【暗闇検校】の手下であるか!」
俺は頷いた。
「そうだ。奴は泳がせたい」
源五郎は、くしゃっと、苦い笑いを浮かべる。
「ふむ……。そちらの捜査に、役立てたいと申すのだな? 弁天丸を見逃せと?」
「できるかね?」
源五郎は少し考え込んでいたが、すぐに蹲っている手先に声を掛けた。
「全員に申し渡すのじゃ! あれなる弁天丸とやら、不自然に思われぬよう、逃して泳がせるのじゃと……。行け!」
手先は無言で頷くと、腰を屈めた姿勢のまま、背後の部下たちに小声で源五郎の指示を伝えていく。
全員に伝え終わったところで、源五郎はさっと指揮棒を振り上げた。
小屋に二人が近づいていく。
豆蔵が、小屋の戸を叩いた。すぐに、がらりと戸が開き、子分らしき数人の男たちが顔を見せる。
豆蔵の体が小屋の中に入り、後から弁天丸が戸を潜ろうとした瞬間、源五郎は叫んだ。
「懸かれ──っ!」
途端に「うおーっ!」と、全員が雄叫びを上げ、走り出す。
俺たちの声に、弁天丸が棒立ちになって、こちらを振り返った。
両目が飛び出るほど見開かれ、がっくりと顎が下がり、驚愕の表情を浮かべた。
殺到する源五郎と、配下の群れに、弁天丸は一瞬怯みを見せる
それでも、肩に担いだ長大な刀を鞘から抜いて、構えるまでは感心だった。
が、普段から剣術の稽古などしていないのだろう。剣先が重く、正眼に構えるのがやっとである。
ふらふらと剣先が円を描いている。もちろん、円月殺法などではない。
弁天丸の背後から、豆蔵と手下たちが姿を現した。
源五郎は、特注らしき巨大な十手を構え、走りながら高々と叫ぶ。
「【火祭りの豆蔵】と、その一味ども! 火付盗賊改方、榊原源五郎である! 神妙に縛につけ!」
「おおっ!」と豆蔵は立ち竦んだ。が、すぐに背後の手下を振り返る。
「畜生、手が回ったぜ! お前ら、返り討ちだ!」
口早に叫ぶと、こちらも、すらりと腰の刀を抜き放った。
奇妙に甲高く、まるで子供が叫んでいるようだ。顔は真っ黒な髭を生やし、どんぐり目玉の、いかにも悪党面だが、声は全然似合わない。
どこから見つけてきたのか、戦国時代そのままの、鎧兜を身につけている。鎧は緋縅で、兜は鍬形という、古色蒼然とした代物だ。多分、盗品だろう。
弁天丸とは違い、豆蔵はずっしりと腰が据わって、中々手強そうだ。生憎なことに、背丈が子供くらいしかなく、五月人形に見える。
もっとも、顔は悪党らしく、思い切り悪どく、まん丸な両目に、獅子鼻で、真っ黒な髭が顔の半分を占めている。
小屋の中から手下たちが豆蔵の声に応じ、わっとばかりに吐き出された。どいつもこいいつも、性悪の心根が顔に出た、どぎつい顔つきをしている。
豆蔵と手下たちは、さっと小屋の周りに散開して、俺たちを迎え討つ構えを取る。
俺は真っ直ぐ、弁天丸に向かって走り出していた。