五
ぱたぱたという足音が近づき、すぐ背中に声が掛けられる。
「鞍家二郎三郎! 珍しいではないか! お主がお城に登るのは、初めてだな!」
俺は諦め、足を止め、振り返る。
「ああ、ちょっとした用があってな。これから帰るところだ」
相手は「いやいや」と首を横に振り、ニヤニヤ笑いを浮かべていた。背が高く、六尺……百八十センチは越えている。逞しい身体つきの、ギリシャ彫刻のような美男子という形容がぴったりの侍だった。
彫りの深い顔に似合わない、下卑た笑いを張り付かせ、俺を「逃がさんぞ!」と言いたげに睨みつけている。
身につけるものは、どれもたっぷり金が掛かっていそうである。象嵌が入った鍔つきの両刀は、柄は白柄、柄頭に金細工。足下は白足袋で、福草履を履いている。着物は卸し立てのように折り目がついて、染み一つない。
外見、衣服など、どれも完璧であったが、唯一つ、男のどうしようもない品性のなさが、全身から滲み出てくる。
荏子田多門。俺が最も、この世で会いたくないと切望している【遊客】である。俺と同じ、江戸創設メンバーで、当初は俺と同じ担当であった。
が、一緒に江戸創設をしているうち、こいつの性格というのが段々と判ってきて、俺は極力避けるようになっていた。
ともかく、こいつは、品性が卑しい。下品そのものの言動に、他人を陥れるのが生き甲斐という最悪の人物だ。しかも、自分は他人より高潔な性格をしていると、心の底から思い込んでいる。
こいつを嫌っているのは、俺だけではない。俺と一緒に働いたメンバー総てが、嫌っている。しかし奴は、執念深く江戸創設メンバーの位置に留まり、今では幕府の中核に食い込んでいる。
能力はある。奴の担当は、時代考証と、江戸NPCの性格デザインである。江戸町人らしい物腰、言葉遣いなど、奴がいなければ、江戸町人たちは存在しなかった。奴の存在は、江戸創設で相当に大きい。
しかし、できるなら、一生ずーっと顔を合わせたくはなかった!
玄之介は、ポカンとした顔つきのまま、所在無げに突っ立っている。
多門は、じろじろと俺の全身を舐め回すような視線で眺め、口を開いた。
「お主、死んだと聞いたが?」
俺はちょっと仰け反った姿勢になる。
「どこで知った?」
俺の反応に、奴は得意げな表情になる。早耳がこいつの特技で、他人の弱みや、欠点を粗探しするのが、大好きなのだ。もちろん、自分が優位に立つためである。
「ま、色々とな……。それよりお主、どうして、のこのこ、お城に上がったのだ? お主は我々の再々の登城の要請に、頑として応じなかったではないか? どういう風の吹き回しなのだ?」
俺は、ちょっと考えを変えた。こいつの早耳は恐ろしいほどだ。もしかすると、奴が俺たちの役に立つかもしれない。
「紅葉山文庫に用があってな」
「御文庫に?」
多門は、きちんと「御文庫」と正確な物言いをする。時代考証担当だけは、ある。
「そうだ。文庫にあった、江戸開闢以来の【遊客】情報が、一つ残らず消去されていた。どう思う?」
「何だと!」
思ったとおり、多門は俺の投げた餌に、ぱっくりと鮫のように食い付いてきた。
両目が爛々と輝き、陰謀の期待に唇が笑いに歪み、今にもたらたらと涎が零れ落ちそうである。
多門の頭の中が、高速で回転している状況が、目に見えるようだ。
俺の投げかけた情報が、どのように自分にとって有利な情報に化けられるかと、猛然と計算しているのだろう。
ようやく、多門は俺の隣にぼんやりと立っている玄之介に注意を振り向けた。一瞬にして、多門は玄之介が自分と同じ【遊客】であると判断したようだ。
俺たち【遊客】は、一目ちらっと見るだけで、相手が【遊客】か、NPCであるか判別できる。そうでないと、色々と不都合が起きる。【遊客】相手に、NPCに対する気迫を発動させても、無駄だからだ。
「そちらの御仁は?」
玄之介は不機嫌を押し隠し、自己紹介をした。今の今まで、完全に無視されていたのである。腹が煮え繰り返っても、不思議はない。
「松原玄之介と申します。火付盗賊改方与力として、鞍家二郎三郎殿の事件を捜査しております。よろしく……」
「ほほう……。火盗改の与力を……! それは大変なお仕事だ! いや、感服いたした」
多門は顎を挙げ、言外に嘲笑するような含みを孕んで返答する。
意識する、しないに関わらず、こいつの言葉遣いには、一瞬で相手を不快にさせる響きがある。
「何か判ったら、報せてくれ。連絡先は、火付盗賊改方頭の、榊原源五郎に寄越してくれれば、つく手筈になっている」
俺の言葉に、多門は「心得た!」と短く答えた。
今日のところは、これくらいでいいだろう。
俺は何か考え込んでいる多門を残し、江戸城を後にした。