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電脳遊客  作者: 万卜人
第四回 火付盗賊改方与力と、もう一人の【遊客】登場の巻
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 急ぎ足になった検校を追いかけながら、若い町人は早口に事情を説明した。

「明神様の祭礼中だってえのに、旗本奴が押しかけてきて、難癖をつけたんで!」

「どんな難癖だえ?」

 俺が聞き返すと、町人は首を竦めた。

「俺たちを招待しないのは怪しからん! 祭礼には、旗本奴を招待すべきなのに、誰も何も言ってこないってえ、ふざけた話でさ!」

 町人は思い切り顔をしかめた。口調から、旗本奴への憎しみが窺える。どうやら、深刻な対立がありそうだ。


 神田明神が見えてくると、大通りを二つに分けて、旗本奴の一団と、臥煙がえんの一団が睨み合っている。

 臥煙──定火消し(町火消しではない)の異名である。旗本奴と同様、気風きっぷと、男伊達を売りにした男どもであるが、こっちの江戸には女も混じっている。


 両方、思い切り派手な色合いの着物を身にまとい、どことなく、現代日本の暴走族を思わせる。

 現代日本の暴走族はバイクにまたがっているが、こっちの暴走族は──自転車だ!

 笑ってはいけない。本当に自転車に跨っているのだ。江戸に自転車など、あるわけないと思われるかもしれないが、事実、自転車は存在した。彦根藩士の平石久平次時光(一六九六~一七七一年)が新製陸舟奔車と呼ばれる、木製の自転車を考案している。ペダル式で、フランスのミショーより、何と、一二九年も早い画期的な発明である。


 双方が跨っているのは、それの発展形で、車輪は前輪一つに、後輪二つである。平石久平次の自転車は、舟形の車体であったが、それに思い切り派手な飾りを付けている。

 しゃちのような彫刻や、龍の形をかたどっている。臥煙側は、火消しの纏のような飾りをあしらっていた。色合いといい、派手さといい、現代の暴走族といい勝負である。


 検校は武器にするつもりか、巨大な鉄扇を右手に握っている。放胆にも、双方の真ん中を大股で駆け抜け、大声を上げた。

「待て待て待てえ~っ! この神田明神で、喧嘩は許されん! もしも喧嘩したくば、この松戸検校が相手だあ~っ!」

 言葉は一応、喧嘩の仲裁を買って出たように聞こえるが、検校の表情には、一騒ぎ起こしたい期待感が露骨に溢れている。

 晶が、懐から、房つきの十手を取り出したので、俺は驚いた。

「どこでそんなもの、引っ張り出してきた?」

 晶は、キョトンとした表情である。

「だって、あたし岡っ引きでしょ? 岡っ引きなら、十手くらい……」

 玄之介は、激しく首を横に振る。

「よいか! 晶殿。十手というのは、お上の公式な捕り物道具であるぞ! つまりは、警察の拳銃のようなものなのだ。許可なく所持すれば、厳罰に処される。だいたい、岡っ引き風情で房つきの十手など、身分違いというもの!」

「えーっ?」

 晶は心の底から驚いた顔つきである。


 時代劇では、町奉行所や火付盗賊改方に手先として使われる小者(目明し、岡っ引き、下っ引き等と呼ばれる)は、捕縛権を持ち、お上から房つきの十手を預かっているように描かれているが、実際は大違いだ。

 房つきの十手は、与力および同心の身分証であった。従って小者連中は、私的に房のない十手を所持している場合もあったが、それも黙認という形で、本来は町人が持てるものではなかった。


「これは、預かっておく」

 玄之介は厳しい顔付きになると、晶から十手を取り上げた。晶は不満そうに、頬を見る見るぷーっ、と膨らませる。ちょん、と突付けば「ぱちん!」と音を立てて弾けそうだ。

 そんな一幕の間にも、事態はどしどし進行している。旗本奴は、検校の飛び入りに盛んに悪罵を浴びせかける。

「引っ込め、坊主! 抹香臭い説教など、まっぴら御免だあ!」


 この悪罵に色めき立ったのは臥煙だった。

「何おう! 検校様を貶すのは、どこのどいつだ? 出てきやがれ!」

 検校はニタニタと、物凄い笑みを浮かべている。歯を剥き出し、顔は真っ赤だ。怒りながら笑う、という芸当の持ち主だ。

「そうかそうか、儂の説得は無駄であった、という訳じゃな?」

 ぐっと手にした鉄扇を突き出す。その迫力に、旗本奴たちは、たじろぎの色を見せた。

 しかし気風と、男伊達の旗本奴である。自分たちが一瞬でも気後れしたのを埋め合わせるためか、一斉に「わあーっ!」と雄叫びを上げ、検校に群がるように飛び掛る。

 臥煙もまた、弾かれるように飛び出した。


 往来の真ん中で、二つの集団が激突した!


 検校は「わははははは!」と大声で笑い声を上げると、手にした鉄扇を振り回し、向かってくる相手の額や、手足に打ち付ける。相手は旗本奴だけでなく、臥煙も区別ない。

「それ! 一本! 儂の警策は、ちと痛う御座るぞ!」

 実に上機嫌だ。骨の髄から、こういう騒ぎが大好きなのだろう。

 喧嘩が始まると、それまで群がっていた見物人は、一斉に逃げ散った。見物の一団に、一見すると場違いともいえる華やかな集団が見える。


 何だろうと目を凝らすと、どうやら山車の演奏に呼ばれた芸者たちらしい。芸者たちは逃げ遅れ、どうしていいか判らない様子で、袋小路のような一角に集まり、身を竦ませている。それに旗本奴の一部が気がついた!

 仲間を誘い、それっとばかりに芸者たち目掛け、殺到する。目に着いた芸者の手首を掴み、無理矢理ぐいぐい引っ攫おうとする。芸者は旗本奴の狼藉に、悲鳴を上げた。


「おい、助けに行こう!」

 俺が玄之介に提案すると、鋭く頷く。俺たちは肩を並べ、救助に向かった。ちょっと振り返ると、感心にも、晶も走り出していた。

 俺は腰の刀を鞘ごと抜いて、それで打ち据えようと一瞬、思ったが「いや、鞘が割れるな」と思い直した。ちらりと隣を走る玄之介を見ると、帯に晶の十手を挟み込んでいる。

「そいつを貸せ!」

 素早く手を伸ばし、玄之介の帯から十手を抜き取る。俺のあまりの早業に、玄之介は抗議の声を上げる暇もなかった。俺は芸者の手を握り、引っ張ろうとしている旗本奴の手首を、十手で思い切り打ち据えていた。

「ぎゃあっ!」と悲鳴を上げ、旗本奴は手を離し、腕を押さえて地面に倒れた。他にもいないかと辺りを見回すと、芸者の真ん中に、大暴れしている巨体の芸者がいた。


 吉弥だった!


 俺と吉弥の目が合った。

「伊呂波の旦那!」

 吉弥は、小柄な芸者の手を引こうとする旗本奴の頬下駄を、太い腕を振り回し、思い切り張り倒したばかりだった。

 張り倒された旗本奴は、くるくると回転しながら、明後日あさって方向に吹き飛ばされていく。これじゃあ、俺が救助に向かったのは、まるで意味がないよ!

 吉弥は、俺を見て、喜びに目を糸のように細くした。

「旦那、あちしを心配して、助けに来ておくれなんだね?」

 俺の背筋に悪寒が走る。


 冗談じゃない!

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